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 牢獄から飛び出した途端、亡霊達の激しい襲撃を受けた。もちろん、十六夜咲夜も察知しただろう。雑魚にはまともに相手をせず、全速力で飛翔して館の上層部を目指す。戦う力を残さなくてはならない。
「命はついてこられるわよね」
「あの部屋で待ちぼうけは嫌だし」
「そんなことより、その小太刀棄てちゃいなさいよ、もう折れちゃったんでしょ」
「一応は君の家の宝物だろ?」
「一応ね。窓のつっかえ棒だけど」
「………」
 命個人としては、棄てるつもりはさらさら無かった。達成感の源としても重要だし。勿論、宝剣の霊力であって自分の実力ではないだろうと自覚はしている。いくらなんでもそこまで自惚れていては死んでしまうだろう。
「さ、いくわよ」
「うん」
 霊夢が言葉を切ると同時に、速度が、気流の体感速度が倍になる。廊下というよりは、サーキットの中を駆け抜けているような感じ。ポリゴンで構成された宇宙要塞の内部を高速で飛ぶ戦闘機、という風に命は認識する。闇の中なので、光を帯びた霊夢の姿だけが頼りだ。
 一気に追撃を引き剥がす。
 と、今度は前方で、何かが軋む音がする。
「急いで!」
 前方に仕掛けられた鉄格子が勢いよく落ち
てくる───
 挟まれると冷や汗をかいた瞬間、殆ど地面すれすれで交わす、続いて二枚目、三枚目……鉄格子は幾重にも折り重なって二人の進路を妨害する。冷たい轟音が背後で連鎖する。霊夢は間に合わないと判断すると急激にブレーキを掛け、手前の扉を開いて別の廊下へ抜ける。
 やがて、廊下は水平ではなくなり、うねり捻れ、垂直に立ちのぼる。レジャープールのウォータースライダーを逆走したらこんな光景になるのだろう。ただ、廊下は依然として廊下であり、捻れた扉があり、緋色の絨毯が続き、混沌は勢いを増す。
「目眩がしてきそうだわ」
「じ、自分が正常か解らなくなってきたっ」
「別にどっちでも良いけどね」
 何十回目かの廊下を曲がり、階段を飛び越えたところで、突然紅い光に包まれた。地平線まで続くような廊下の左右には、正確に並べられた巨大な窓の列。左側には巨大な月が、右側には針を失った時計塔が見える。
 高速飛行の霊夢が、ハッと顔を上げた。
「来るわよ、気を付けて!」
 ほぼ同時だった。
 左右の硝子窓が一斉に割れ、飛び出してきた無数のナイフの乱舞。霊夢は自らのスピードを殺さないまま、最小限の動きでそれをかわす。命に直撃するものは陰陽玉と玉串で打ち払う。よって、命の躯に到達するナイフはほとんどない。
 それよりも気を払うべきは、無数に舞い散る硝子の破片だった。目に入るのが一番怖いので顔を腕で覆うが、頬をかすめて赤い線を入れてくれる。鋭い痛みは一瞬にして遠ざかるが、気を抜くことは出来ない。
 そんな中で命は、雲霞のように飛び回るナイフと硝子が月光を反射して、奮闘する霊夢を映し出すその光景が、あまりに美しくて現
実離れしていて───自分の生命を守るのに
精一杯でありながら、巫女の舞う戦神楽(いくさかぐら)に心を奪われていた。

        ☆

 さて、一方その頃。
 二人のいる場所の直下何百メートルでは、地上の闘いを上回る、さらなる死闘が展開していた。


 魔法図書館の中を暴風が吹き荒れていた。厚手の本が宙を飛び交い、無数のページが主君の偉大さを賛美するべく繰り返し捲られていく。
 嵐の中で箒に跨った霧雨魔理沙は、舞い散る木の葉のようにくるくると弄ばれている。しかも、風の中には見えない刃が潜んでいて、魔理沙のお気に入りの帽子やスカートや、血色の良い頬に傷を次々と創っていた。
「このぉ、嫁入り前の娘になんてことしやがる、末代まで祟ってやるぜ」
 嵐の中で微動だにしないのは、古よりの図書館の守護者。目の前には四つの魔法陣、そ
れを描いているのは四つの手。彼女───パ
チュリー・ノーレッジには二つの腕しか備わっていないというのに、不思議なことに魔法行使のための四つの掌が現出しているのだった。
 守護の水晶球を持ってしても、魔理沙に抗う術はない。仕方なく対峙を諦め、嵐を利用して本棚の隅に隠れる。結界は……無駄だろう。飛び回りながらスペルを練ろうと企む、
 させてくれない。

UINA-GEARUSZEAR-OOGKAINA-GEARUSZEAR-OOGKA……

「上級魔法、」
 判別したところで対応できるわけではない。
 本棚の間に全てを押し流す水流が溢れてくる。ダム決壊の街、津波が到来した大都市。本棚が倒れかかってくる。
「魔力の壁、見えざる盾、悪魔の牙、血によって我を護らせる御母の両腕!」
 タクトをふるって波をせき止めると、エネルギーを保持したまま激突した膨大な水が立ち上がり、波は数十メートルに急成長した。魔理沙は崩れ落ちる前にその中の通過を試みる。

K-NTRINNO-NTRNO-SYSSAREANTRINNO-NTRNO-SYSSAREA……

 スペルの音色が硬質に変化する。
 と、波の奥から金色のエネルギーが……黄金龍が轟音と共に姿を現し、魔理沙に向かって追いすがり、その顎を大きく開く。喰われれば魔法使いのロォストが出来上がり、反撃すれば大波に飲み込まれて溺死と八方ふさがり。おまけに前方はそそり立つ本棚に塞がれている。
「ええい、もうやけくそだぜっ」
 虎の子の呪符を一枚、龍に向かって投げ捨てる。
「それで我慢しろっ、ちーと刺激は強いだろうがな」
 噛まれそうになった瞬間、呪符はドラゴンの喉の奥で炸裂した。轟音と水蒸気が半球状に飛び散り、図書館の空気が熱気に揺らぐ。
 いくつもの魔法陣に囲まれたパチュリーが詠唱を途切れさせる。
「あんまり優雅じゃないわね。小さな子供の、砂場のどろんこ遊びみたい」
 と、視線が瞬間的に図書館のある数点に散った。咄嗟に手を差し出すと、見えない障壁が展開される。
 パチュリーが正確に感じ取った四方から、強力な光線による攻撃が炸裂した。もちろん、彼女に害を及ぼすことは出来ない。
「あんまり時間を掛けさせないで……ちょっと貧血気味で辛いのよ」
 瞳を閉じ、呪文の詠唱を再開する。

KNIEN-IRRUIOWHO-GAUJGONIEN-IRRUIOWHO-GAUJGO……
K-NTRINNO-NTRNO-SYSSAREANTRINNO-NTRNO-SYSSAREA……

 細々としたソプラノで紡がれる魔法。彼女の口は一つなのに、なぜかその呪文は二通りに聞こえる。そして、手は四つで魔法行使の手順を正確にこなしていく。
 二つの呪文は互いを増幅し、やがて一つの強力な魔法となって完成を見る。
 空中に、巨大な緑柱石が無数に浮いていた。古代遺跡を構成する、人為を持って削り出された魔法の遺構。それが、図書館のあらゆる場所に向かって、巨人の渾身の投擲に匹敵する力を以て投げ落とされる。轟音と共に振り下ろされる鉄槌から逃れることはできない。
 弾き出されるように飛び出した魔理沙に、魔法の本達が一斉に攻撃を加える。
「まだまだっ」
 それを魔法陣で跳ね返しながら、魔理沙は攻撃の為に四方に飛ばしていた四つの水晶球を呼び戻し、自分の前で急速に回転させる。
「ドラゴンのせいで箒の端っこが焦げちゃったからな、お返しだ」
「無理しなくていいのよ、本当に」
 回転する水晶球は漆黒の波動を放ち、それ自体は光の渦になる。イメージが拡散され、図書館に偽りの大宇宙を描いていく。黒い画布に吹き付けた白い星々。楕円になりながら渦を巻く水晶球は、いつしか巨大な銀河へと転化する。
「綺麗ね。戦い向けじゃないけれど」
 平然と佇むパチュリーに向かって、満天の星空から無数の星が殺到する。天の川の激流が、知識の少女を守護する魔法陣を消し去ろうと躍起になる。現に、彼女の回りを飛び回っていた本は消え去り、瞬く星々の彼方へと押し流されてしまっていた。
 これだけの魔力を展開できる魔理沙に、パチュリーは素直に感心していた。と同時に、数百年ぶりの不快感を覚える。人間と話しをすること自体が久しぶりだったが、自分に対して完全に対等な話し方をする人間に出会った記憶がない。自分の知識に欠落があることを認めるのは、彼女にとってあまり快い気分ではなかった。
「ああもう、早く本を読んで眠りたいわ……」
 半眼になったパチュリーが、いささか性急にスペルを紡ぎ始める。

AAU-OPF-TNI-YUR-CIT-RCI-TRC-EME-FTA-TDE-EIG-TFP-GTF-PON-ZSE-EUS-DS……

 パチュリーの両手に花が咲いた。
 真紅の花、幾重にも花弁の連なったその花
は、一瞬にして開花し─── 
 大宇宙の中心に輝く巨大な恒星になった。
 そこから立ちのぼる数百キロメェトルのプロミネンスが、偽りの宇宙を一瞬にして浄化し、灼熱の炎で焼き尽くす。焼失する世界。この両儀式を構成するのはただただ炎のみ。炎だけが真理だと、強制的に従わせる絶対存在としての、太陽。
 高貴なる炎。朱雀。
 パチュリーの魔法は、唯一無二の存在すらも容易に生み出してしまった。黒衣の魔法使いの星空は一瞬にして失われ、幻闘の舞台である、熱気籠もる図書館がまた現れる。
 依然として、魔法陣に護られ平然と佇む錬金術師。
 その対面には、同じく光輝の魔法陣を展開し、空中に浮かぶ魔理沙の姿がある。着衣は無惨にもぼろぼろに破れ、彼女は肩で大きく息をしていた。ただ、挑戦的な瞳だけは依然として変わらない。むしろ、大きくきらきらと輝いているようにも見える。
「……意外と頑張るわね、野良魔法使い」
「そっちもな、深窓の引き籠もり。大暴れして、自分で本を滅茶苦茶にしてたら世話無いぜ」
「私の魔法で私の本が傷つくわけないでしょ」
「そういうものなのか」
「そういうものなのよ」
 魔理沙は人差し指の皮膚を食い破り、その血を持って空中に文字を書き始める。血は流れ落ちることなく空中に留まり、彼女の残された魔力を増幅するべく機能し始める。
 パチュリーがそれに応答するべく、印を切り始めた。二つの手が、幻のように霞み……彼女の前には、七つの魔法陣と七つの掌。魔理沙の魔力に対応し、最強の奥義を持って滅しようとするのだろう。
 魔理沙は不敵に笑う。
「……しかし、あんたほどの使い手が、わざわざお化け屋敷の付属品に成り下がってるってのも妙な話だ。悪魔の下僕はそんなに居心地が良かったか?」
「暴れるだけ暴れて、やっぱり何も解っていないのね」
 魔法を構築しながら、パチュリーは肩を竦める。
「レミィは……いいえ、お嬢様は悪魔なんて一言で括れる存在じゃない。あの子は特別なの。私やあんたが力を揮ったところで、どうこうできる存在じゃないのよ……」
 そこでふと、彼女の瞳は遠くなった。
「恐らく、彼女自身でもどうすることも出来ないもの」
「それはどういう意味だ?」
 魔女は答えない。
「……だからあんた達は勝てないわ。それがたとえ、博麗の巫女であってもね」
「霊夢のこともしってるのか」
「おめでたい巫女さんにきちんと挨拶はしたのかしら? もしかしたら、今生の別れかもしれないわよ」
「お互い、死ぬ時は化けて出るって約束してるんだよ。こっちだって悪魔と契約してるけどな、そう簡単に地獄へ堕ちて悪鬼共に弄ばれるSM趣味はないぜ」
「私の魔法で魂まで消し飛ばなければいいけど」
「自分の心配してろって」
 冗談はそこまでだった。
 魔理沙は手の中に残った最後のスペルカードを握り締める。そこに描いてあるのは金色の光と二つの目。これが自分の全て。
 いつもつっけんどんでいい加減で、頭の中が春っぽい紅白の少女が頭の中に浮かぶ。あいつは大丈夫だ、そう自分に言い聞かせる。どんな相手だろうとあいつは止められない。自分はそう信じられる。自分の魔法より信じられるのはちょっと問題だが。
 それに……今は、命もいる。
 悔しいが、多分今、側にいて役に立つのは自分じゃない。そんな気がした。
「……さぁいくぞ、神世の伝説」
「覚悟は出来たかしら、浅き魔導の徒」
 深呼吸して、魔力の高まりを待つ。頭の中を空っぽにして、ただその瞬間を待つ。限界に入る前にあちらが魔法を完成させたら、その時点で自分の負けだ。

FAAO-EIEO-AMFMKHNRIGSGRAAO-EIEO-AM-UNIAGEARU-
SZEAROOGKAIHDNIAGEARU-SZEAROOGKAIHDF-MKHNRIGS
GRKNIEN-IRRUIOWHO-GAUJGONIEN-IRRUIOWHO-GAUJGO-
K-NTRINNO-NTRNO-SYSSAREANTRINNO-NTRNO-SYSSARE
A-AAU-OPF-TNI-YUR-CIT-RCI-TRC-EME-FTA-TDE-EIG-TF
P-GTF-PON-ZSE-EUS-DS………

 四つの魔法が四つの口によって唱えられ、一つの巨大なスペルへと有機的に化合していく。七つの魔法陣が線で結ばれ、遺失した世界の文字を描き出す。魔理沙の知識では遠く及ばない、世界最古の法則が顕現する。
 まだだ、まだ、もうちょっと……
 魔理沙は必死で念を籠める。
 血で描いた魔法文字が輝き始める。
 詠唱が歌になり、
 魔力は風になり、
 水晶球は星になる。
 帽子に覆われたブロンドは輝き始め、
 周囲に旋風を巻き起こし、
 時間すらも緩やかに収縮していく、
 が、
 「……やばい、間に合わない」
 魔理沙が顔を歪めかけた、その時。


「けほっ、けほ、けほっ、はぁ、はぁ…」


 緊張した場には相応しくない、小さく可愛いらしい咳。
「………………」
「けほ、けほっ……だから、頑張らないでっていったのに…ごほ、ごほ、くるっし……」
「喘息持ちか」
「はぁはぁ、はぁ……生まれつきの、ね。持病なのよ」
「そりゃ、大変だな」
「大変なのよ」
「うん、わかった」
「わかったでしょ」
「うん」
「だからね」
「だから?」
「だから、わかるでしょ」
「わかんねぇぜ」
 パチュリーの魔法は、手順を中断されたことにより瓦解していた。
 そして、魔理沙は両手をパチュリーに差し出した。彼女は悪戯っぽく笑って、
「我が主なる大悪魔の光の権化よ───」


 魔理沙が導く世界。
 それは、光しか存在しない世界。