「巫女神楽」


 夏が終わろうとしていた。
 時折蝉の声が響くこともあるがそれは希で、博麗神社にも涼しい風が挨拶をする季節が訪れ始める。うだるような暑さばかりを気にしていなければならない時間が終わり、霊夢はようやく元通りにダラダラと日々を重ねられると安堵していた。
「まったく……座ってるだけで汗がしたたり落ちる季節なんて嫌よね」
「霊夢、それはお前が修行不足なだけだろ」
「心頭滅却なんて今の時代はやらないわ。巫女さんは清楚可憐であればそれでいいのよきっと」
「どっちも当てはまらないような気がするぜ」
「うるさいわよ魔理沙」
「それだったらまたレミリアに霧でも出して貰えよ」
「それはそれなの。四季を大切にしないと生活のリズムが狂うでしょ」
「いってることが滅茶苦茶だな」
「いうわね。あんたこそ毎日入り浸って大丈夫なの」
「魔法使いは基本的に夜行性なもんだぜ」
「だからってうちに自分用の枕を常備するのはどうかと思うわ」
 こうして魔理沙と二人、日がな一日お茶を飲んでいると、日は暮れて夕闇が迫ってくる。
 カラスの声を楽しんでいれば、もう暗闇に包まれる。
 秋が近づくほどに、夜は足早に訪れるようになってきていた。
 やがて、東の空から大きな月が浮かんできた。
 漸く完全に満ちようかという、皓々とした月。
 空気は澄んで、白い光が波のように空から漂ってくる。
 レミリアの気持ちを理解する気はさらさら無いとしても、やはり月は白くあるべきよねと霊夢は一人頷く。
「あー。そろそろ十五夜なのね。準備しないと……めんどくさいわね」
「準備って、なんのだよ」
「あれ、知らなかったっけ? 一応博麗の巫女のしきたりでね。中秋の晩は月に舞いを奉納するの」
「へぇぇ。見る奴誰もいないってのに真面目だよな」
「仕方ないじゃないの」
「その辺適当でいいじゃないか」
「……これも一応、日々の区切りなのよ。やらなかったらやらないで、結構調子が狂うはずよ。みんなはそういう時計の上で暮らしてるんだからね」
「霊夢って、そういうところ真面目だよな」
「結界は物事を区切る為にあるからね」
 そういってズズズ…とお茶を傾ける。最近のお茶は美味しい。団子が欲しいところだ。
「なぁ、それ私も見に行っていいのか?」
「いいわよ別に。神事だけど厳格な掟がある訳じゃないし、それに神様というよりは、ここに住まうひとたちのためのお祭りっぽいしね。御利益があるかどうかしらないんだけど。お客も来ないし」
「向学の為にも伝統的な行事には参加するのが一番だぜ」
「魔女の勉強に関係あるのかしら」


 さて、当日の夕方。
 博麗神社はにぎやかな喧噪に包まれていた。
「……ちょっと魔理沙、どうしてこうなるのよ」
「あんまり触れ回ったつもりはなかったんだがなぁ」
 博麗神社の本殿の前には茣蓙が敷かれ、祭の始まりを待つ一団の姿があった。
「ちょっと霊夢、遊びに来たんだから愛想良くしなさいよ。こんなにお客が居るんだし…人形芸でも披露したほうがいいのかしら?」
「だったらその人形石段に置いて。私のナイフ投げの標的に……ああでも、お客ってのも落ち着かないわね。なんか手伝おうか? お菓子とかお茶とかお酒とかアレとか」
「あら、春じゃなくても結構良い雰囲気じゃないの? もうちょっと死霊の一団でも連れてくるべきだったかしらね」
「幽々子さまぁ、これ以上他の方々に迷惑を掛けるのは止めて下さいよぉ」
「まだ眠い……本読んでたい……」
「まだ日の光がぁ……まぶしいよう」
「ちょ、ちょっとこんな所で暗闇展開しないでよ何も見えないでしょ!! ……はぁはぁ……。あ、あの咲夜さん、妹様を紅魔館に残してきてよかったんでしょうか? 門番も居ないし、あとで大変なことになりそうな気がするんですが」
「気が小さいわね美鈴。生き血のジュースにお酒をたんまり仕込んでおいたから、間違いなく酔いつぶれてるわよ」
「……結構酷いですね……」
「藍さまぁ、紫さまはどうしたのぉ?」
「ご主人は起きなかったよ。ま、あの方なら望まれる物すべて手にしてらっしゃるから、気に病むことはない……それにしてもあの狛犬は生意気な顔をしている。私に喧嘩を売るとはいい度胸だ」
「うちの狛犬に喧嘩売るとはいい度胸ね。もう一度いろいろ当てられない状況にしてやろうか狐さん」
「れいむーーーーーーっ」
 抱きついていきなり頬に口づけするレミリアをポンと投げて、霊夢は両手を腰に当てた。
「ええい、もう鬱陶しい」
「もう。恥ずかしがらなくても良いのに……」
「お嬢様、ほらちゃんと座って下さい」
「邪魔しないで咲夜ぁ」
 ぱんぱんと手を叩く霊夢。
「まぁ集まっちゃったものは仕方ないから追い返さないけど、こっちが仕事してる時はなるべく静かにしててよね。気が散るから。わかった?」
 全員がめちゃくちゃに喋って聞いていない。
「………」
 急に神々しい光が境内に溢れた。
「――解ったかしら?」
 全員が沈黙と共に霊夢を見る。
 うっすらと輝く巫女の周囲で、二つの陰陽玉が楕円軌道を描いていた。
「解ったようね。じゃ準備してくるから。月が出るまで待ってて頂戴。魔理沙………あんた責任者よ。解ってるわね?」
「へいへい」
 陰陽玉をしまった霊夢が社務所に消えていく。
「……みんな反抗できないのか。情けない奴らだぜ」
「そういう魔理沙が一番逃げたじゃない」とはアリスの指摘。
 魔理沙はぽりぽりと頬を掻きながら、
「ま、私は平和主義者だからな」
 とっぷりと日が暮れ、天蓋は星の絨毯に覆われようとしていた。

 空には巨大な月が掛かり、辺りを白く染めていた。
 神社の左右には篝火が焚かれ、ぱちぱち爆ぜながら火の粉を上げている。
 魔理沙の酒で良い感じに出来上がってきた客人達が、霊夢の出番を待ちかまえていた。
「……まだかしら霊夢。もう月も出て長いのに」
 アリスが自作の霊夢人形で遊んでいる。
「そんなに急ぐこともないだろ。私は酒が切れなければいつまででも良いぜ」
「ねぇ咲夜、白い月もそれなりに綺麗なものね」
「レミリア様がそう思われるんだったらそうだと思いますわ」
「相変わらずね、悪魔の犬」
「あら、夜だけは威勢が良いですのね、幽霊の姫君」
「幽々子さまに何を言うか、今度こそ三枚におろすぞメイド!」
「あら庭師さんごめんなさい、それだったらこちらはかつらむきにしてあげましょうか」
「……ねぇ魔理沙、この面子で無事に終わると思うの?」
「私ゃしらね。酒で酔いつぶれちまえってんだ」
 酒宴が無礼講なのは、今も昔も、現世も幻想郷も変わりない。
 頬を赤らめた少女達が暇をあかせて別の方向で盛り上がろうとし始めた、その時。


 しゃらん!


 澄み切った鈴の音が境内に響いた。


 しゃらん!


 風が吹き抜ける。鈴の音に呼ばれたかのように。


 しゃらん!


 月光が一層白く、一層強くなる。
 社務所から歩いてくる紅白の幻影。両手に五十鈴を提げ、両腕に榊の枝を掛けて。
 いつもの洋装めいた服ではなく、古来から伝わる伝統的な巫女の正装。白衣に朱の袴。千早を纏い、頭のリボンはない。草履の足音がしずしずと近づいてくる。
 表情が能面のようだった。
 いつもやる気のない普段の表情とも、戦っている時の挑戦的な表情とも違う。神職としての神々しい姿。神に捧げられる者だけが帯びる艶気ともいえるだろうか。それは同性にも妙な高揚を覚えさせるような姿だった。もともと巫女は神を慰める為の職業なのである。
 誰かが、思わず唾を飲み込む。
「ルーミア、お前食欲の固まりだな」
「わ、わたしじゃないよぉ」
「嘘だぜ」

 
 しゃらん。

 
 本殿の前、篝火の中央にたどり着くと、霊夢はゆるやかに踊り始めた。
 それはまるで、風に手を引かれるように。
 それはまるで、月に導かれるように。
 所々につけられた金の金具が、篝火の炎を、月の光を弾いて鈍く光る。
 それが緩やかに動いては、見ている者の瞳に残像を残していく。
 白と朱の霞。


 しゃらん、しゃらん!


 時折鈴を打ち鳴らし、半眼の瞳に月を浮かべる。
 睡蓮が群れる池を舞う紅白の蝶のように。
 軽い足の運びは、湖面を滑るかのように。


 しゃらん!


 ……黙って盃を傾けていた魔理沙が、小さく喉を鳴らして笑う。
「わかんねぇぜ、こいつは。本当にな」
 レミリアが、咲夜が、アリスが、普段と全く違う霊夢の姿に、皆一様に見惚れている。
 幽々子は何かを想起されられたのか、自分の扇子を開き、その奥に表情を隠す。
 それを気遣うように見遣る妖夢。
 パチュリーは本に視線を落としながら時折霊夢を見て、また本を読み、
 なぜかいるルーミアは一心不乱に食事を続けている。 
 酒に手を出して酔いつぶれてしまった橙。
 藍はその膝に彼女の頭を載せながら、宴と舞いとを楽しんでいるようだった。


 しゃらん!
 しゃらん!


 霊夢は一心不乱に踊り続ける。
 白をたなびかせ、朱を揺らめかせて。
 篝火は立ち上り、
 望月は酔いしれる。
 風と鈴とステップとがリズムとなって繰り返される調和。
 月が隠れてしまえば、夜には時の掟が戻り、やがて日は巡り光が差す。
 だか、それまでは宴の時間だった。
 生と死の境界も曖昧にされる神の時間。
 今だけは、人間も妖怪も分け隔て無く、誰しもが幻想に戯れる時間。


 しゃらん!


 月下の郷のその中央で、「世界」を護る永遠の巫女は、ただ舞い続ける。



(初出 東方最萌トーナメント)

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