こんどこそ競馬にサヨナラ(26/02/01) ……午後1時半ぐらいから市内を散策して、帰ってきてXのトレンドをチラ見すると、知っている競走馬の名前が複数掲載されていた。メインレースで勝った馬は話題にされやすいから、あの馬が勝ったのかと脳裏によぎる。JRAの公式サイトでレース動画は配信されるけれど、レース辞退は終わっていても結果は未確定で、動画はまだアップされていなかった。アップロードまであと10分ぐらいだろうか。鼓動が早くなった。ここ数年で、楽しみで鼓動が早鐘を打つという体験は、楽しみにしているレースの観戦ぐらいだ。毎週数回はある、いつもの。 ここで、あ、依存症とはこういうものか、と思った。 何故ならば。 先週日曜日の最終レースを観終わった際に、僕は激しくうなだれていて、競馬を観るのはやめようと何度目かの決意をし、衛星放送の契約を解除し、個人的に残していた競馬にまつわるデータをすべて削除したからだ。 そんな自分がこうやってJRAのサイトを開いている。 禁酒にまつわるエピソードを迫真の筆致で描かれた、吾妻ひでお先生の「失踪日記」にあった、気付いたら酒を買っているという奴だ。怖い。 結局、その直後に僕は別の用事で外出したために、レースを見て結果を知りたいという欲求は収まり、これを書いている現在も結果を知らない。 たった一週間ではあるが、僕の決意はまだなんとか尊重されている。 競馬を愛好する人には様々なタイプが居るが、公営ギャンブルという特殊な娯楽であるにも関わらず、その裾野は結構広い。ほとんど或いは全くお金を賭けることもなく、馬であったり騎手であったりを応援するタイプのファンもいる。 僕はその典型例で、日本競馬のアイコンとも言える武豊騎手を特にずっと応援している。 彼の業績や毀誉褒貶は他のところで散々語られているので省略するが、僕としてはこの数年、初老に達しつつなお競馬界の中心付近にあること、単に比類なきアイコンとしてだけではなく、実際に勝って一流の現役として活躍していることを並走して応援できることに楽しみを覚えてきた。 ドウデュースが現役だった頃の想像を絶するアップダウンに付き合えて、本当に良かったと思っている。 だが、2026年1月時点で56歳というアスリートとしては非常識な年齢を遥かに超えて、一線級とは思えないレースをするようになってきたかなと、観ている僕は感じるようになってきた。具体的にはどんな馬でもどんな競馬場のコンディションでも一様に同じ動きをさせるように見えるということ。立場的にも絶対に勝利を掴みたいというモチベーションに欠けているのではないか、と見えてしまう疑念。 この、「見える」というのが曲者で、馬乗りなんてやったことがない者があれこれ悪く言うことに僕は合理性はないとずっと思っていて、結局全ては出来事について後からより説得力がある言い訳・こじつけを考えているに過ぎない。もちろん戦績や様々なタイムが何十年間分データとして積み重なっているのが競馬で、統計なりAI分析なり、どうすればより勝てるか(レースも、ギャンブルとしても)の方向性はあるかと思うのだけれど……それでも心の中の納得や不満はすべて、心のなかでの折り合いでしかない。馬のコンディションだって外から完璧にはわかりはしないのだから。 でも、見えてしまうのは真実なので、見えてしまえないように都度理由を考えなければならなくなった。 これは健全じゃないと思いながらも。 そういうことで、簡単に言えば僕のごく独断的な判断から、武豊はある程度の加速度を付けて現役一流の位置から滑り落ちるような状況にあるのではないか、と思ってしまっている。多少勝つことで一時的に溜飲が下がることはあろうが。もはや彼のキャリアにとって、現役騎手として10番目前後の成績を維持すること自体に特段の意味はないだろう。 その上、ギャンブルの駒としての立場もあるので、武豊だけの話ではないのだけれど、騎手は負ければボロクソに批判される。場合によっては勝ってもいわれる。誹謗中傷の類がSNSに溢れる。これが辛い。 モータースポーツでもそうなのだが、性能の良い道具に乗れば全然勝てるというのは誰しも思う。軽自動車でフェラーリに勝てないのは自明である。そういうことは競馬にも起こる。まして、今なお誰も追いつけない空前絶後の勝利を積み重ねてきた男が良い馬に乗れてないのだから、勝てないのは馬のせい、騎乗を依頼しない人のせいと無責任に他責したいのは山々だ。 それでもなお、僕は武豊が衰えて、競馬という興行の当たり前にいるその他の騎手になっていくというシーンが見たくなくて、競馬から離れることにした。 オグリキャップの伝説の有馬記念からこっち、日本競馬史はほぼイコールで武豊の物語だった。 昨秋、フォーエバーヤングと坂井瑠星が日本競馬にとって歴史的な勝利を収めたが、あれだってディープインパクトがいなければ存在しなかったし、藤田晋氏を馬主に勧誘したのは武豊である。2020年代を代表する馬となったイクイノックスも、キタサンブラックが社台スタリオンステーションに入らなかったら存在しなかった。 他の無数の騎手や調教師やスタッフや、生産現場の方々の絶え間ない努力、悲喜こもごもある馬券師やファンのみなさんの存在があってこその一大娯楽としての競馬というのは重々承知の上で、それでもなお、僕は武豊の凋落という、競馬サークルから期待される物語の結末の見届けを拒否する。 こう決意するのは初めてじゃない。ひたすらがっかりして罵声を上げそうになったこともある。そのたび、もう一度ドウデュースのような馬と巡り合うかもしれない、メイショウタバルの宝塚記念ような劇的なレースを見せてくれるかもしれない。勝ったレースを見てはそう思い直してきた。 それはそうだ。確率はゼロではない。 でも、それまでずっと負けを見守り続けるのはもはや耐え難い。申し訳ない。 お前なんかもとから客ではなかっただろうといわれればそうかもしれないけれど。 でも、僕は僕の心の安寧のために去る。 いままでありがとう。 ネットのトレンドで武豊という名前が次に(PR活動でなく)話題になるのは、幸運にも再び大レースを勝った時だろうか、または引退発表の時だろうか。もしそのニュースを目にする時は、心の負荷がないままで素直に喜び称賛し、引退の際はお疲れ様といってあげれるようにしておきたい。 それでも、もしまた勝てそうな馬で凱旋門に挑戦することになったら、誓いを一旦棚上げしてリアタイ応援しようと思う。 頑張ってください。 |
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