言霊巫女(ことだま みこ)



「……大体、お前のスペルカードには華がない」
 話が弾幕に及ぶと、魔理沙は霊夢を挑発するように白い歯を見せて笑った。
 場所は香霖堂。壊れかけた地球儀に寄りかかってお茶を飲んでいた霊夢は肩をすくめる。
「華とか関係ないじゃない。別にちゃんと使えればいいんだし」
「そうか? 結構意味あると思うけど。なぁ香霖」
 部屋の隅で本に目を落としていた霖乃助は面倒くさそうに顔を上げる。
「まぁ、強いていうなら言葉に力を持たせることは無駄じゃないな。特に魔力を帯びた言葉なんかは、音自体に霊力が籠もる。魔法を発動させるための長い呪文も、いってみれば力を増幅させるためのプロセスみたいなものだから」
「な、霊夢。言葉だけじゃないぜ、ポーズとか身振りとかも結構重要だ。あの吸血鬼は悪魔なりに風格があるし、アリスは動きが陰湿だし、パチュリーは呪文が長すぎて魔法がとぎれることも多々あるときてる」
「なんか比較対象に個人的な恨みがあるような気がするわね」
「おおよそ気のせいだぜ」
 霊夢は懐から黄色い呪符を何枚か取り出して、まじまじと眺めた。
「こんなもの、きちんと使いこなせるんなら別にどうでもいいと思うのだけれど」
 と、何を思ったのか霖乃助が意味ありげに笑った。
「確かに、霊夢は『博麗の巫女』としてもう少し威厳のある言葉を使ってものかもしれない。仮にも幻想郷の護り手なんだからな」
「そうかなぁ」
「私の魔法展開ポーズなら、知的財産権を有したままで貸してやってもいいぞ」
 魔理沙が右手を振り上げ、左手を腰に当てて片足立ちをする。いかにもかわいらしいそのポーズを自信満々でするものだから、霊夢はさらにやる気なさそうに、がっくりと肩を落とした。
「……確かにそんなの堂々とやられたら、妖怪も戦う前にやる気なくすでしょうよ」
「おうよ。そこを魔砲で吹き飛ばす。完璧な作戦だぜ」
「…………………霖乃助さんはどう思う?」
「魔理沙と戦う機会が無くて心底良かったと思ってる」
「そうでしょうね」


 その夜。博麗神社に帰った霊夢は、自室の布団にひっくり返って昼間の話を思い出していた。
「華がない、ね」
 普段自分自身についてほとんど考えることのない霊夢だが、たまにこうして自分のことを指摘されると妙に気になる。いずれ三日も経てばさっぱり忘れてしまうのだが……でもまぁ、霊力に影響が出るというのが本当なら試してみてもいいのかしれない。
 むくりと起きあがり、閉じられていた観音開きの三面鏡を開いてみる。
 誰もいないというのに左右を窺ってから、いつも呪符を入れている胸元に手をやった。
 顔つきが真剣になり、いきなり手を大きく開いて構え、
「―――夢想封印!」
 もちろん呪符は持っていないので、霊力は発動しない。
 自分の声がそこかしこに反響しているような気がする。途端に恥ずかしくなり、鏡の中の自分の顔が灼けた薬缶の如く鮮明に赤面する。
 考えてみると確かに、自分のポーズを改めて見てみるとなんだかぶっきらぼうで、心が籠もっていないような雰囲気もある。力を行使する瞬間はいつも、ごく当たり前にトランス状態に陥っているので気にもしないのだが……もとより修行とは縁のない生活なので、真面目に自省すると、いてもたってもいられなくなるのだった。
 が。
 気づいてしまったものは最早仕方がない。
 それなりに納得のいくポーズやイントネーションを見つけないと、次にスペルカードを使う時に気が散ってしまう。
「もう、魔理沙ったら……余計なことしか言わないんだから!」
 ――そして。
 真夜中の博麗神社で一部屋だけ明かりの灯った部屋では、障子の向こうで巫女の影絵が数時間に渡って踊り跳ね回ることと相成ったのだった。
 おそらく霊夢が面倒くさがりなのは、始めてしまえば凝り性でいつまでも拘ってしまうことを無意識に理解しているからなのだろう。そういう意味でも彼女の資質は無敵なのだ。
 影は疲れたのか、膝に手を乗せて肩で息をしていたが、しばらくすると周囲の様子を窺うようにしてから……魔理沙のやった「正統派魔法少女」ポーズを取ってみた。
 ……数瞬の沈黙が過ぎると、
「わあああああああああああ! こんなのできるわけないじゃない!」
 あまりに恥ずかしかったのか絶叫し、いきなり布団を被って団子のように丸まったのである。
 こうして博麗の巫女にも、無かったことにして欲しい夜の歴史が誕生してしまった。歴史喰らいの妖獣は呆れるだけだろうが。


 数日後。
 霊夢と魔理沙は香霖堂上空に浮かんでいた。いつものように些細な口論が原因となった弾幕ごっこの開始直前である。
「だから、なんでウチの上空でやるんだよ」
「それが貴方の運命なのよ」
 霖乃助の隣でクスリと笑うのは、紅くて大きな館の主たる吸血鬼の少女。彼女の隣には例によって完璧で瀟洒なメイドが日傘を広げている。
「はいはい、さようでございますか。お客様には文句も言えませんからね」
「フフフ……よく判っていらっしゃる」
「お嬢様、どうやら始まりますわよ」
「心配しないでいいわ。今日はすぐに終わるから」
 確かに、霊夢と魔理沙の緊張の度合いは刻一刻と高まりつつあった。
「魔理沙、今日の私はひと味違うわよ」
「今日飲んだ紅茶の味程には違ってないだろうぜ」
「その言葉は私のスペルカードを見てからいいなさいな!」
 弾幕ごっこに関してはいつものらりくらりが信条の霊夢なのに、今日はやけに自信に満ちあふれている。スペルカードを取ろうと、いつになく大きなモーションを取った。
 そのただならぬ気配を察してか、箒に乗った魔理沙は慎重かつ大胆に距離を詰めていく。
「さぁ来い、霊夢!」
「いくわよ! 夢想――」
 と、懐に手を入れたところで霊夢が固まった。
 回避体制を取っていた魔理沙が怪訝な顔をする。
「……どうした?」
「………………忘れた」
「?」
「練習ばかりやってたから、本物のスペルカード準備するの忘れてた」
「はぁ?」
 目を丸くした魔理沙だったが、理解するなり唐突にゲラゲラ笑い始めた。
「慣れないことはするもんじゃないな、途端にぼろが出る。明日は雨の代わりに二階から目薬だなこりゃ」
「………………」
 箒から落ちる勢いで腹を抱えて高笑していた魔理沙の後頭部を、虚空に突然出現した陰陽玉が痛打した。森へあっけなく墜落していく魔法使い。
 香霖堂の前の日傘がゆらりと揺れる。
「あ、終わった」
「でしょう、咲夜?」
「………………頭が痛い」
 観戦者達は三者三様だった。
 真っ赤になった霊夢はそっぽを向いている。
「やっぱ気にするのやめた。別にスペルカードに威厳も迫力も華もなくたって、勝てればそれでいいに決まってるのよ」
「不意打ちは卑怯だろ!」
「別に不意打ちでも何でもないわよ。誘導弾は基本装備なのよ」
 頭を押さえながら魔理沙が登ってくると、霊夢はそっぽを向いた。
「ま、これで今日は私の勝ちね。魔理沙がお茶淹れるのよ」
「悔しいぜ」
「ほーらー、そこでタダ見してるレミリア達もどうせ来るでしょ? 一緒に来なさいな。後で不意打ちされてもかなわないわ」
「今日はチーズケーキの運命だから逃げたり隠れたりしないわ」
「レアチーズケーキの間違いですわ、お嬢様」
「あら、また貴重品なのね」
「それはどうか判りませんけど」
「じゃぁ霖乃助さんまたねー」
 落ちてくる霊夢の声。蒼空へ遠ざかる巫女と魔法使いを追いかけて、吸血鬼とメイドが飛翔する。
「ではご主人、ごきげんよう」
 優雅な笑みを浮かべたレミリア達が、東の空へと飛んでいく。


「やれやれ」
 腕を組んで少女達を見送る霖乃助は、ふと思う。
 こうやって人間も妖怪もなし崩しに「どうでもいい」雰囲気巻き込むことこそが、霊夢の持つ最大の言霊ではないのだろうか。
 それは、どんなに強力な魔法や呪詛も包み込み、幻想という概念に変換していく。彼女に触れて変質しなかった存在はない。勿論、当の霖乃助を含めて。それは博麗の巫女ではなく、博麗霊夢という人間にだけ備わった強力な力だ。
 実際、今日一日の予定も既にどうでもよくなりつつある。
「もう店を閉めるか。どうせ誰も来ないだろう」
 霊夢のいつも通りの声が、耳の奥で鈴のように転がっている。
 小さな道具屋の店主は、霊夢達に食べられないように奥に隠しておいた饅頭が今日の僕の運命なのだろうと、一人苦笑しながら扉のドアノブに手を掛けた。



(初出 第二回東方最萌トーナメント)

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