八雲紫が最強である理由 東方は弾幕を見せなければ意味がないゲームなので、プレイヤーを本気で殺しては駄目。 ただ、見せるというのは単純に視覚的なものだけではなくて、意味を理解させなければならないだろう(隠喩を含めて)。では弾幕を見せるためにはどうすればいいか? 一番簡単なのは、弾と弾の間を大きくして当てないようにすればいい。こうすれば誰だって避けられる。 だが、隙間が大きすぎる(弾が少なすぎる)と、弾幕の意味が弱くなる、または意味が失われる。隙間が隙間でなく空間になるからだ。これでは意味がない。き ちんと意味を持たせるためには、簡単なパターンであっても弾を寄せ集めて弾幕にし、玉と玉の間に隙間を形成しなければならない。では、それを形成するのは 誰か。作中に配されて、その意味に定義を与えているのは誰か。 そこで八雲紫の登場となる。 東方で「隙間妖怪」といえば八雲紫。 つまり、このゲームに於いて弾幕に意味を与えているのは、弾幕の隙間を司り、また結界そのものともいえる紫自身である。彼女はTRPGでいうところのゲー ムマスターである。ゲームを成立させるためには彼女の存在が必要だが、ゲームマスターがダイスの目によって支配されるのと同じように、彼女はまたプレイ ヤーとしての一面を持つ。 さて、東方では難易度が上がるにつれて弾幕の濃さが激しくなると、クリアできる人は比例的に減り、弾幕に与えられた意味 を理解する人間が減っていく。これは紫が力を振るい、弾と弾との間の隙間が小さくなり、人間ではその意味を理解しがたくなっているからだ。たとえクリアで きたとしても、ゲーム中は自機の周辺の弾幕を中心に見なければならないため、その弾幕が織りなす意味を直感的に捉えることは難しいだろう。だから、東方的 な物差しでいえば、LUNAをクリアできる人(むしろ、楽しめる人)は、感性がより妖怪に近い人間といえるのではないだろうか。 圧倒的な弾幕は、言葉によって飾られた意味をその凶暴な威力で覆い隠す。紫が何を考えているのか解らないのと同じように。 僕は前から、東方に於いてはだいたいノーマルぐらいの弾幕の厚さが一番美しいと考えていた。絵でもそうだが、ある程度の余白がある方が物の意味を理解しや すいし、全体像を掴みやすい。キャンバスに小さくぽつねんと物があれば孤独感を表すし、画面一杯に同じ物が広がれば圧迫感ばかりを感じて意味は不透明にな る。 これは僕が平凡な人間の感性しか有さないからかもしれないが、ちなみに永夜抄で一番感動したのは、ノーマルの仏の御石の鉢の後の通常弾、流 れ星の軌跡にわき起こる弾幕。大玉小玉で描かれた星々と音楽とがマッチして、ただ素晴らしいな、と。実際、星が溢れた眩しい夜空って、綺麗と言うより結構 怖い。 上記の通り弾幕とその隙間が成す意味を司る妖怪として紫が設定されたとすれば、紅魔郷以降の東方で彼女を本質的に倒せる妖怪はいないし、 人間も又そうだろう。彼女はルールそのものなのだから。他のどんな妖怪も人間も彼女には勝てない。というか、勝ち負けを超越した存在なのである。 ちなみにルールはもう一人いる。言うまでもないが博麗霊夢だ。 彼女は八雲紫のルール下にある存在であるが、また彼女がいないと幻想郷も東方世界も存在しない。彼女に触れればどんなキャラでも幻想郷に取り込まれるし、 彼女の力の及ばない創作は(一次二次含め)東方とは言いがたい(その作品に出なくても、影響を与えていれば構わないと思う)。ただこれも、紅魔郷以降の世 界で顕著といえよう。 こんな二人(しかも、彼女たちは共通して、外の世界を能動的に認識しているという!)が絡めば、竹取物語だろうが鳳凰だろ うが鬼だろうが、おおよそ日本とそこに附随するあらゆる物語など、あっというまに取り込んでしまうんだろうな、と納得した。ZUN氏がどういう順番で各 キャラクターを生み出ていったかはようとして知れないが、八雲紫が博麗霊夢と同じくらい、東方に於いてエポックメイキングなキャラであったことは間違いな い筈だ。(でなければ、「紫」というもっとも高貴な色の名前を与えはしなかっただろうから)そして・・・その強力な力故に、あまり簡単に使いすぎると世界 が薄っぺらくなってしまう宿命を負った存在でもある。 |
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