少女幻葬 その日も霊夢は、幻想郷の空を見上げながらいつものようにお茶を飲んでいた。理由は簡単で、他にすることを思いつかなかったからだ。しかし、ここのところ毎日こうしている気もする。巫女の出番がないということは平和だということではあるのだが。 「暇ね。別に暇してるのが仕事みたいなもんだからいいんだけど、たまには暇の中にも波が欲しいわよね」 ズズズ……とお茶を啜りながら湯飲みを覗き込むと、茶柱が立っている。 「あら、なんだか縁起が良いわね。今日は良いことでもあるのかしら」 と。 晴れ渡った青空の向こうから、見慣れた黒い点が降下してくるのが見えた。 「おーい霊夢ー、大変だぜー」 大変なわりに、口調はいつもの調子と全く変わらない魔法使いが、箒に跨ってやってくる。 「……早速来たわね。何かいいことでもあるのかしら」 その数分後、霊夢はその茶柱がとんでもないブラックジョークだったことを悟ることになる。 幻想郷の辺境、そこはほとんど誰にも知られていない場所。 岩肌剥き出しの、荒涼とした場所。 高い高い禿げ山の頂上に、三人の少女が立っていた。 一人は霊夢。 一人は魔理沙。 一人はアリス。 乾いた風が山嶺を吹き抜け、彼女たちのスカートや帽子やリボンを激しくはためかせている。山頂付近には、紅い布を施された木の棒がそこら中に立っていて、皆一様にばたばたと音を立てていた。 「……まったく、今日はなんて日なのよ」 アリス・マーガトロイドはいつものように魔道書を抱いたまま憎まれ口を叩き続けているが、どうにも調子が狂っているようだ。肩を竦めている。その足下にもたれかかっている彼女の人形も、髪の向こうに表情を隠したまま。 「ま、雨降らなくて良かったじゃないか」 とは霧雨魔理沙。帽子を押さえて遙か彼方を見ている。いや……見ているふりをしているだけかもしれないが。 「それは、そうかもね」 霊夢はしゃがみ込み、膝をついてその筺を覗き込んでいる。 「ま、死ぬには良い日よ」 その瞳が細くなる。笑っているようでもある。 「確かにな」 「死ぬのに良い日なんてあるの?」 人形遣いが溜息をつく。 「私はこういう日に死にたいぜ」 「誰もあんたの意見なんて聞いてないわよ」 三人が取り囲んでいるのは棺桶だった。 長方形の筺の中には様々な色の花が敷き詰められていた。無彩色な周辺には痛いぐらい鮮やかにカラフル。時折風に巻き上げられて、花弁が一つ二つと舞い飛んでいく。 その筺に手を組んで寝かされているのは、彼女たちと同じぐらいの年頃と窺える少女。うっすらと微笑んでいるようにも見える。躯も服もきれいなままで、何かの拍子にむくりと起き上がって目をこすったとしても不思議はないだろう。少女たちが覚えている彼女のその仕草はとてもとても愛らしかった。 霊夢はいとおしそうに、眠れる少女の髪を指で梳く。 「この国じゃ本当は樽みたいなまあるい奴なんだけどね、棺桶は」 「さすがにそれは可哀想だろ。レトロにも程がある」と魔理沙。 「久々に三人で意見の一致を見たわね。もしかして初めてじゃないの?」とはアリス。 「人死にが出ないと一致しない意見ってのもどうかと思うが」 「まぁそれでも、人間死ぬ時は死ぬのよ、こうやってね」 霊夢の口調は変わらない。 「でも唐突だよな。一言いっていけばいいのに」 「あんな風な死に方じゃ一言も何もないわよ」 「妖怪に殺されたとかだったら、怒りとか発生するんだろうがな。ま、こいつらしいといえばそうなのかもしれないぜ」 「いいじゃない。こうやって三人も顔馴染みに見送ってもらえるんだから」 「アリスが死んでも見送ったりしねぇぞ、私は」 「あら、人間と妖怪で差別するなんて魔法使いの風上にも置けないわね」 「じゃ、時折私や霊夢の呪い人形造ろうと画策するのやめろよな」 「何のことかしら」 ここに来てから、こうやって延々と三人で愚痴を垂れている。 勿論、彼女を突然襲った不幸について感慨を覚えないではなかった。ただこれが、彼女たち流の儀式なのだ。 幻想郷という、ゆっくりと時間の流れる場所にも死の羽根は舞い降りる。時折それを思い出させる為に、運命は無作為に犠牲を求める。だが、当の住人たちはそんなお節介をされなくても、そのくらいのことは重々承知しているのだ。彼女たちは常に生と死の境界線上で暮らしているのだから。 「……魔理沙、お酒」 「ああ」 霊夢はすっくと立ち上がると、魔理沙が取りだした大きな徳利を捧げ持ち、一口飲み込んだ。同様に魔理沙が、そしてアリスが徳利を回し飲みにする。 アリスが徳利を返して、死体の頭の横にしゃがんだ。その腕の横に、可愛らしい仏蘭西人形を添えてやる。 「……さて、お葬式は終わりね。一人で逝くのは寂しいでしょうから人形造ってきたわよ。私だと思って大事にするも良し、霊夢だと思ってぶん殴るも良し、好きにしてね」 「酷いわね」 「いつも容赦なかった霊夢にいわれたくはないわ……じゃね。お二人さんもまたね」 そういうとアリスは、鼻歌を歌いながら歩いて山を下りていく。 「まったく、相も変わらず不埒な妖怪だぜ。あいつと友達になったのが死亡の遠因だなきっと。友情は選ぶべきだぜ」 今度は魔理沙が、横たわる少女に声を掛ける。 「ちょっとは寂しくなるが……ま、こればっかりは仕方のないことだからな。迷子になって冥界に寄り道とかするなよ。白玉楼には性質の悪い幽霊がいるから悪影響受けるぞ。万が一化けて出たら吹き飛ばすからそのつもりで。見ず知らずの霊魂ならともかく、元友人をぶっ飛ばすこっちの身にもなれよ」 魔理沙はいつもよりちょっとだけ早口だった。 「なんかぶっ飛ばしたくてしょうがないような口調ね」 「人の好意を曲解する奴は人生苦労するぜ」 「少なくとも私はいままで一度も苦労したこと無いわよ」 「そりゃそうだな」 死体は答えない。 ただ、さっきよりも笑ったような表情に見えるのは気のせいだろうか? 「じゃ、私は帰る。読みかけの本が気になってるんだ。この状況でお前やアリスの所に伝えに行ったんだから、誉めてくれよな」 「先にアリスの所にいってたのは減点材料だけどね」 「監視人形で私を尾行してたアリスに文句いえよ。気持ち悪いったら無いぜ」 そういうと魔理沙は箒に跨った。 「……ま、本読む前にもう一杯やるから。全部終わってその気があったらウチに寄ってくれ。とっときの一本だしてやるぜ。天狗がらみのちと強い酒だが」 「考えとくわ」 魔法使いは帽子を深々と被りなおして、乾いた蒼穹へと舞い上がった。 帰っていった二人を見ながら、一つ溜息をつく。 悪い気はしないけれど、あまりにもいつも通りなので苦笑してしまう。 そう、私たちは変わらない。いままでも、これからも。 「……さて、おまたせ。そろそろいこうか。良い風も出てきたし」 確かに――風向きが変わり始めていた。 霊夢が呼んだかのように。 そしてそれは、最初にして最後の二人だけの旅。 横たわった少女の髪が静かに揺れている。 虚空へと舞い上がる乾いた風。 霊夢は黙して立ち、風の行方を見つめている。 空の遥か彼方には、傘のような雲が山脈のように連なっている。 その方向へと連なる空の道を見つけて――― 霊夢はしゃがみ込み、 少女の顔に自分の顔を近づけた。 優しく、唇を重ねる…… ☆ 少女は空を舞っていた。 微笑みながら、その瞳に天と大地を映して。 風の道に乗って、何処までも何処までも上昇していく。 振り返ると、赤と白の鮮やかな蝶が自分を追い駆けて登ってくる。 そのやる気のなさそうな、それでいていつも優しい顔に見覚えがある。 大好きな少女だ。 彼女と一緒に空が飛べればいいと、いつも願っていた。 だけど、結局言い出せないままだった。 自分にはそれを言い出す勇気がなかったし、 彼女はいつも言葉をはぐらかして笑っていた。 今だって彼女は笑っている。 照れ隠しのように、少しだけ頬を染めて。 彼女が手を伸ばしてくる。 自分も手を伸ばす。 冷たくて暖かい、不思議な感触が伝わってくる。 とても気持ちが良くて、 とても胸が暖かくて、 それでいて安らかな気持ちになれる。 結局背中に翼は得られなかったけど、 今は、 今だけは、 何処までも飛んでいければいいと思う。 彼女と二人で、どこまでも。 二人は舞う。 風を切って天空を旅していく。 雲の峰を越え、 疾風の谷間をすり抜けて、 遠くに緑の大地を見下ろし、 大海の輝きに自らの姿を映し、 峻険な山の頂に腰掛け、 渡り鳥たちと編隊飛行をして。 どこまでもどこまでも。 二人を遮る物は何一つない。 ただ一途に空へと、 どんどんと、 高く高く舞い上がる。 やがて雲の平原に到達する。 中天に輝く太陽以外は全てスカイブルーの成層圏。 それでも高く、 どんどん高く、 加速していくスピードに身をゆだねながら。 黒い雲が立ち塞がり、 一瞬雨が白く霞み、アーチ状の虹の橋が浮かぶ。 固く握った両手が少しだけ弛む。 どちらが弛ませ始めたのかは解らない。 ただ、二人は解っている。 あの橋が境界であることを。 だから、手と手の間に風が流れ込み始める。 少女の躯は更に浮かび、 巫女の躯は地に引かれる。 繋がっている指が、五本、四本、三本と減っていき……… 高空の光輝の中に彼女の躯が浮かんでいく。 その姿を追いながら、博麗の巫女は減速を始める。 お互いに笑いながら、 最後まで微笑みあいながら、 決してもう二度と触れ合うことのない手の感触が、消えていくのを感じながら。 天を目指す者が呟く、 「ありがとう」と、「大好きだよ」と。 地に生きる者が苦く笑う、 「早く行きなさいよ」と、「私もね」と。 一陣の旋風が二人を分かつ。 それぞれの風に乗り、それぞれが途を辿る。 生と死の境界が緩やかに引かれていく。 だけどそれはしっかりとしたものではなく、空気は何処までも澄んで蒼く、そして高く――― ☆ 乾いた山頂にはもう誰もいない。 亡き少女の遺骸を納めた筺も、それを見守り続けていた紅白の巫女も。 ただ、全てを知る風だけが天涯へ向けて吹き抜けていくばかり。 無数に並び立った紅い吹き流しが、永遠を告げるかのように変わりなく、ばたばたと音を立てている。 (初出 第一回東方最萌トーナメント) |
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