幻視 阿礼711

 かつて、活字印刷技術がなかった時代の書物とは、現代で言うところの意味を大幅に超越する、それぞれが唯一無二の存在であった。執筆者が見た真実は思考となり文字によって翻訳・敷衍される。現在のように写真技術も映像録画も簡単ではなかった時代、書物は金品以上に高貴で重大な宝物だったのである。
 仮により多数の人間に情報を供しようと複写するに当たっても、その筆を執る者が一字を誤れば、後代の学徒にまったく違う意味を伝えかねない。仏教において写経がいかに重要な行であるかが容易に推察される。また室町後期の戦乱時代など、文才に長けるものの貧相な暮らしをしていた貴族には、長大な「源氏物語」などを写本して売却することで糊口をしのいだ者もいたという。昔は白い紙自体も奢侈たる対象であったが、本を製作するに当たって金銀等々豪華な装丁を施したのも、その貴重さを増すためだったのだろう。
 金品と違い、容易に失われやすい本。
 それでもなお、人は過去の知慧を求め、自らの意志を残す為に文字を記した。
 玄奘三蔵の偉業は、彼が命懸けで天竺まで経文を取りにいっただけに留まらない。彼がサンスクリットを漢字に翻訳しなければ、現在の形で日本に仏教が伝わることもなかったのだ。
 人が自らの足跡を残そうとする行為は、文字が発明されてから幾度となく繰り返される妄執ともいえるかもしれない。
 だが、それは果たして本当に――人間のみの意思によって行われるものだったのだろうか?
 たとえば預言者モーゼに下された十戒の石版のように、超越者の意思が介在していたのではないかと、何故疑ってはいけないだろう?


 和銅四年、女帝であった元明天皇の勅命が、正五位の文官であった太安万呂に下った。
 いわく、帝とわが国の歴史と伝承をつまびらかに示す歴史書を製作せよ、と。
 この頃、本朝には勅撰の歴史書は存在せず、貴族が政府の正当性を説明するために独自に編纂した「帝王日継」「先代旧辞」といった少量の文書が存在するのみであった。
 壬申の乱を戦い勝利した先代の天武天皇は、荒れ果てた国土の復興に尽力するのと同時に、大陸の強国に比肩する歴史を再確認・再構築する意図を持って、新たな歴史書の編纂を考えていた。
 そこで、一人の人物が登場する。名を、稗田阿礼という。
 稗田は記憶力に優れ、一度見たものや聞いたものを絶対に忘れないという稀有な特技を有していた。天武天皇はさっそく稗田を登用し、件の文書を暗誦させた。稗田が一字一句間違えることはなかったという。
 時は流れ、元明天皇の時代。
 おりしも去年、唐の長安風の近代都市を真似た巨大な都……平城京への遷都が宣言されていた。
 大化の改新に始まった国家としての日本の成り立ちが、平安京へと結実していくまでの過渡期。
 勿論、歴史書の製作もまた、その一端を担っていた。
 さて太安万侶は、勅命を携えて稗田阿礼と面会し、そして絶句することになる。
 稗田阿礼とは、柳のゆれる様にも似た、儚い少女であった。
 記録には、天武天皇に暗誦を命じられた時には既に二十八歳であったといわれている。
 だが、安万侶の前にひれ伏す彼女は、どう見たところで十五をしたまわる少女でしかない。
 幾分うろたえながらも安万呂は、書記達に記録の準備させ、彼女がそらんじる高天原の伝承を語るように告げる。
 満面の笑みを浮かべつつ、稗田阿礼は軽やかに舞いながら朗々と歴史を謳い上げ始めた。
 彼女が記録するのは言葉だけではなかった。
 その身振り手振りが、風に揺れる着物の裾が、一挙一動足すべてが、神々の動きそのままであり、歴史の再現そのものだったのである。
 初日の仕事を終え帰途についた老文官は、残像として瞼に焼きついた稗田阿礼の綴る神話を繰り返し思い出していた。
 牛車の簾の向こうに、真新しい朱雀門がぼんやりと見えていた。
 帝のおわすこの荘厳な都市ですら、少女の舞った怒涛の歴史の前では霞んでしまう。
 果たして、あれを文字で記録するということが可能なのか?
 そんな大それた事を行っていいのだろうか?
 帝は神に連なる御方だからいいとしても、人がそれを詳らかに聞き知って良いのだろうか……と。


 その夜。
 自分の邸宅に戻った太安万侶は、疲れからか早々と床についた。
 夜空には冴え渡る満月が浮かび、夜だというのに平城京を取り囲む大和の山々が浮かび上がるようにして見えていた。
 彼はなかなか寝付けないでいた。昼間のことが思い出されてならなかったからだ。
 月明りが瞼を通して感じられた――いや、これは眩しすぎはしないか?
 起きあがって庭を見た安万呂は、そこで硬直した。
 庭に、巨大な影が存在していたからだ。
 無骨な牛のようなシルエットだった。本体は影なのに、金環食のように蒼い光を放っていた。正面には白く輝く三つの目があり、その情報には大きな二本の角が生えていた。
 あやかしの類か――安万呂は召使を呼ぼうとしたが、声は出ない。
「案ずることなかれ。我の声は汝以外に聞こえぬ。我の姿は汝以外には見えぬ」
 影が口を利いた。
 いや、口を動かした様子はない。直接脳裡に語り掛けているようだった。
 老練の精神がそうさせるのか、安万呂は平静を取り繕ってあやかしを問いただす。
 影は答えた。
「我は白澤。人の世を見守る者なり。人の世の歴史を見据える者なり」
 白澤という名前には聞き覚えがあった。徳の高い為政者の治世に姿を現し、知恵を授ける霊獣である。
 ならば、帝の御世が長く安泰であるということか。なぜ帝の御前に姿を現さず、自分の前に夜討ちのように現れたのだ。
「汝が歴史に残る者だからにあり。我には見えり。汝の仕事からこの蓬莱の歴史が始まれり。汝の名は、編み上がった歴史書と共に、未来永劫人々の記憶に残ることとなれり――ならば、その最初の一幕をみとどけんと参上せり」
 なんと――
 霊獣に宣告されて、安万呂は両手で顔を覆う。
 目の前に映るのは、稗田阿礼が奏で体現する神々の御世。
 あそこから自分が取捨選択したものが、この国の子々孫々にまで伝わり、歴史の基部になろうというのか。
 そのような大事が、自分の双肩に掛かっているのか。
 白澤の三つの目がすうっと細くなる。
「忘れるべからず。我、又我の意思を継ぎし者、歴史の果てるその瞬間まで人間を見守れり。人よ、己の目指す理想を生きよ。最後に人を導くのは神ならず、人の意思こそ人の生ける道なり」
 陽炎のように揺れる闇を残して、影は何処かへ去った。
 額に大汗を掻き、深呼吸をする老人。
 底冷えするほど巨大な満月が、彼の影を大きく引き伸ばしていた。


 翌和銅五年の正月、編み上がった歴史書が元明天皇に献上された。
 上中下の三巻よりなるその史書は「古事記(ふることふみ)」と名付けられた。
 ただ、帝より苦労をねぎらう言葉をかけられた太安万侶は、どこか蒼然とした、癒せぬ疲労を浮かべていたという。
 彼はこの後、日本における最初の正史となる「日本書紀」の編纂にも携わることになる。


 一方、歴史書編纂の鍵とも言える稗田阿礼は、この頃を境に歴史の表舞台から消えてしまう。
 一説に天津神を始祖に持つ猿女君の一族といわれたこの人物の謎は、千年以上経った今も解かれてはいない。