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 左を見ても右を見ても、高い鉄柵と生け垣が地平線まで連なっている。皆一様に赤黒く染まっていて異様だ。
 正面には三メートル以上あろうかという鉄扉が立ちはだかり、紅月の下に影を落としている。
 それを見上げる背の低い三人。
 巨人の国に迷い込んだ異邦人のようだ。
「……やれやれ。やっと服は乾いたが、寒いのは一向に収まらないな」
「仕方ないでしょう、夜なんだし」
「寒いなら、魔理沙が魔法でさっさと乾かせばよかったんだよ」
「いいぜ命。まずお前に実験台になって貰うがな。服が乾くのが早いか、お前が燃え尽きるのが早いか勝負だ」
「調節って言葉はないんだな……」
「それって面白いのか?」
「………………」
 霊夢が人差し指を立てて、命に念を押す。
「いい? 分かってると思うけどあんたは極上の足手まといなんだから、私の後ろにきちんとついて、自分の身を護ることだけ考えなさいよ」
「うん。努力する、けど」
 氷の妖精との交戦からこっち、霊夢は命にあれこれと注文を付けるようになっている。魔理沙一人に押しつけるのが無責任すぎると考えたのかどうかは定かではないが。
「まぁ、最初から出来れば苦労はないぜ」
「逆に言えば、最初がOKなら、後はどうとでもなるわ」
「めちゃくちゃな論理だ」
「無理を通せば道理が引っ込むのは今も昔も一緒でしょ」
 魔理沙はやってられないという風に、館の門に向き直る。
「別にどうでもいいぜ、ともかく命のことは霊夢に任せたからな。早く入って茶でも出して貰おう。寒くてかなわない」
「それには同意見だわ」
 命はつき合いで軽口を叩いているが、実際はそろそろ余裕が無くなってきている。小太刀を握り締め、服の上から首筋の傷を押さえた。
 何が始まるかは分からないが、何かが始まることだけは確かなのだから。
「さて、まずはこの門だが」
「ノッカーが高すぎて届かないわ。豪奢すぎるのも嫌味よね」
「二人とも、ここに紐があるけど……」
「あら、門のわりには大したこと無い呼び鈴ね」
「自爆装置だったら誉めてやろう」
「…………はぁ」
 結局文句をいいたいだけなのかもしれない。言い出した都合上、代表して命がそのベルを鳴らすことになった。
 引っ張ると、門の向こう側から小さく、転がるような鈴の音が響いてきた。紅と闇の世界には似つかわしくない、爽やかな音色。
 少し間をおいて閂が抜かれ、内側から扉が軋みながら開いていく。
 と。
 扉の向こうに、見知らぬ少女が堂々と待ちかまえている。明らかに和風ではなく、大陸風の民族衣装に身を包み、大きな矛を構えて。緑の服を紅に長髪、矛は紅き月光をはじき返すように煌めく。
 少女は視線で気を放つと、咄嗟に門を越え、襲いかかって来た。
「破ァ!」
 三人はそれぞれ別方向に飛び退くが、門番の少女の標的は中央にいた霊夢だった。常人では考えられない距離を飛翔し、矛を振り下ろす。土をえぐるが、白い幻のように揺れる霊夢に切っ先は届かない。
 少女の動きは連続している。
 一端刃を下にして構え、そこから右上に突き上げる、霊夢が地上に着いたところを狙って真っ直ぐ突く、体位を入れ替えて一回転しつつ斬りつける。かなり様式化された攻撃が続く。対する霊夢は、どれも無造作な動きだが自然に、優雅に移ろっていく。
「この館の儀礼では、挨拶もしない客に斬りつけるのが普通なのね」
「殺!」
 まさに六不輸。矛の刃、矛の柄の先、蹴りに正拳、流水の姿勢を保ちつつ少女は攻撃を続ける。緩急をつけた二人の流れは、攻撃のやりとりというよりは、古くから伝わる演舞という感じだった。
「霊夢っ」
「いいから、自分の心配してなさい」
「この分じゃそれも必要なさそうだぜ」
 刀献把から翻身磨刀、少女は躯の位置を入れ替えながら大きく斬りかかってくる。対する霊夢も一瞬後じさりながら前に飛び出し、その刃を正面から受け止めた、
 乾いた木が弾ける音、
 霊夢は紙垂をなびかせた玉串を抜き、両手で少女の刃を押し返す。
 両者が微笑み、次の技を繰り出そうとした、その時。

 ジリリリリリン! ジリリリリリン!

 けたたましいベルの音が、門の向こう側から響いた。
 凛々しい姿で立ち回っていた少女の顔に、突然焦りの表情が浮かぶ。
「あ、あああああ」
「なによ?」
「あ、ごめん、ちょっと待ってね」
 少女はさっさと矛を収めると、急いで門の向こう側に消えた。しばらくして、そのベルの音は消える。
「………………」
 霊夢は訳が分からないといった様子で、構えを解いた。門の前に待避していた魔理沙と命も集まってくる。
「なんだ、どうした?」
「私だって意味不明よ」
「今の、電話みたいだったけど……」
 三人は門を抜け、音のした方向を覗き込む。
 と、門の端に小さな守衛小屋が立っており、そこで件の少女がなにやら話しているようだ。命の指摘通り、耳に受話器を当てている。かなり古い、骨董品のような電話機。持ち手は陶磁でできているらしい。
「……、はい、はい、それは……わかってます、お任せ下さい、はい……」
 暫くして話は終わったらしい。少女は受話器を返し、大きく深呼吸すると、矛を持って小屋を出た。で、
「あーっ! 入っちゃ駄目、人の許可もなく他人の家に入ったら駄目でしょう!」
「だって、お前が職場放棄するからだぜ」
「これはこれ、それはそれなの! まったく、どんな教育受けたのよ」
 少女は大きく頬を膨らませ、急いで配置に付く。
「これでいいのか悪の根城」
「あら、楽しいのはいつでも歓迎するわよ」
「楽しいのか?」
 また漫才を始める二人から離れて、命は意気消沈する。どうもこの世界の住人は、生命のやりとりをしているわりに緊張感が欠落している。その都度、減少したやる気を取り戻すための努力が必要で、正直いって疲労が増すばかりだった。

        ☆

 ……さて。
 門の向こう側は、くすんだ紅に染まった煉瓦の道が、正面の屋敷まで長大な道を形作っている。屋敷が巨大なのか庭が広すぎるのか、輪郭が歪み、目の錯覚でも起こしそうなパァスペクティブだった。屋敷の奥には高い時計塔が控えているが、あちこちが朽ちて壁は剥がれ落ち、文字盤に針はなかった。
 少女はハンカチで汗をぬぐって、煉瓦の道の中央に立った。もう一度矛を構え、凛としたその姿。
「さ、仕切り直しよ」
「今度はきちんと歓待してくれるのでしょうね?」
「もちろん……ここで盛大にもてなしてあげるわ!」
 矛をびしっと霊夢に向ける。
「あたしの名前は紅美鈴、この紅魔館の門を司る者! ここから先へは一歩も通さないから、覚悟しなさい!」
「その口上は一番最初にすることじゃないの?」
「誰にでも間違いはあるものなのよ。あたしだって普通の人だし」
「門番やってて普通の人もないもんだぜ」
「巫女や魔法使いやってる人にいわれたくはないわ」
「だってよ」
「失礼ね。こっちには正真正銘の特殊な普通の人だっているんだからね」
 霊夢がびしっと命を差す。
「あの、霊夢?」
「くっ……それをいわれると」
「なに狼狽えてるんだ門番」
 もはや会話の内容についていけない。
 それは向こうも同様なようで、ついに美鈴は地団駄を踏んだ。
「きーっ! もうなにがどうでもいいわ! 今日はせっかく門番の仕事が出来るんだから、ちゃんとこなしてお嬢様に誉めていただいて、その上とっておきの紹興酒と先祖伝来の巫女料理でもりあがるの! そう決めたの!」
「そんな料理を伝来するな」
 呆れる霊夢だったが、美鈴は取り合わなかった。
「問答無用、覚悟!」
 少女はポケットから黄褐色の呪符を取り出すと地面に放り、それを矛で貫いた。
 閃光がほとばしる。
 夜目に馴れた三人は、慌てて顔を背けた。
 と、不思議な浮遊感に押し流される。
 慌てる命が、
「霊夢、これはっ」
「いいから、自分のことを心配して、周りにある全てを感じるように心がけて」
 霊夢の声が、耳の奥で残響として残る。
 それが、自己を保持する契機になった。
 何をして良いのか分からないので、ともかく深呼吸して、心臓の跳躍を鎮めようと努力する。切るような風に包まれているのが分かる。流されると思うからネガティブな気持ちになるのだ、
 だったら……この風に乗ればいい。
 関節の力を解き、躯を空気に任せた。
 目を開く───
 自分の周囲全方位が眩しい青空だった。
 遥か下方に海が見え、雲が見える。
 自分は風に揺れる凧のように空を舞っていた。
 前方に、同じように飛ぶ霊夢と、箒にまたがった魔理沙がいる。
 その向こう、矛を突き刺したポーズのままで美鈴が飛翔していた。呪符があったところには巨大な魔法陣が展開していて、風はそこからあたかも台風のように吹き出している。
 シャツの襟が激しくはためく。
 霊夢が少しこちらを振り返り、叫んだ。
「来るわ! 的確な悪意だけを感じて! そうすれば避けられる!」
 その言葉が終わらない内に、魔法陣から七色の光が広がり始める。
 サファイアの蒼、紅玉の気高さ、女王のためのエメラルド、薔薇の毒アレキサンドライト、青から遊色へ移うオパール、黄金と循環のトパーズ……。
 その全てが、光線となって刃と化す。台風のように吹き曝し、華のように咲き乱れ、絢爛として揺れ動く。
 攻撃というよりは、虹の津波だった。
 風に流されているだけでは吹き飛ばされてしまい、
 無理に逆らえば高貴な矛に貫かれてしまう、
 その難題を目の前にしながら、命は前方の二人をちらりと見遣った。彼女達は優雅に舞いながら攻撃を避ける。むしろ、攻撃が当たらないような軌道を知っているとしか思えない動きだった。
 接近してきた光を感じる。
 そう、攻撃全てを「視る」必要はない。
 自分に直接来るものだけを拒めばいいのだ。
 集中しろ、
 集中して……、
 まず、
 赤をかわした。
 次に青。黄色。また赤、緑。黄色……。
 休ませてはくれない。簡単ではない。
 だけど、一つかわせばリズムを掴める。
 もちろん、失敗は終了を意味するがそれでも、自信が行動に直結した。
 空を舞いながら、風を切りながら、
 命は確信した。
(この攻撃では、自分はやられない)
 それは、この夜が始まって以来、命が最初に感じた前向きな意志だったのかもしれない。


 ……そして、攻撃は唐突に止んだ。
 またもけたたましい電話のベルによって。


 周囲の光景は一変し、三人はまたも夜の館の庭に降り立った。たとえまやかしのものだったとしても、命にはあの青空を手放したくなかった。闇の虚空には、更に巨大になった紅月が泰然と浮かんでいる。
 美鈴はあたふたと守衛小屋に走り込み、受話器を取った。
 霊夢が小首をかしげる。
「今度は何かしらね」
「免職じゃないか? あんまり強くなさそうだったし」
「門番がこの程度なら、案外大したこと無いのかもね、黒幕」
「自分で自分のこと黒幕っていうような奴なら、なんとなく大したことなさそうな気がするぜ」
 ……やがて、受話器を置いた美鈴がとぼとぼと歩いてきた。
「通りなさいよ」
「は?」
「丁重にお通ししなさいって」
「結局そうなるんじゃない。最初から問答無用で襲いかかったりする必要ないじゃないの」
「でもぉ! あ、あたしは『紅魔館を守る者として、きちんとお出迎えしなさい』って命令されたから、必死で頑張ったのに……ね、門番がそう命令されたら、あなた達だって攻撃するでしょ? そうでしょ?」
「そうか?」
「門番ってしたことないからなぁ。私達、普通の人だし。命はどう思う?」
 ただひたすら、少年は美鈴が哀れだった。
「もう黙って通して貰おうよ、いうだけ傷つくよ美鈴さん」
 もちろん、自分が一番酷いことをいっているという自覚はない。
 美鈴は立てた矛にすがって座り込んでしまった。
「……あーあ、ご馳走が、せっかくの巫女料理がぁ」
「妖怪だからって下手物食いは奨めないわよ。その料理は諦めることね。高級っぽいからセレブな階級向けみたいだし」
「なんだったらレシピくれよ。私が改良してやるぜ」
「魔理沙?」
「冗談だよ」