■ エピローグ


 六十年の櫻を感じる。
 罪深き紫の櫻の花が、高い高い天空の果てにまで舞う。
 そのひとひらずつすべてが、私の体を通り過ぎていくのを感じる。
 だから私は、
 花に呼ばれるようにして、
 ゆっくりと目を開く――。


 赤銅色の空。
 咎人が未来永劫もがき苦しむ地獄の劫火にも似た、幻想郷の一日の終わり。
 どんなに美しい一日にも訪れる終末の時間。
 多分五十六億七千万年後にも、この光景は変わらない。
 私にとっての空とはこれだ。
 罪の具現化した紫の色……薄暮の刹那でしかない。
 そんな空を見上げて、
 そこに覆い被さる紫の櫻を見上げて、
 私は、四季映姫しきえいきはここに立っている。
 足元を見ると、点在する彼岸花が無言で立ち尽くしていた。
 その周囲を花にもなりきれない幽霊たちが揺らめいている。
 無縁塚。
 楽園たる幻想郷において、もっとも寂寞とした場所のひとつ。
 死を自ら望んだ人々の領域。
 私が今こうしてここで目覚めたということは、それがあの六十年の周期に従う定めの裁きの時だということを示している。
 私には自分で何処にいようという意思がない。必要がない。
 そも、神の側からは場所という概念は存在しないのだ。人間の意味付けは私に影響を及ぼさない。存在すべき場所に、存在すべき時間、存在しているのが私。すべては絶対的な審判を下すためだけの劫たる機構。
 その概念は決して揺るぎはしない。
 けれども――
 瞼を閉じて、紫の櫻と彼岸花を一端視界から隠す。
 途端、この春に幻想郷において開花した、ありとあらゆる花を感じる。体内の宇宙で咲き誇るのを感じる。
 紫の櫻は罪人の花。
 でも、千の花にはそれぞれ、千の罪が宿っている。
 全ての花には全ての罪が宿っている。
 世界が膨張すればするほど、罪は深く大きくなっていく。
 罪をなした人が消え去っても、その罪を忘れないように花は咲く。
 顕界で失われた花が幻想郷で咲くのは、刻まれた罪の故に。
 いつか人は許されても、罪は決して許されないのだから。
 それも知らずに、浅慮な人々は世界をどんどん広げていく。
 幻想郷も例外ではない。いやむしろ、幻想郷こそが人々の妄想の結実なのだ。
 そして、私はまた深く、自分の中に降りていく。
 満開の幻想郷を抱きしめる。
 なぜならば……私の名前は四季映姫
 幻想郷を裁く裁判官であると同時に、幻想郷を完全に写し取る鏡像でもある。
 完璧に区分された四季を完全に映し出すのは、千の世界を巡ってもこの幻想郷だけ。
 では何故?
 閻魔である自分に、どうして固有の名前があるのか。
 幻想郷そのものではなく、幻想郷を映し出す鏡のような名前を。
 幻想郷がなければ存在し得ないような名前を。
 ただ裁判官として存在していればいいだけのはずの私に、
 千の花を感じるための情緒をもたらすこの因果な名前を。


 「きっと、
  罪を裁く私自身が、
  罪なのでしょう」


 私の口が自動的につむぐその言葉は、恐らくは真実を指し示す言葉は、決して誰にも届くことはない。私は理としての閻魔。私は絶対者であって、客体ではない。私は断罪する者であって、断罪される者ではない。私を裁くべき者は誰もいないのだから。
 だから、きっと、その代わりに、
 私は知っているのだ。
 幻想郷を映すもう一枚の鏡が、もう間も無くやってくることを。
 この場所に。定められた無縁塚に。
「……あんた、さっきの死神の上司でしょ。この花の異変はあんたたちの不手際よね?」
 それは、本当にちっぽけな少女だ。
 紅と白の衣装をまとい、申し訳のような神具を身につけて、ゆっくりと歩み来る。
 多分、流行り病のひとつも巻き起これば、無数の人々と同じようにあっさりと三途の川を渡ってしまうだろう、至って普通の少女。自分の世界の狭隘さを知らず、自分の世界に安易に充足し、自分の世界から全てを眺めようとする、取るにたりない存在。自信に満ちた瞳。生命力をそのまま示す若さ。
 なのに。
 幻想郷は、彼女がいないと成立しない。
 いやむしろ、彼女は幻想郷自身である。
 妖怪を従え、時を歪め、生と死の境界すら飛び越える。西洋の悪魔も東洋の怨念も従え、異星の存在すらその位相をずらしてしまう。場合によっては自分の職責を超えて、神とすら対峙する。
 幻想郷は彼女によって――博麗の巫女によって守られているのだ。
 彼女は罪の結晶だ。
 幻想郷の結晶だ。


 彼女に私は倒せない。彼女に私は裁けない。それは物事の理だから。
 でももし、彼女が満開の幻想郷そのものだとしたら――
 今の私を写し込んだ鏡だとしたら。
 唯今、この瞬間にだけ、
 成立する審判があるだろう。
 六十年前がそうであったように、
 何もかも全てが変わってしまう前に。
 今、この瞬間、四季映姫と博麗霊夢との間にだけ通じる審判を。
 千界が満開になり、無限に膨張しつづける世界の中央で。
 儚く踊る紅白の蝶と、
 それを向かい入れる一輪の彼岸花と、
 降り注ぐ紫の櫻の下で、
 弾幕という罪が総て降り注いで、
 いつか白く咲き誇るその日まで、


「――断罪するがいい!」 





       ...to be continued for "Phantasmagolia of Flower View."


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