■ 水仙 Narcissus 【メディスン・メランコリー】 いつのころからか、ある山の中に人形の女の子が一人で棲んでいました。 名前を、メディスン・メランコリー。 この子は元々、人間が鈴蘭の花畑に捨てた人形でした。 鈴蘭は多少ですが毒をもっています。その澱んだ毒がたくさん集まって、人形の中に入りこみ、やがて魂をもつようになったのが、メディスンなのです。人の形を模しているだけあって、人形には精気が集まり易いのです。 メディスンは長い間一人で、山奥の鈴蘭畑で暮らしてきました。ですから、メディスンは外界のことについてまったくの無知だったのです。でも少し前に、春も夏も秋も冬もひとしく、四季全部の花が一斉に開花するという不可思議な事件が起こりました。この際にメディスンは、自分以外の人間や妖怪や、鈴蘭以外のさまざまな花のことを初めて知り、世界の広さを少しだけ学びました。 でも、それはほんとうに最初の第一歩にしか過ぎません。 学ぶということが際限のないことだということを、この女の子はよく理解していませんでした。 だから、春に花の事件がおわり、夏が過ぎて鈴蘭畑が来年まで眠りに就いた頃から、住まいにしている小さなほこらに座り込み、ほとんど出掛けなくなってしまいました。 来年ふたたび、鈴蘭畑が真っ白に広がっていくのを夢見ながら、メディスンは棄てられた人形そのままに、ただぼんやりと時間を過ごしていきます。彼女の住処は山奥のそのまた向こうでしたから、もともと人が訪れるような場所ではありませんでした。その上、雪が舞い始めると、うっすらとした獣道さえ途切れ途切れになってしまって。 メディスンは暗い住まいでただ一人、じっと春を待つのでした。 さて、話は変わって。 山の麓のその近くの、奥深い竹やぶの中にあるお屋敷では、一人のウサギが困っていました。 名前は、因幡てゐ。 ちょっと変わった名前ですが、女の子です。彼女は人間よりもずっと長生きをしている、妖怪ウサギなのです。 てゐには悪癖がありました。言葉の端々でウソをつくのです。 あんまりにも酷いので、一緒に住んでいる薬師の先生や、お姉さんのようなウサギの少女は、てゐの言葉を最近ではほとんど信じてくれません。信用がないということは、ウソも通じないということです。雪がとんでもなく積もるこの里では、誰も彼もが冬篭りをしてしまい、外に出て誰かをウソで引っ掛けることも出来なくなってしまいます。ウソを信じてくれる相手がいないのは、てゐにとってもひどく退屈でした。自分勝手極まりないのですが、てゐ自身にとっては一大事でした。 そこで、てゐはウサギなりに知恵を巡らせました。 「ウソが信じられるようになるためには、少しばかり本当のことをいうことが必要ね」 全部がウソでは、ウソが本当になってしまう。 だから、お屋敷の住人にとっていいこと、為になることをやってみよう。 でも……自分に一体何ができるだろう? 当然ながら、お屋敷の仕事を真面目にこつこつこなすという至極当然なの発想は、てゐの考えの埒外でした。 あれこれ悩んでいたある日、お屋敷に届いた新聞をたまたま読んでいたてゐは、「これだ!」と閃いたのでした。 『花の事件の余波か? 山奥の盆地に水仙が異常繁殖中』 新聞には、その周辺をたまたま通りがかった天狗の新聞記者が、満開に咲き誇る黄色い水仙の花畑を写真に収めたことが書かれていました。もちろん、それはとりたてて大事件ではなく、小さな写真と一緒にたった数行記載された、穴埋めのような内容でした。 ですが、てゐは以前に薬師の方からお話を聞いていたので、水仙が役に立つ薬になることを知っていました。勿論、毒にもなることも。 この水仙をたんまり持ってかえれば、自分への信用はうなぎ登りで、結果ウソもつきやすくなることでしょう。都合良くそう考えて、てゐはにんまりと笑いました。 ですが、新聞には正確な場所も書いてありませんし、自分で全部探して、重労働をしてまで持って帰るのも面倒です。 と。 そこでてゐは、前に山奥で出会った小さな少女人形のことを思い出しました。 人形が操る鈴蘭の毒にはてゐも酷い目に遭わされました。しばらく寝込んだりしたぐらいですから。でも、もし自分の作戦がうまくいくのなら、これはきっと一石二鳥になると確信したのでした。人形に効率のよい仕返しが出来ると考えたのです。てゐはたちが悪いことに、こういうことにかけて自分が結構運がいいことを自覚していました。 しばらくして。 てゐは以前に訪れた鈴蘭畑に向かいました。 花畑だった場所はちらほらと雪がつもった荒野になっていましたが、人形の女の子……メディスンが住んでいる場所は程なく見つけられました。なにしろ、てゐは運がいいのです。 静まり返ったほこらにてゐが足を踏みいれると、冷え切った空気が微かに震えて、メディスンはすぐに気づきました。 「だれなの?」 「だれでもないよ」 「声でわかるわよ。前にスーさんの場所に入り込んで、毒に当たって死にかけた馬鹿なウサギでしょ」 メディスンは、鈴蘭のことをスーさんと呼ぶのです。 「私はそんなウサギじゃないもん。可哀想で賢くて可愛いウサギの間違いね」 「ウサギなんてどれだってそんなもんよ。今はスーさんいないけど、スーさんの毒なら沢山あるわよ? 今度こそ致死量ぐらいほしいのかしら。契約なんてしなくたって沢山わけてあげるわよ」 「そんな暢気なこといっていていいの? 来年はあんたのスーさんが大変なことになるかもしれないっていうのに」 「……どういうこと?」 メディスンははじめて体を起こし、てゐの方を向きました。一方、メディスンの毒を警戒するてゐは、ほこらの入り口で諭すように人差し指を立てます。薬師の方の真似をしているのでした。 「あんたはこんな場所に閉じ篭っているからしらないでしょうけど、今年は山々で水仙が異常に沢山咲いているのよ」 「水仙? あの黄色い花ね。春に見たわ」 「そうそう。水仙はね、もともと冬に咲く花なの。で、今が最盛期というわけ」 「ふうん。冬に咲くなんて、変わった花ね」 「その水仙は、この山の近くにも咲いているわ。不安にならない? 冬の間に水仙が咲き誇ったら、鈴蘭が咲く分の栄養を土から全部吸い取ってしまうのよ。貴方のスーさんは、来年は姿を見せないか、大幅に減少かもしれないわね」 メディスンは、初めて嫌な気分になりました。鈴蘭畑は、いわば自分の分身です。春から夏にかけて盛大に咲き誇るあの姿をみられなくなるのは我慢ができません。自分はそれだけを楽しみに冬を越そうとしていたのですから。 ただ……この妖怪ウサギが、自分に忠告をするためだけにこんな山奥までくるなんて考えられません。 「また騙そうとしてるんじゃないでしょうね?」 「自分で確かめてみればいいんじゃない? 私の言葉がウソかどうかなんて、花を見れば一瞬でわかることだわ」 いわれてみれば、確かにその通りでした。 現状ではどちらに転んでも、この話はメディスンにとって損になるようには思えません。 てゐが妙な企みをしているとしても、鈴蘭の毒で追い払えばいいだけのことですし。 しばらく考えた後、メディスンはほこらを出てみることにしました。てゐはメディスンと距離を取りながら、真剣な表情で呼びかけます。 「水仙のこと、私も気になるから、ここで貴方の帰りを待っているわ」 「一緒には行かないのね」 「私の罠だと思われたくないからね」 てゐは、メディスンが自分のことをどう思っているかよく分かっているようでした。それならば、メディスンが同行を強いる理由はありません。 人形の少女は、黙って冬の空へと飛び立ちました。 問題の水仙の畑は、一時間もしないうちに見つかりました。 空から見ると黄色い絨毯のように見えます。確かに、尾根を伝って勢力を広げているように見えましたが、鈴蘭畑に影響を及ぼすほどには思えませんでした。 ところが。 問題は、むしろ水仙よりも、メディスン自身の方に発生してしまったのです。 水仙の世界に降り立ったメディスンは、一瞬にしてその強い黄色の花に魅了されてしまいました。 雪混じりの土の上でもたくましく、しっかりと背を伸ばして咲くその花は、メディスンが今までに知っている鈴蘭の美しさとはまた別個の、逆らい難い魅力を備えていたのです。 メディスンは呆気に取られて、その光景のまえに立ち尽くしていました。 人間で言うところの一目惚れというやつでしょうか。 時間を忘れて、水仙の花に見とれしまったのです。 メディスンが自分のほこらに戻ったのは、随分と時間が経ってからでした。 てゐは寒さをしのぐために、ほこらの入り口で焚き火をしていました。 「……あんた、まだいたの?」 ぼんやりとそういうメディスンに、てゐは口を尖がらせます。 「随分と時間が掛かったわね。あんまりお腹が減ったから、焚き火をして自分から火に飛びこみそうになっちゃったわよ」 「ふーん」 メディスンはなんだか上の空で答えます。 その様子を、てゐは注意深く観察していました。 「で、水仙は見つかったのかしら?」 「見つかったわよ。あんなの探すまでもないじゃない」 「あなたの鈴蘭畑は大丈夫そうだった?」 「あんたが死んでも咲きつづけるぐらいは大丈夫よ」 メディスンの憎まれ口だと分かっていても、てゐは少し傷つきました。やることなすことウソだらけのてゐですが、健康だけにはいつも細心の注意を払っているからです。ただ、それはなるべく顔に出さないようにして、てゐはメディスンに問い掛けます。 「でも、その割にはあまり嬉しくなさそうじゃない?」 「そんなこと……ないわ」 「そう? だったら――水仙の綺麗さに吃驚したとか」 メディスンは否定しようとして、ちょっと言葉を濁しました。 あの鮮やかな黄色が、瞳を閉じても焼き付いているような気がします。最近ほこらから一歩も外に出ないで暮らしていたのがまずかったのでしょうか。それを確かめるためにも、なんだかもう一度、鈴蘭の畑を見に行きたくなってきました。 その様子をてゐは見逃しません。 「図星みたいね。だったら、沢山ある水仙を摘んで来て、ここに飾ってみたくない? ちょっと薄暗くて寂しいこの場所が、きっと鮮やかで楽しい場所に変わるわ。それに、水仙を摘んでおけば、来年の鈴蘭が咲く場所を確保することもできる。これって一石二鳥だと思わない?」 あの黄色で、自分の住処を飾り立てる。 今のメディスンにとって、確かにそれは名案に思えました。雪にも邪魔されないで、あの黄色に囲まれて暮らせるなんて素晴らしいに違いありません。それに、来年の鈴蘭についても見越した行動であると思えば、新しい花とのちょっとした冒険も悪くはありませんでした。 「あんたにそんなこと……言われる筋合いはないんだけど」 「私はただ、ちょおっとここが寂しいから提案しているだけなのよ。ただもしよかったら、貴方が摘んだ水仙を分けてほしいなって思っているけど」 「……そう。結局、あんたは楽をして水仙が欲しいだけなのね」 「でも、貴方も水仙が欲しいんでしょ。そのついででいいのよね、私としては」 確かに、それは否定できません。 うまく乗せられているというのは理解しながら、メディスンはてゐの提案を断りきれませんでした。 「んじゃ、しばらくしたらまた来るから、それまでに幾らか摘んでおいてね」 「気が向いたらね」 言葉ではそういうものの、メディスンはもう一度水仙畑を見に行きたくてたまりませんでした。早くてゐが帰ってくれるのを心待ちにしています。だから、てゐが姿を消した途端、彼女は灰色の空に向かって一目散に飛び立っていったのでした。 一方、てゐは笑いが止まりませんでした。多少興味を持たせるだけのつもりが、メディスンはもはや水仙にめろめろではありませんか。存外にまでメディスンの気持ちを掌握したてゐは、自分が仕掛けた罠が機能すると確信し、いやらしい薄ら笑いを浮かべながら帰途に就いたのでした。 その日から、メディスンの生活は変わりました。 ほこらの中にも入り口にも、自分の使う椅子にも机にも鏡台にも、あらゆるところに水仙の花を飾りました。ほこらの周辺に水仙を植え替えたりもしました。何しろ、水仙は採っても採ってもきりがありません。浮かんだ考え全てを実行しても、まだ水仙は充ち満ちていました。むしろ、水仙の畑は日ごとに広がっていくような錯覚すら覚えました。 つい先日まで、ただ鈴蘭の季節を待ってじいっとしていた自分が信じられず、今はその無気力さが不気味にすら感じられるのでした。振り返って、水仙で着飾った自分は、なんと輝いているのでしょう! 雪の白さも水仙の明るい黄色を照り返しているかのように思えてきます。てゐの善意は信じられなかったものの、正直、もうそんなことはどうでもよくなっていました。 水仙のない生活なんて考えられなくなっていたのです。 メディスンのほこらの近くは異常な早さで黄色に染まり、彼女は取り憑かれたかのように、水仙を運びました。 植え替えて行く土地には、夏に鈴蘭が花をつけていた場所も含まれていました。 恋は盲目とはよくいったもので、まさにメディスンは、黄色の魔力に心を奪われてしまっていたのです。 そして、 水仙がメディスンを取り囲んだその状況こそ、 てゐの仕掛けた罠だったのです。 水仙にも、鈴蘭と同様に少量の毒があります。 もし、水仙を周囲において生活をすると、メディスンは当然水仙の毒を取りこむことになるのです。 彼女は人の姿を模した人形ですから、人の悪意が淀むように毒を取りこみ易く……いいえむしろ、体内に取りこまれた毒こそが彼女の意志の方向性を決めるのです。 彼女は水仙に包囲されて生活を続けるうちに、水仙の毒に冒され、自然と鈴蘭の影響を薄めていきました。鈴蘭のことを忘れたわけではありませんが、なんだかどうでもよくなってくるのです。おまけに、水仙は冬にも負けない強い花です。メディスンに強い影響を与えるのは必然でした。 ほこらの周辺にも中にも、黄色い水仙が埋め尽くしてしまうと、メディスンはまたぱたりと動くのをやめてしまいました。もう、水仙を見ているだけで幸せだったからです。 まるで、阿片に冒された患者のように。 幸せにはもちろん、いろんな形がありますが、来年の夏の鈴蘭畑を想像できないメディスンを取り囲んだ水仙の幸せは、甘くも恐ろしいものだったのです。 「ねぇスーさん、あなたは鈴蘭だったっけ? そうじゃなくて……水仙だったっけ?」 記憶さえ混濁していきます。 これではもう、毒を能動的に使っててゐを追い払うことも出来ないでしょう。 むかし人間に棄てられた時と同じように、ほとんど壊れかけたメディスンは、水仙畑の中で動かなくなっていくのでした。 と、そこへ一人の女の子が訪れました。 「妙に強い花の気配がすると思ったら、こういうことだったのね」 その女の子は、水仙の花で埋め尽くされたほこらに入ると、雪の積もった傘を折りたたんで溜息をつきました。そして、奥で花に包まれているメディスンを見つけました。メディスンも来訪者に気づいていましたが、ぴくりとも動きません。水仙に囲まれて幸せだったから、別に誰が来ようが構わなかったのです。 「幼い心なのにこんな無茶をするから、花に取りこまれてしまうのよ。自分の意思がどこまでなのか解らない子には、花との深いお付き合いは薦めないわね」 そういうと、女の子は両手をパンと一度鳴らして、そこに現れたものをメディスンに差し出しました。 それは、冬には決して咲かないはずの……鈴蘭の花だったのです。 受け取ったメディスンの思考が、まるで曇った窓を拭うかのように晴れ渡っていきます。 そして同時に、自分を取り囲む黄色の花々に、急速に疑念と不信が沸き起こっていくのを感じるのでした。 来訪者の名前は風見幽香といいます。 彼女は世界中の花を操る妖怪で、季節の花を追って旅しながら一年を過ごしているのだといいました。 だから、鈴蘭を一輪出すことぐらいは朝飯前だったのです。 全ての水仙を入り口付近に片付けて、ほこらは元の簡素な場所に戻りました。それから、幽香はメディスンに語り掛けました。 「水仙の花につけられた西洋の名前には、滑稽な逸話があるの。池に映った自分の姿に恋をして、その自分を抱きしめようとした挙句に池に落ちたんだって。人間の精神は本当に弱くて面白いわね」 そして、幽香は、水仙に人間が与えた言葉が「 「でも、人形の貴方なら、そういう言葉を与えた人間の気持ちだってわかるんじゃない?」 メディスンは考えました。 どこまでも生い茂った鈴蘭と、そこから得た毒の力は、自分にとって大きな物で。 人間達との邂逅によって、それが他の人にだって通用することも知った。 スーさんと私は、自分たちはとっても強いんだって、気づいた。 だから、鈴蘭畑が満開になる季節まで、一人でも待っていられると思ったんだ。 でも、それはきっと、自惚れだった。だからこんなに簡単に、水仙に取りこまれてしまった。 「自分を他人に変えられてしまう事の怖さを知ったでしょう?」 そう。今となってはとても怖い。 どうしてあんなに水仙に狂ったのか。 その原因は明確には説明できないのだから。あれはきっと、狂気だと思う。 「だからきっと、今度は貴方が他の人に与える影響について考えを巡らせることが出来るようになる。そうすればもっともっと、貴方は強くなれるわ。それでも私には全然勝てないけどね」 幽香は自分のことを、長く生き過ぎた妖怪だといいました。それが原因で閻魔様と喧嘩をしたこともあるといって笑います。それでも、世の中には知らないことが沢山ある、とも。 それから幽香は、水仙を見せてもらったお礼だといって、世界全土に咲く沢山の花の話をメディスンに聞かせました。物事を知らないメディスンにとって、想像すら難しいことばかりでしたが、それでもメディスンは黙って聞きつづけました。 そして、心の奥で再び思いました。春が来たらまた、外に出てみようと。 鈴蘭の季節を待つ間にも、新しく知れることが沢山あるだろうから。 だったら、次は、鈴蘭だって水仙だって、もっと綺麗に見えるかもしれない。 細い指で、貰った鈴蘭の花を触りながら、メディスンはそう、静かに思うのでした。 「……ところで」 幽香は思い出したようにいいました。 「貴方を罠に 「ええ、水仙を持って帰りたいっていってたけれど」 「そう。それなら」 幽香は 「思う存分たーっぷり持って帰ってもらいましょうねぇ」 さらに数日後。 てゐはメディスンのほこらを再び訪れました。 ほこらの周辺にはちらほらと水仙が植わっています。てゐはしめしめと思い、ほこらの中に呼びかけました。 「おーい、可愛い賢いウサギさんですよー」 「相変わらず無駄に修飾語の多いウサギね」 出てきたメディスンは、前回とあまり変化がないように見えました。 「水仙ライフは満喫しているようね」 「もうブームは終わりだけどね。正直、やっぱり鈴蘭には何も勝てないわよ」 「貴方にとっては、冬に鈴蘭が咲いてれば完璧なんだね」 「織姫と彦星が毎日会っていれば、多分 てゐはメディスンを観察していますが、水仙では鈴蘭の毒を相殺するまでには至らなかったのでしょうか? でも、人形らしいエキセントリックな表情は影を潜めているようにも受け取れます。どうしたものかとてゐが一瞬迷っていると、メディスンは部屋の隅の方を指差しました。 「ほら、取ってきた水仙を袋に詰めておいたわ。持って帰るんでしょう?」 まるでサンタクロースの装備みたいにパンパンと詰まった袋。紐で口を縛ってありますが、その上から数輪の水仙があふれているのが見えました。 「あ、もう準備してくれたんだ。気が利くわね」 「水仙のことを教えてくれたお礼よ」 「たまには違う花と暮らすのも悪くないでしょ。このお宇佐様の御心に感謝しなさいよ」 「ええ、全くだわ。もう飽きたけどね」 「そりゃ結構。じゃ、もってくねー」 大きな袋を担いで山を降りていくてゐを、メディスンは妖怪にふさわしい、結構凶悪な笑顔で見送ったのでした。 てゐは ひとつ ところが。 山を半分ぐらい降りたところあたりから、背中に背負った袋が、なんだかどんどん重たくなってくるように感じ始めたのです。最初は気のせいかなと思っていたのですが、下り坂だというのに、足取りが重くて重くてしかたありません。 どうにもおかしい。なんか変だ。 そう思ったてゐは、冷や汗をかきながら、とても持っていられなくなった袋をよろよろと地面に下ろし、中を するとどうでしょう! 水仙が入っていたのは袋の三分の一だけで、下のほうには新鮮な鈴蘭がぎゅうぎゅうに押し込まれているではありませんか! しかも、袋の中に充満していた鈴蘭の毒をまともに浴びて、てゐは苦しいやら目が回るやらで大変です。つまり、袋が重たくなっていたのではなく、担いでいた袋から漏れた鈴蘭の毒が、てゐの体を次第に冒してつつあったのでした。 もちろん、鈴蘭はあの花使いの少女の仕業です。 てゐはついに、誰もいない山道でごろんと転がってしまいました。まともに喋ることも、立ちあがることも出来ません。 しばらくして、当の幽香が、優雅に傘をくるくると回しながら現れます。 「あらあら、こんなところで寝転がると、風邪を引くわよ? ま、風邪の方がずっと楽だろうけどさ」 てゐはこの少女のことを以前から知っていました。 そして、メディスンのウソの後ろで、この少女が糸を引いていたとすぐに悟ったのです。 ウソをついて陥れるつもりが、自分が嵌められていたとは。悔しくて悔しくてたまりませんでしたが、どうすることもできません。とにかく、今はウソをついてでも助けてもらわないことには。 ところが、普段はよく回る舌がしびれて全然動かないのです。 それを澄ました顔で見下ろしている少女は、再びにこやかに傘を回しました。 「ええ、分かっているわ。永遠亭まで連れていってあげるから安心しなさいな。今回の顛末を姫様たちに話したら、いい暇つぶしになって喜ばれるでしょうね。もちろん、水仙の花はみんなで取りに行くでしょうから、心配しないで。せっかくの貴方の心遣いは無駄にならないわ」 もう、ぐうの音も出ませんでした。冬の間、同居人たちから白い目で見られつづけるのは間違いありません。 「でもまぁ、連れていくにしても応急処置はしないとねぇ。……ええと、倒れたウサギには傷口に塩水をすりこむのがいいんだったっけ?」 「ひゃ、ひゃめてへえええええ」 ところで、メディスンはてゐにもう一つウソをついていました。 水仙に完全に飽きてしまったわけではないのです。 それが証拠に、一際大きな一輪が今も、彼女の頭の上に飾られています。彼女は鈴蘭と一心同体の存在ですが、なにも水仙を楽しむ生き方まで捨てる必要はないと学んだのです。味気のない冬よりは、鮮やかに黄色い冬の方が楽しいに決まっています。 それは、鈴蘭しか知らない純粋な生き方に比べれば、濁ってしまったのかもしれません。罪なのかもしれません。 でもそれがきっと、学ぶということなのです。 こうして少しずつ、メディスンは世の中の だから、 鏡の中、自分と共に咲く水仙の花を見て、 メディスンは一人、秘密めいた、春のような微笑を浮かべているのです。 |
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