■ 春 〜導入


 木々の間を歩いていても、花の香りに包まれている。
 森は無数の色彩に充ちていた。
 霊夢は出掛ける際、いつものように手早く飛び立とうとはしなかった。神社から階段を歩いて降りると、森の小径をゆっくり、スキップするかのような足取りで進んでいく。
 ウェーブするかのように流れていく道の左右には、森の中には咲かないはずの優しい暖色系の花が咲き誇り、まるで花冠のように鮮やかに縁取られていた。
 ときおり枝々を掠めて吹き抜ける薫風が、長く波打つ霊夢の髪を枝垂桜のように揺らしている。
 目覚めた時には大蛇のようにとぐろを巻いていた髪を、鋏で適当にそろえてから出発したのだが、それでも普段よりは随分と長くなっていた。
 ただ、霊夢の足取りはいつも以上に軽い。
 髪の重さなど微塵も感じさせないステップで、森の迷路を、花々の絨毯の上を渡っていく。
 道にそって徒然にしばらく進むと、一面がやさしげなイエローで統一された道に出た。
 路傍の花の大半は蒲公英で、黄色い花であったり白い綿毛をつけていたりと時期はバラバラだけれど、おおよそ季節を無視した花々に覆われた幻想郷に於いて、この小径は春色の雰囲気を保っていた。
「正直言って、今回は見当がつかないわね……誰がこんなことを企んだのやら。あるのは花ばかりじゃ、鼻がおかしくなっちゃうわよ」
「それにしちゃえらくご機嫌じゃないか、霊夢」
 聞き慣れた声が耳に届く。
 カラフルな世界において、待ち伏せするかのように立っている黒と白の衣装の少女。無彩色な服とは正反対の表情をたたえ、トレードマークの箒を肩に担いで三角帽子の鍔をちょいと上げてみせる、顔見知りの魔法使いだ。
 周囲の花々が彼女の笑顔をいつも以上に飾り立てているように見えた。
 霊夢は満艦飾の花を見つけてしまったような表情を浮かべる。
「あんただって、まるで竹の花が咲いているような顔してるじゃない」
「実際に咲いてたぜ。竹林でもう三時間ほど迷ってきたからな」
 霧雨魔理沙はしれっと言い放つ。彼女は面白いことが大体に於いて行動基準になる人間だ。花を見て回るよりも、花について行動を起こした巫女と戯れる方が面白いと判断したのだろう。熱しやすく冷めやすい魔法少女の行動は読みやすかった。
「で、やることは一緒ってことかしら?」
「花見って事か?」
「まぁうるさい花見も嫌いじゃないけれど、もう少し遠くでやらない? 折角の静かな小径なんだから、騒ぐのは悪いわ」
「ま、ここの花はいつもの季節通りに春を楽しんでいるみたいだからな。そっとしておいてやるというお前の考えは正しいかも知れないな」
「あら、私はいつも正しいわよ。大体、いつもなら適当に行って戦っていればそのうち犯人が居るのよね」
「それはいいけど、私を疑うのは間違いだな。こんな大規模な面倒起こせるなら、飛び上がって喜んでるはずだから」
「それを確かめるのも巫女の仕事よ!」
 ……巫女と魔法使いが静かにその場を去った後。空で暖められた微風が森の小径を撫でると、少女達の心遣いに感謝するかのように、無数の蒲公英が一斉に白い綿毛を飛ばし始めた。


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