燐光蓄音機



 とおい東の国の、魔法の森のおく深くに、ひとりの魔法使いが住んでいました。
 魔法使いといってもかぎ鼻のおばあさんではありません。
 まだまだ若くて、ちょっと新米にみえる魔法使いです。
 三角帽子に黒い服、ほうきで空を飛んだりもしますが、あまりこわい感じではありませんでした。
 彼女は魔法の森に一人ででくらしていますが、別にさびしいとは感じません。
 ちかくの神社には友だちもすんでいますし、あちこち出かけることも多いし、知り合いはそれなりに多いのです。
 それに、人にたいしてうらんだり、悪く思ったり、のろったりすることもありません。
 ただ、自分の好きなことを全部きちんとやりたいために、一人ですんでいるのです。
 この点も、よくしられる悪い魔法使いとはちがっている部分でした。


 さて、その魔法使いはここのところ何日も、ある探しものをしています。
 それは、自分の聞いたここちよい歌や音楽をくり返し何度も聞けるような、そんな魔法なのでした。これまでなんかいも、心地よい調べを聞いては手にいれることができなくて、魔法使いはくやしい思いをしていたのです。本であれば、同じページをめくれば何度も読めますけれど、音楽はそうかんたんにはいきませんからね。
 彼女のような人間を、むずかしい言葉で「蒐集家」といいます。
 さて――魔法使いがその機械を見つけたのは、知りあいの道具屋でのことでした。
 自分のしらない世界から流れついたその機械は、ボタン一つで音をつかまえたり、何度も鳴らしたりすることができるという、夢のようなものです。でも、ただ持っているだけではたんなるガラクタに過ぎません。
 魔法使いがほしいのは、それを動かすためのパワーとなるものだったのです。
 音をとじこめる機械をゆずり受けた、顔なじみの道具屋のあるじがいうには、これを動かすには「電気」という力が必要だということでした。
 電気というのは、光の力、つまりイナズマとおなじ力ということです。
 魔法使いですから、電撃の魔法のこころえは多少あったりするのですが、それをそのまま機械にぶつけたのでは、こわれてしまいますね。つまりは、電気をしずかにたくわえて、車を引くためにひもをひっぱるように、ゆっくりと機械に送るからくりがいるのです。
 でも、イナズマをつかまえるのは本当にむつかしいことです。
 なにしろ世界で一番はやいものですから。魔法使いもすばやい動きにはそれなりに自信がありますが、さすがにイナズマをつかまえられるとは思いません。
 だから、魔法使いはこう考えました。
「同じ光でも、星の光ぐらいなら強さもちょうどいい気がするぜ。それに、夜空にはあんなにたくさんかがやいているのだから、一つぐらいもらっても大丈夫だろう」
 それは魔法使いにとって、とてもすばらしい思いつきに思えました。
 なにしろ夜になれば、星は夜空のすべてで輝いているのですから。いつ光るかわからないイナズマよりはずっとかんたんに手に入る気がします。
 そして魔法使いは、だいたいにおいて夜に行動するもので、星は太陽よりもしたしいものでした。


 さて、魔法使いは今夜も夜空をさんぽしていました。
 頭の上には目的の星がきらきらぴかぴかと数かぎりなく光っているのですが、いざつかまえるとなるとむずかしいものです。ちょっと見には虫取りアミでもとどくぐらいの高さに見えるのですけどね。
 しかも、この若い魔法使いは、しょうしょうひねくれ者でした。
「やれやれ、なんとかして星を呼べないかなぁ。向こうまでいくよりは、こっちに呼びよせたほうが楽だと思うんだけどな。うーん」
 ひとりごとをいいながら、ほうきの上で腕を組みながら、魔女は飛んでいきます。
 ほうきにぶら下げたランプの明かりが、まるで空をいくヒコウキや人工衛星のようにゆっくりとまたたきます。それは、ふつうの魔法使いのイメージとはちがっていて、ちっともこわくないのでした。
 と。
 魔法使いは、森の一角からたいそうきれいな歌声が聞こえてくるのに気づきました。
 闇夜ににあわない、青い空のようにすみきったソプラノです。
 みれば、とんがった針のような木々の間にかくれるようにして、小さな家が立っていました。これはふしぎです。ふだんいつも通っているはずなのに、いままでそこに家があることを魔法使いはしりませんでした。
「妙だぜ」
 そう考えると少しこわくもなりそうですが、そこはそれ、彼女は魔法使いですから逆に面白がって、まっすぐにおりていきました。
 着地してほうきからとびおりると、魔法使いは赤茶色のドアのノッカーを鳴らしました。
 そおっと開いたドアからこわごわのぞき込んでいるのは、魔法使いと同じ年くらいの小さな女の子でした。
「こんばんわ。用事はないけど立ちよらせてもらったぜ」
「……………………」
「さっき歌が聞こえてきたんだけど、あんたが歌っていたのか?」
 女の子ははずかしそうに、少しさびしそうに頷きます。
「夜にひとりで歌なんか歌うと、たちのわるい妖怪をよびよせたりすることもあると思うんだが。ま、私は魔法使いだけどな」
「……………………」
 女の子は少しばかり顔を伏せます。と、魔法使いの両の目が、彼女が首からさげているネックレスにすいつけられました。なぜなら……胸でかがやく五角形の、星の細工のネックレスが、ほのかに明るくかがやいているではありませんか。
 それは、まるで本物の星のように自らの力でかがやいています。
 すぐに立ち去るつもりだった魔法使いはそれを見るなり、
「あー、せっかくだからおじゃまをするぜ」
 女の子のこたえも聞かずに、家の中へと入りこみました。たいへん気まぐれな彼女にとって、このくらいの強引さはいつものことでした。
 女の子はことわりりきれない性格なのか、顔をくもらせながらも魔法使いをこばむことはありませんでした。
 暗い家の中で、あまり明るくないランプが光っています。
 居間のまんなかにあるテーブルについた魔法使いは、女の子がゆるゆるとお茶の用意をするのをじっとながめていました。
 ふるいマグカップにお茶がそそがれ、女の子も席についてから、魔法使いはたずねました。
「その、胸で光っている星は? あまり見ない細工だけれど」
「・・・お兄ちゃんが、くれたんです」
「お兄さんがいるのか。それを見るだけで、なんだか性格がわかるような感じがするな」
 女の子はお兄さんのことをほめられたのがうれしいのか、ようやく少しだけほほえみました。
 そして、ぽつぽつと話し始めます。 
 きけば、女の子のお兄さんは何年も前に旅に出たまま帰ってこないということなのです。
 出ていく時に、かならず早く帰ってくるから、もしもっといい家を見つけたら迎えにいくから、だから待っていてくれと、そう言付けられて。
 この星は、まえにお兄さんが誕生日にプレゼントしてくれたもので、落ちてきた星を拾ったものだといったということでした。
 魔法使いが話をききながら、ふと部屋の奥を見ると、本だなの上に伏せられた写真立てがあるのがみえました。
 彼女は考えます。
 こんな場所に住んでいたことといい、女の子のお兄さんというのは魔法使いだったのではないだろうか。
 こんな場所に小さな人間の女の子が一人で住んでいても大丈夫なのは、もしかすると魔法で守られているからではないのだろうか。
 でも、それでは、きっと。
「じゃ、あの歌も、やっぱりお兄さんとの思い出の歌なのか?」
「・・・はい」
 女の子は小さくうなずきます。小さく。どこか、力ない笑みで。
「でも、ずっと待っているのはさびしくないか? あまり外にも出ないんだろうに」
「この星と、あの歌があれば……むかしの楽しかったことを思い出せるから……だから、約束をしんじて、待っていられるんです」
 女の子の言葉にこたえるように、星がきらりと光ります。
 なんだかとてもなつかしい味のついたお茶を楽しみながら、魔法使いは一つたのんでみました。
「もし良かったら、あの歌を聞かせてくれないか」
「………………」
「歌をきいてなかったら、ここを訪れることもなかったしな。いい歌なんだから、私がもう一度ちゃんと聞きたいというのも間違っていないだろう?」
 少々ためらっていた女の子ですが、ここまでの会話で魔法使いにたいしてもおびえたりしなくなっていたのでしょう。
 ゆっくり、ほおを染めながら、女の子は歌い始めます。
 虹のようにかがやくソプラノが、部屋の中に二重三重に広がっていくのです。
 彼女の胸で光るあの星の飾りが、歌に合わせてキラキラと繰りかえし点滅します。
 時にはランプよりも明るく、時には蛍の光よりもはかなく。
 心の動きそのものが光となって発光しているように、魔法使いには映ります。
 それが、蒐集家としての心をひどくゆさぶるのでした。


 魔法の形というものは、さまざまです。
 むにゃむにゃと呪文をとなえなくても、魔法をしるしたカードを振りかざさなくても、りっぱにかがやく魔法もあります。
 歌とお茶とにお礼をいってあの女の子の家をあとにした魔法使いは、彼女をしばっている魔法についてうんうんと考えていました。
 そう――あの歌も、あの星も、一人ぼっちでも気丈な彼女を支えるだいじなものだけれど、それは逆にいえば、彼女を過去という時間におしとどめている、とても強い魔法なのかもしれません。女の子は本当にお兄さんを待っているのでしょうか? 歌と星とがあみ出す時間にとどまっていたいだけではないのでしょうか。
 ……自分は悪い魔法使いみたいな考えをしているかもしれないと、変なことを自分に問いかけます。
 自分はどうしたいのだろう。
 欲しいのかな――いや、欲しい。
 あの星が、あの歌が。
 あの星ならば間違いなく、音をつかまえる機械を動かすことができそうでした。
 もしかしたら女の子のお兄さんは、天の川の星をも呼べる強力な魔法使いだったのかもしれません。
 それは「しっと」みたいなものでした。
 魔法使いが魔法で負けるというのは、たえられないことです。
 いっそのこと自分のものにしてしまえば、こんな気持ちはおこらないのかもしれませんが……。
 ただ、あの星を堂々とうばうのだけは気が引けます。いつもなら、そういうことでためらったりはしない魔法使いでしたが、はじめに女の子に会ってしまったのがまずかったのでしょうか。
  

 しかし、一度は引き下がったものの、あの星がどうあっても欲しいという魔法使いの願いはふくらむ一方です。
 次の晩も、
 次の次の晩も、
 夜の散歩であの家の上空を通りがかるたびに。
 あの悲しくて透きとおった歌声と、窓のおくでほんのりかがやく地上の星明りが、魔法使いの心をわしづかみにして放さないのでした。
 魔法使いはなんだか毎日、うでを組んでうんうんと考えています。
 どうにかしてあの星を譲り受ける方法はないだろうか?
 あれがほんとうに魔法なのだとしたら、
 ――魔法は、魔法でこえるしかない。
 それは世の中のことわり、魔法のことわりでした。
 そして。
 いったん決めてしまったら、そこにむかってわきめもふらずに進むのがこの魔法使いなのでした。

 やがて――何日もたってから、彼女はある方法を思いつきます。

 真夜中。
 午前0時をまわったころ。
 あの女の子の家。
 ノッカーをならさないようにゆっくりと、赤茶けたドアが開いていきます。
 月明りが雲でかくれる頃、とんがり帽子の影が足音を立てずにこっそりと忍びこんだのでした。
 まずは、女の子のようすをみつめます。
 ベッドの中ですやすやと眠る女の子の顔は安らかですが、やっぱりどこかさびしげです。
 枕もとにはあの星のネックレスがおかれていました。今は完全に光を失い、まるで木ぼりのようにたたずんでいます。手を伸ばしたい気持ちをぐっとこらえて、魔法使いはすみの棚にむかいました。
 先日おとずれた時にはたおされていた写真立てが、きちんと立たされています。
 それは、まるで別人かと思うぐらいのほほえみを浮かべた女の子と、女の子に肩をおいてわらう長身の男の人の写真でした。
 男の人の背格好は、魔法使いがあらかじめ予想していたのとおなじようなかんじでした。とても優しそうな人物です。
 魔法使いは写真を持ちあげて、じっとじっとながめています。
 少しだけ雲がうすくなって、月明りが窓辺からさし込むと、星のネックレスがにぶくかがやいて。
 しばらくするとまた、部屋から光は失せました。
 それでも、魔法使いはみじろぎもせず、じっとポォトレイトを覗きこんでいます。
 夜のあいだ中、ずっと、そうしているかのように。

 その夜からしばらく、魔法使いは魔法の森からいなくなりました。
 彼女がよくおとずれる神社や、なじみの古道具屋の人々は、どうしたんだろうとうわさし合いましたが、ほんきで魔法使いについて心配する人はいませんでした。魔法使いが研究でながいあいだ部屋に閉じこもって姿を見せないことはよくありましたし、だいいちあの少女がどうにかなるなんて、だれもも思っていなかったからです。
 いい意味でも、わるい意味でも、魔法使いはみなによく知られていました。

 おおよそ一ヶ月後――

 ふたたび、夜のこと。
 森のさなかの小さな家からは、あいかわらずすきとおった、さびしそうな歌声がひびいていました。
 そんな家の赤茶けた扉にかけられたノッカーを叩く、音がします。
 期待と不安とをこめて女の子がドアをあけると、そこには先日あらわれた魔法使いが立っていました。
「よう。呼ばれていないけれどまた来たぜ」
「……こんばんわ」
 見知った人物だったことにあんしんして、それから女の子はすこしおどろきます。魔法使いはなんだかドロドロに汚れています。黒い服はほこりだらけ、顔もなんにちもあらっていないようなかんじです。どこかとおくに出かけてでもいたのでしょうか。
 ともかく、女の子は部屋の中にまねき入れようとしますが、魔法使いは歯をみせて笑いました。
「いや、今日はおじゃまするつもりはないんだ。こないだのお茶はかなりおいしかったから、一回かぎりにさせてもらう。こっちも魔法にかかりそうだからな」
「・・・・・・?」
「それよりも、今夜は取引にきたぜ」
「取引?」
 魔法使いはポケットをまさぐると、しわくちゃになった一通の封筒をとりだしました。
「おせっかいだったかもしれないけれど、あんたの待ちわびている人から、手紙をあずかってきたんだ。星を捕まえることに比べれば、人探しの方がずっとかんたんだったよ」
「え・・・お兄ちゃんから・・・?」
 女の子はまるで信じられないといった表情で、それでも胸のどきどきが押さえ切れなくなったようで、ふるえる手をゆっくりと伸ばしていきます。
 ですが、魔法使いは簡単にはわたしません。
 せっかくだした手紙をふところにしまってしまいます。
「あの・・・」
「だから、取引だって言っただろう」
 魔法使いは、とても魔法使いらしいかおをして、不気味にわらいました。
「あんたがお兄さんの思い出にくるまれて生きていくのなら、これはいらないものだ。中身は私もよんでいないけれど、かえってあんたに不幸をまねき寄せるかもしれない」
「それでも、いい・・・お兄ちゃんの言葉なら、それでも・・・!」
「本当にいいのか」
 いちもにもなく、女の子は頷きます。
「なら、あんたが今もっているいちばん大切なものとひきかえようか」
 女の子はいっしゅん言葉を失いました。
 その動揺をしめすかのように、首から下げられた星がきらりと輝きます。
 その子の大切なものといえば、兄から教わった歌と、兄から貰ったネックレスしかありません。
 これはアクマとの取り引きだと、女の子は気付いたのでしょう。

 でも――
 なぜか――
 魔法使いが少しだけねがったしたようにはいかなくて――

 あまりなやむこともなく、女の子はこういいきったのです。
「それでも・・・それでもかまわない。今までのものを失っても、それでも」
 その力強さは、魔法使いがあまり知らないものでした。
 あるいはそれも、星くずの魔法の一部分だったのでしょうか。
 いじわるな契約を持ちかけた魔法使いの方が、今度はあっけに取られて、しばらくその場につったつことになってしまったのでした。


 その夜が明けたころ。
 魔法の森から、だれも知らない小さな家が夢のように消え去りました。
 小さな女の子と、かれんな歌声といっしょに。
 家があった場所には、どうみても何百歳という杉がなにごともなかったかのように立っています。
 女の子はいそいで旅じたくをまとめ、とおいい異国で待っているお兄さんのもとへ旅立ったのでしょうか?
 それともあの女の子そのものが、お兄さんがのこした思い出か……あるいは魔法が映しだしていた幻想だったのでしょうか?
 手紙の中身をたしかめなかった魔法使いにしるよしはありませんでした。
 魔法使いがといた「魔法」は、本当にといて良いものだったのでしょうか。
 それを思うと、魔法使いの心は少しだけきしみます。
 ただ、女の子が最後に見せたあのかがやく瞳は、星のネックレスよりもひときわ明るく、まるで恒星のようでしたから・・・もう星のネックレスはいらないものだったのでしょう。それはざんねんなことに、今の魔法使いでは決して手に入れられないものでした。
 だから――
 あのネックレスだった星は今、魔法使いの家でほのかに光っているのです。
「あー、あんまり明るくならないぜ。出力がたりてないよなぁ」
 ちらかった魔法使いの机のうえには、丸いフラスコの中でうっすらとかがやく五角形の星。そこに二本三本とつながれたケーブルが、あの機械につながっています。機械はあの女の子のか細い歌声をくりかえしかなでていますが、それは本当に小さくて、じっくり耳をすまさないと聞こえないぐらいでした。
 それに、この構造ではどうやら、他の音をつかまえるというわけにもいかないと分かったのです。
「まだまだ修行がたりないなぁ……ま、今はいいけど」
 欲しいものは手に入れたものの、他人がのこした、むかしの魔法には負けてしまった気がしています。
 魔法使いは、なんだかすこしだけ後ろめたい気分を紛らわせるためでしょうか、
 お酒をちびちびと楽しみながら、
 つぎはどうやってもっと大きな星をつかまえて来ようか、
 などとと考えつつ――うしわれた女の子のガラスのような思い出に、じっくり耳をかたむけるのでした。

 それは、ながい夜のかたすみで起きたかもしれない、小さな小さなお話です。


(書き下ろし)
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