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一応ここは、応接間というのだろうか。
部屋自体は完全な和室だ。障子と襖に囲まれた八畳間。書院造りっぽい棚の上にはのたくって読めない文章の掛け軸がある。だが、その下にあるのは蒼い目をした三つ子の仏蘭西人形で、白を基調にトリコロールに揃ったフリルドレスは、どれも色褪せていた。
天井から釣り下がった蝋燭のシャンデリア。その下には薄紫のカーペットが敷かれて東洋風に意匠された茶色の丸卓が配置されている。少女達のために軋む二つのアームチェア。彼女達自身を飾られた人形のように演出する。
ちなみに、命には来客用の簡単なスツールが提供されている。この建物での住人と客との力関係が如実に表現されていると言えよう。
この部屋の感想をあえて述べるなら、統一感の欠落、これに尽きる。
「……やっぱお茶には煎餅だぜ」
「でも、これ紅茶じゃない」
「折角持ってきたのに贅沢いうなよ。勿体ないお化けが出るぞ」
「常時いるわよそんなもん」
つっけんどんな霊夢の言葉にも慣れた対応でやり返すこの黒服の少女は、霧雨魔理沙と名乗った。霊夢よりも若干幼い容姿だったが、言動は命よりも落ち着いている……というよりむしろ、言葉の端々で人を小馬鹿にしている感じだった。それがあまり嫌みにならないのが、この少女の大きな特徴といえるかもしれない。
お茶請けとティーカップを囲んで三人が着席すると、雰囲気がようやく落ち着いた。命は、魔理沙の足が床に届いていないのが気になって仕方なかった。喋ってなければ小学生にしか見えない。
お茶を傾けた魔理沙が、ふと命の顔を見遣る。
「……ほら霊夢、部屋のインテリアが歪んでるっていってるぜ、こいつ」
「気に入ってるからいいじゃない」
「いや、そんなこといってないし」
「いーや、表情がいろいろわめき立ててるなぁ。『ここはどこだ? こいつらは何者だ? とりあえずこの部屋は食事なし素泊まり民宿よりも更に酷いな』」
「……文句あるならお茶なんか出さないわよ」
なぜか霊夢はこちらに向かって目を吊り上げる。
「いや、だから、他のはともかく最後のは全然外れてるって」
「顔で嘘をつけない奴は長生きできないな」
魔理沙はやたら胸を張っていう。
「まぁどうでもいいんだけど」と霊夢はお茶をすする。
「さて。いろいろと混乱してるだろうし、分かりやすいところから説明してやるぜ」
魔理沙は帽子を取り、胸に当てて芝居がかった礼をする。
「私は見ての通り、普通に魔法使いを生業にしてる。本当は魔法少女ってのがしっくり来るんだが、自分からそう名乗るはさすがにちょっと恥ずかしいぜ。私にだって羞恥心はあるし」
妙に肌寒い気がするのは、隙間風だけのせいではないような気がした。当の本人は満足げに帽子を被り直す。
「んで、こっちの巫女が霊夢。もう知ってるかもしれないが、紅白だから判別しやすいだろ。目出度いから幽霊にも間違わないぜ」
「どんな説明よ、それは」
魔法使いに巫女といわれても、信憑性どころか現実味すらも埒外なわけで。
どう答えて良いか分からないまま、命は頷きながらティーカップに口を付けた。
「……あ、美味しい」
「ラベンダーを混ぜておいたから落ち着くだろ。ちょっと苦いが慣れれば問題ないぜ。あと謎の稀少品も少々」
「水はいつものじゃないのね」
「月がああでは、な」
お茶を二度三度と口に含みつつ、いまだ考えのまとまらない命はとりあえず、多少気になっていたことを霊夢に尋ねた。
「あの、鳥居に『博麗神社』ってあったけど」
「よく見てたわ。優秀な迷子ね」
「いや、迷子ってのはやめてくれよ。さすがにかっこわるい……」
「そうかしら」
「そうだぜ。魔法使いが奇術師とか魔女とかいわれるとやっぱり気分を害するからな」
「どう違うのよ」
「大きく違う。魔法使いは免罪符を買わされないぜ。自称だからな」
「………………」
どうもこの二人と喋っていると、テンポがおかしくなる。元々きちんと会話を進める気などないような素振りなのだから。目的を持って会話する習慣がないのかもしれない。
「……あ、いいかな」
「どんどん喋りなさいよ。会話には困ってないわ」
「う、うん」
喋る意欲がなくなってくる……。
「……つまり、僕のいた村じゃ、博麗神社なんて名前の神社は聞いたことなかった。博麗さんは、多分、ここに住んでるんだろうけど。僕はここが一体何処だか分からないし、朝までには帰らないと親が心配するから……そういや、いま何時だろう。時計はない?」
霊夢がおでこに細い指を当てて考える。
「……そういや長いこと時計なんか見てないわね」
「……嘘だろ?」
「別に必要じゃないし、困ることないから」
「?」
「魔理沙んところにはあったっけ?」
「壊れた奴ならどっかに埋まってたなぁ。時計が必要な時は、砂時計か日時計使ってる」
なんだそりゃ。
突っ込みそうになって命は、二人が別にふざけて話しているわけではないこと悟った。
「でも、当面は心配することないんじゃないかしら」
「な、なんで?」
霊夢がティーカップを皿に置きながらのほほんという。
「だって、多分ここ三日ぐらい、朝来てないもの。ずーっと夜ばっかしで飽きちゃったわ」
「え……?」
「分かった!」
唐突に魔理沙が手を打った。
「なによ魔理沙」
「どうも話がちぐはぐだなと思ってたんだが、前提条件が互いに違うらしい。つまり、目の前のこの少年は、私らの非常識を常識として解を求めているってことだ」
「……は、はぁ」
「夢と現実の境界なんて探すだけ無駄だけど、前提のかみ合わない会話は真実にちっとも近づきやしない。ここは端的にお互いの情報を交換すべきだ……つーか霊夢、お前分かってただろ」
「何の話かしら」
霊夢は素知らぬ顔で煎餅をかじっている。どうやら説明役を振られるのを拒否しているようだ。魔理沙は口を尖らせて、
「仕方ないな……命だっけか?」
「は……うん」
「端的にいって、お前多分帰れないよ」
「え?」
命は目をぱちくりさせる。
黒衣の魔法使いは、面倒くさそうに事情を説明し始めた。
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そもそも、厳密な意味での始まりと終わりは存在しない。ドイツで生まれた可哀想な猫が死んだと分かるのは、死体処理係が完全装備の防護服を纏って、毒ガスの箱を開けるその瞬間なのだから。
遙かな古代には量子力学なんてものはなかったが、それと同様に古典物理学なんてものもなかったので、豊饒と枯渇、生と死の境界はもともと曖昧だった。シュレディンガー博士もさぞ唸ることだろう。
そしてこれはなにも生と死に限ったことではない。
人と神、村と森、国と国……そして再び、始まりと終わりの境界。
厳密に線が引かれるようになった主な原因は、人間が自分達を人間だと思いこむようになったからではないだろうか。人が今生で幸せに生きたいと願う以上は、人間の欲望やら方向やらをはっきりとする必要があった。神様に従うだけの人間ばかりなら話は早いが、そうはならないのが人の業の深さである。
清濁すべてを把握した上で飲み込み、愚かな人間として生きていくことを選ぶ人間。あるいは、現世のことはきれいさっぱり諦めて、来世の幸せのための宗教や、万華鏡のような倒錯に浸る人間。どちらにしろ、人間は人間らしく、人間の行動領域を決め、合理的に判断して生きるようになっていった。
さて、ここで問題になるのは、そのどちらにも属さないグループの人間である。
彼らは古くからの習俗を守り、風に、山に、海に、折々の時間と空間の交差点に神と人間を見、それと共にずっと生きてきた。相対化に辿り着かなかった彼らにしてみれば、人間とその他の物を区別する必要なんてなかったのである。
従って、進歩を続ける文明人達が生活領域を広げると、自動的に彼らは生活圏を狭めていくことになった。山の奥、海の彼方、空の涯。人間の常識の埒外で彼らは従来通りにひっそりと暮らしていく。
また、人間以外の知的な存在も同様に、歴史の中に消えていった。
妖怪である。
前述のように境界の曖昧な世界においては、もともと人間と妖怪の距離すらはっきりとしたものではなかった。神と同化するために人肉を喰らう人間は多かったが、今ではそれはただの妖怪である。人間が自らに目覚め神との距離を定義していくことによって、妖怪は巷間から姿を消し、伝承の中にのみ生き延びていくことになる。
境界上の人間達と妖怪達の利害はかくして一致し、生活圏のサークルは重なることとなった。
文明下の人間達はそれでも満足しなかった。かろうじて妖怪達が存在できた時代、彼らは各地で妖怪達を封じ、人間の世界を広げようと闘いが繰り広げた。それらは今も伝説に残り、古い神社や寺の絵巻物や、口伝や、あるいは毎月のように量産され、本屋に六百円前後で叩き売られているファンタジー小説の中に断片として残っているのは周知の事実だろう。
文明下の人間達は、自らが拡大解釈した神や仏の力を使い、妖怪達を封印すべく大きな結界を張り、妖怪の世界を封じ込めた。迷惑なことに、境界上の文化を保っていた一握りの人間達もまた、妖怪達と一緒に封印されてしまったのである。妖怪達は最後まで必死に抵抗したといわれているが、この歴史を記したテクストは何処にも残っていない。
……こうして、こちら側と向こう側は、現実と非現実の境界で区切られた。
結界の中では、現在の人間社会では合理的と思われている現象や事実も効力を成さず、那由多の過去と同じようにあやふやなまま、過程と結果がごっちゃになって存在している。それでも、あちらとこちらは地続きであるから、お互いが微妙に影響し合う。
もし結界が消えるようなことがあれば、合理性と非合理性との壁は失われ、文明下の人間が寄って立つべき確証がなくなってしまうのだ。そして遂に、双方はカタストロフを迎えるだろう。どちらも例外なく消える。
だが今、現在の人間達は自らの生み出した物質社会に埋没する余り、結界の存在そのものを忘れかけている。非常に危険な状況にあるわけだが、結界内の生き物達は相も変わらず皆、のほほんと暮らしている。自分の存在についてあれこれ悩むのは文明下の人間くらいなものなのである。
時折、何かの拍子で結界を越えてしまう人が現れる。その人にとっての結界内は、数千年前から同じ光景をとどめ、生物や植物や妖怪やほんの少しの人間が始源の生命力に満ちあふれて行動する、空前絶後の桃源郷として目に映ることになる。
そして、そのうちの一人か二人は奇跡的な確率で結界外に舞い戻り、新たな伝説を伝える。
こうしてまた、この場所は小さく細く長く、伝説の中に生き続けていく。このようなミクロな循環が或いは、結界の内外のバランスを保っているのかもしれない。
この場所に、長らく名前はなかった。住人達は別に必要としていなかったから。
ただ便宜上、結界外と区別する時に使われる固有名詞がある。恐らく、結界内から帰還した誰かが使った言葉。
その世界は、幻想郷と呼ばれている。
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「……つまり」と命
「つまり?」と魔理沙。
「……お茶、冷めちゃったわ」と霊夢。
「つまり僕は、その結界を、なんでだか知らないけど越えてしまったと」
「そうだぜ」
「でも、越えることが出来るなら、帰る方法も」
「ないわよ」
霊夢の突き放した言葉に、命は冷や汗を覚えた。
「この神社は幻想郷の一番端っこにあるの」
「要石って聞いたことあるか? 地面の下の方にゃ龍脈っていう気の流れが通ってて、それを鎮めたり祭ったり封じたりして、いろんな力をもらったりするんだが……博麗神社は、社と境内自体が要石の役割を果たしてる。要するに、ここが結界の発生源であり中心なわけだ」
「んで、私の仕事はこの結界を護ることなの。数えて十三代目の巫女らしいんだけど、まだまだ新米なのね。つまり、結界を監視して修復することぐらいはできても、結界に穴を開けたり新しく作り直したり、そういう高等なことはお手上げってことなの」
霊夢は命を優しく睨む。
「つまり、あんたは私の不手際なのよね」
「そ、そんな」
「あら、おびえなくても責めてないわよ」
会話の内容は完全に責めている。
「たまにはこういうハプニングも面白いぜ」
「たまで結構よ。まったく、今日は変な女の子にも出会うし疲れたわ。この人、そいつに神社裏で襲われかかってたの」
「あぁ、多分そりゃルーミアだ」
「ルーミア?」
「闇の中をうろつく低級な妖怪だよ。最近は金髪少女の姿で自分のことルーミアって名前で呼んでたから、気に入ってたんだろう。前に私も懲らしめてやったんだが」
「あのくらいの小物が結界周辺を堂々とうろつくなんて、滅多にない話よね。結界自体が弱まった感じはしないんだけど……夜も続いてるし、原因は別のところにありそうね」
命がおそるおそる疑問を呈する。
「あの、下じゃここは桃源郷で、その、神様が降りてきて人を食べるっていう話を、聞いたんだけど」
母さんに聞いたといいそうになって、引っ込める。いまだにプチサイズの自尊心が働いているところは天晴れとしかいいようがない。
「そんなけったいなところじゃないぜここは。ただのド田舎だよな」
「とんでもなくド田舎の間違いだけれどね……でもまぁ、現実は小説よりも奇ばっかり、ってことはないわよね。人間も妖怪も普通に暮らしてるし」
「妖怪がちょくちょく里に下りるのは普通じゃないぜ」
「だからどうするか考えてるんでしょ」
命には一向に考えているようには見受けられない。ただ突っ込むとなにやら怪しげなお祓いをされてしまいそうで怖かった。現に目の前で妖怪(?)を消し飛ばしてしまったわけだし、ここで祓われると今度は間違いなく彼岸直行のような気がする。
「さて、今度はあんたの番だ。どうしてルーミアに襲われたのか教えてくれ」
「う、うん」
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