櫻酒 「霊夢〜っ。何処行った霊夢………まったく、いい迷惑だぜ」 ゴボウに包丁を立て、手慣れた仕草で泥の付いた表皮を削り落としていく。大雑把に大胆に。適当な所で止め、ささがけに切り落とす。魔法と同じように、料理はスピードとテンポである。 水を張った桶の中には、あらかじめ準備してある人参が刻まれて浸かっている。 ゴボウを水につける。約十分ぐらい灰汁を抜くのだが、そんなものは適当で構わない。 竈の火を熾す。渇いた枯れ葉を敷き詰め、薪を入れる。スカートのポケットから一枚の呪符を取り出し、念を入れて薪の上にかざすと、小さくポンと火は弾け、竈に命が宿る。竈の中の精霊に小さく礼を言う。 中華鍋を出して、熱し始めた頃にごま油を引く。 油が跳ね始めると、水を切ったゴボウをそっと入れる。たちまち水蒸気が立ちこめ、周囲は真っ白になる。香ばしい匂いが立ちこめる。 背後には、濡れ布巾を掛けた釜が。蒸す時間もそろそろ頃合いなのだが、火を扱っていては同時進行というわけにはいかない。だから霊夢にいて欲しかったのだ。もちろん、あちらもそれが分かっているからこそ逃げ出しているのだが。 ゴボウが柔らかくなってきたのを、一つ摘んで確認してから、人参を加えて激しく炒め合わせる。酒、砂糖、醤油の混ざった出汁をぶっかけ、ごまと唐辛子で和えて、水気が無くなるまで延々と炒める。 もう一度つまみ食い。悪くはない。 ふと気づく。熱中していたせいか、服を縛ったタスキが弛んでしまっていた。炒め物が終わった時点でしっかり結わえ直し、釜に向かう。当然のことだが、フリルの付いた服は料理には向かない。しかし、やるからにはそれなりに凝ってしまう性分なのである。仕方がない。 濡れ布巾を開けると、もうもうと水蒸気が上がった。手を水にしっかりと浸し、しゃもじで一握りの白飯を取って、 「あちちちちちちちちっ……お〜い霊夢、少しは手伝えよな……あちちち」 無駄だと思うが、もう一度座敷の方へ声を掛ける。返事はない。 ため息をついて、目の前の仕事に集中する。 なにしろ、御結びは得意技の一つである。 博麗神社の裏手は、満開の櫻に酔いしれていた。わだつみの如くにたゆたっている。 散り始めるかどうか、その瀬戸際といった具合だろうか。櫻はその潔い散り際を普段感じさせないからこそ、散った時に人の胸に何かを残していくのである。 右手には小さな風呂敷包みと巻かれた茣蓙。紐付きの徳利をぶら下げて、霧雨魔理沙が櫻の森をぶらぶらと歩く。 見上げれば空は澄んで蒼く、少し肌寒いような印象を受ける。しかし、視界の半分以上は桃色に染まってしまっていた。周囲を取り囲む山々から吹き下ろす、少しだけ冷たく柔らかい息吹が、桃色の風となって吹き抜けていく。 「……今日ぐらいが最後の見頃なんだろうが。そろそろ散ると格好いいぜ、お前たち」 まるで古い馴染みに挨拶するかのように、魔理沙はゆっくりと歩みを進める。 やがて、彼女はゆっくりと立ち止まった。 「ま、想像通りだが」 一本の桜の下で、幹に寄りかかって眠る少女がいた。 紅白のめでたい衣装は、吹き散らかされた櫻の花びらにまぶされ、必要以上の化粧を施されている。頬が少し紅いのは、手伝いもしないのに台所をうろうろと歩き回り、酒ばかりをちびちびと盗み飲みしていたせいだ。 もちろん、彼女の家であるわけだから泥棒扱いは正しくないのだろうが、魔理沙にしてみれば、傍若無人な家主に少しばかりの反感を感じても罰は当たるまいと思う次第である。 荷物を地面に降ろし、霊夢を起こしてやろうかと、目の前にしゃがむ。 夢見心地の顔。 「夢巫女が酒で夢におぼれてたら世話無いぜ」 そういいつつも、魔理沙は彼女から目が離せない。 つややかな肌。 柔らかそうな頬。 しばらく食べてない洋菓子が脳裏に浮かぶ。白くて、丸くて、柔らかい―― 舌の上に、味の記憶が蘇る。 ただ、名前が浮かんでこない。なんだっけ、あの名前。作り方のレシピは何処にしまったっけ。三番目の本棚の、上から二段目、いつも手が届かなくて困るあそこの、右から―― 甘い物を欲しいという喉の奥の軽い欲求と、無防備な霊夢の頬と、準備を手伝わなかったことに対するささやかな復讐を材料に、魔理沙は脳裏で泡立て器を使い始めた。甘く白い夢がもこもこと膨らみ始める。 「あ、マシュマロだったぜ」 料理には味見が必須である。 魔理沙は霊夢に顔を近づけた。 ☆ 頬に柔らかい感触がした。分かっている、鬱陶しいほど咲き乱れる櫻の花びらだ。 さっきから何度も舞い降りては睡眠の邪魔をしてくれる。目を閉じたまま手で払いのけても、取れる気配がない。これでは夏場の蚊と変わらない。風雅というには程遠い。 何事も限度は必要なのよ。 その想いが起爆剤となって、霊夢は目を覚ました。はっきりいって、彼女の寝起きは悪い。しかも、不快を帯びた覚醒は心をかき乱されるのだ。もしかして、久々に良い夢を見ていたのかもしれない。 当然のことながら、夢の内容は既に忘れている。 目をこすりながら体を起こすと、眼前には広めの茣蓙が敷いてある。唐草模様の風呂敷包みと、白くて栓の付いてない徳利と、微妙に横を向いて座り、沈黙と共に赤い盃を傾ける魔理沙。 「あ、来てたんだ。おはよう」 「先にやらせてもらってるぜ」 「起こしてくれたっていいじゃない?」 「ヘタに動かして、魂が躯に戻れなくなったら後味が悪い」 「私の魂は方向音痴じゃないわよ」 茣蓙の上に上がり込み、白い裾から紅の盃を取り出すと、魔理沙に向かって突き出す。魔理沙はやれやれという表情と共に、徳利を傾けた。 透明な液体が音もなく注がれていく。 とりあえず一杯目を空けて、気分を落ち着けてから、風呂敷に向かった。 「そんなペースで飲むかね、まったく。酔いつぶれて夜になっても連れて帰らないぜ」 「死霊に相手してもらうから良いわよ」 「いつの間にか冥界行き、ってのはもう勘弁だからな」 霊夢はそれに答えず、風呂敷包みを解く。 重箱だった。一段目は六個の御握りで、海苔巻きと赤飯が半分。二段目にはきんぴらごぼう、出し巻き、梅干しと白菜の浅漬け、沢庵。内容は質素だが、色合いは整っていた。 「赤飯なんてよくあったわね」 「小豆が手に入ったから家で焚いたんだが、残ったんで持ってきた。他意はないぜ」 「そう。まぁ、偏差値ぎりぎりじゃないの」 「それが苦労人に掛ける言葉か」 「最上の誉め言葉じゃない」 「通を気取る客ほど迷惑な存在はないぜ。大体、外で飯食おうっていったのお前じゃないか」 「……夢の中の魔理沙は、お上品な言葉で全ての家事をやってくれる、それはそれは高位の魔法少女だったわ」 「そんな、どこぞの時計メイドみたいな魔法少女は、蓬莱山の玉の枝より希少価値があるぜ」 それからしばらく、二人は食事にいそしんだ。櫻を見上げながら、櫻に包まれながら。ぶつくさ文句をいう魔理沙も、外で食べることによって食事が数倍旨くなるという事実は否定しなかった。 ポリポリと沢庵をつまみながら、霊夢がつぶやく。 「あー、あれね。なんか物足りないなと思ったんだけど……やっぱ、一品なにか、甘い物が欲しかったわよね。魔理沙、お菓子かなんか持ってない?」 再び盃を傾き掛けていた魔理沙がきょとんとして霊夢を見つめ、それからくっくっくっと笑い始める。酒のせいか、少し頬に赤みの差した、艶っぽい笑み。 「なによ。何がおかしいのよ」 「いや、別になんでもないぜ」 「凝ってる嘘ならともかく、見え透いた嘘は嫌いよ。ちゃんといいなさいよ」 「ほら、飲めよ。今日の酒はなんだか格別に旨くなってきたぜ」 「………………もう」 魔法使いが差し出した徳利に、くちびるをとんがらせながら、盃を受ける。 風の方向が少し変わった。 緩やかなカーブを描いて、櫻林に息吹が奔る。 霊夢の盃の中に、飛び損なった桜の花びらが一枚、落ちて波紋を表した。 ほろ酔い加減になってきた霊夢は、一口飲み込んで、思い出す。 そういえばさっき顔についていた筈の花びらは、何処かに飛んで行ってしまったのかしら。 この風に煽られて蒼天高く、天蓋の果てへの旅路についてしまったのだろうか。眠りを散々邪魔してくれた悪戯者だったが、そう考えると、少しだけ寂しい感じがする。 ……いや、或いは。 この近くでまた、私の頬に悪戯しようと企んでいるのかもしれない。何しろ、櫻はこれだけ満開なのだから。木を隠すには森というではないか。 魔理沙のいうとおり、完全な酔っぱらいになる前に部屋に戻った方が良いのかもしれない。 安らかな眠りを得るために。 櫻に魔法を施される、その前に。 黒衣の少女が櫻の天井の、その遙か遠くに視線を投げる。 彼女がいったとおり、この酒は美味しいと思う。 「今日は花見日和だぜ」 「そうね」 言葉はそれっきり途切れる。 其の櫻 眠れる巫女の 頬にゐて 朱(酒)に染まりつつ 春風を視る (初出 東方創想話) |
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