夢笛わすれじ



 霧雨魔理沙は、小さく手を上げて挨拶すると、言葉を継ぐでもなく座りこんだ。
 博麗霊夢が怪訝な表情を浮かべて対面に座る。
「どうしたの魔理沙。熱でもあるんじゃないの」
「私は依然としてお変わりなく至って健康そのものだぜ」
「言葉自体が既に変だけどね」
 魔理沙は普段のように自信満々の素振りではなく、何処か落ち着きなく、霊夢とまともに目すら合わせようとしないのだった。
「あー、もしかして泥棒の告白かしら? でも告解や懺悔なら神社じゃなくて教会の仕事だと思うのだけれど。報道して天下に広く知らしめるならあの嫌味な天狗を呼ばなきゃね。まぁ神社の神様だって暇なら聞かないこともないんじゃない? あと聞き耳地蔵さんとか」
「なんで私が泥棒の自白をしなきゃならんのだ? そもそも私が、そんな業の深い悪さをするわけがないじゃないか」
「……心配するだけ無駄かしら」
 でも、魔理沙はなんとなく何かをいいたそうにしているのは間違いないのだった。
 お茶を出されてしばらくして、魔理沙がポツリといった。
「あのさ、霊夢」
「なによ」
「いいにくいことなんだが」
「じゃ、いわなければ良いんじゃないの?」
「云っても怒らないか?」
「内容によるわね。怒らなかったら運がいいとか考えてみたら?」
「……じゃぁそうするか。どうせ怒らないだろうし」
「それはどうかしらないけどね」
「あーなんだ。つまりだな」
 魔理沙は真面目腐って霊夢を見据えた。
「…………………………」
「どうしたのよ、早く言いなさいよ」
「ううん、なんだな、どうもな、えっと」
「いい加減にしないと、延滞料金払ってもらうわよ」
 霊夢は正確に賽銭箱の方角を指差した。
「なんでなにもしてないのに金払わなきゃいけないんだ」
「そろそろ怒りたくなってきたからよ。お金を払って衝突が避けられるなら安いもんじゃない?」
「カエサルのものはカエサルに返せってか」
「新渡戸稲造でもいいけどね」
 しかし結局、あーだこーだと言葉を並べはしたものの、魔理沙は霊夢に話したかったことを話せなかった。魔理沙の性格から慮ると、確かにいいにくい内容ではあったのだろう。これはいってみれば、魔理沙の矜持に関わる問題だったのだから。
 霧雨魔理沙が言いよどんだ話――それは彼女が見た夢の内容について、である。 


 その夢とはこんな内容だ。
 夢の中で、魔理沙は空を飛んでいた。どうやら博麗神社に向かっているらしい。
 何故、意識外でまでいつも通りに神社に行かないといけないのか、魔理沙自身納得がいかない様子ではあったが、こればかりは自分で決められることではない。魔理沙は参加者であると同時に観察者であった。そしてそれを重々認識しているということはすなわち、この事態の推移が夢の中の出来事であると察していることの証左でもあった。
 飛びなれた空の路を潜りぬけて、魔理沙は神社の上空に到着した。
 音もなく境内に舞い降りると、とりあえずいつものように霊夢の姿を探す。
 夢の中だというのにすごく透明感がある光景で、少しも白く濁った部分がない。何者にも遮蔽されない視野の中で、御目当ての人物は社務所の縁側にいつものように腰を下ろしていた。
 いつもと違うのは、霊夢が横笛を手に、耳慣れない曲を奏でていることだ。
 日本古来から伝わる旧い調べ。
 ゆっくりであるのになぜか躍動的に感じられる音。
 能舞台で右手に揺れる扇子のような、朝靄の森の中を音もなく舞う紅白の蝶のような。
 竹製なのだろうか、ゆるやかに尖った旋律。
 それは、霊夢が普段見せる表情とは懸け離れた一面だった。
 魔理沙は普段通りに声を掛けようとして、出来ないまま身を震わせる。
 普段であれば空気など読むこともなく自分の意思を優先してしまう彼女だったが、よく見知った霊夢だからこそ、その変容ぶりに驚いてしまったのだろうか。
 霊夢と魔理沙の距離、およそ十メートル。
 なのに、霊夢は魔理沙に気づくことなく、一心不乱に笛を吹いている。なのに、魔理沙は霊夢に近づけず、塩の柱になってしまったかのように音階に揺られている。
 夢だというのに、それは本当に明瞭で。
 魔理沙はこれが本当に夢なのかどうなのか、途中からよく分からなくなっていた。


 そして、夢から覚めた。
 ベッドの上で体を起こした魔理沙は当初、己の覚醒を確信できなかったが、目を擦って時間を経るにつれ霊夢の笛のことを明確に思い出し――そして、自分があの美しかった筈の旋律を、まったくもって覚えていないことを悟ったのだ。
 夢は、自分の経験の継ぎ接ぎである、ともいわれる。
 正体不明のおぞましい怪物に襲われる夢も、怖い体験や疑似体験……本や、映画や、人の話……が部分的に重なりあって現出したのだといえるだろう。
 逆にいえば、体験していないものは夢に現れない筈だった。
 では、あの旋律はどこで聞いたものなのだろう。
 空前絶後に華麗な美であったという事実だけが頭の上を渦巻いていて、肝心の曲がさっぱり思い出せない。魔理沙は柄にもなく苛立つ。そこで、先程は博麗神社に赴き霊夢に件の笛のことを尋ねてみようと試みたのだが。
 どうにも聞きにくい。
 霊夢に頭を下げて、自分の夢のことについて答えを請うなどと理不尽ではないか?
 夢占いじゃあるまいに。
 ここぞとばかりにニヤニヤと笑みを浮かべた霊夢が何を言うか分かったものではない。当たり判定を自分から表示するようなものではないか。
 あの至上なる曲についてはどうしても知りたかったから、それでも、なんとか、自分を奮い立たせて聞き出そうと思ったのだが。土壇場になってやっぱり気恥ずかしくて、聞き出せないまま帰ってきてしまった。魔理沙の素直でない心が勝ってしまった結果である。


 そして、時間は再び夜。   
 霊夢に尋ねなくても、つまりはあの曲を自分で覚えられさえすれば目的は達せる。
 魔理沙はそう考えた。
 覚えるにはどうしたらいいか――これはつまり、実際に手で書いて覚えるのが一番というのが古今東西のおおよその常識となっている。手で書いて身体に覚えさせるわけだ。面倒ではあるが、見ただけで覚えようとするよりはよほど確実な手段だろう。
 そこで、魔理沙は床につく前に、自分のベッドの周囲にたくさんの紙やら五線紙やらを並べておくことにした。或いは夢の中に持ち込めるかもしれないと思ったからだ。
 勿論、夢の中で書いたノートを現実に持ち出せるわけではなかったが、それでも手で書いて覚えたことは忘れないかもしれない。なんといっても努力が苦にならない性格である。時間の許す限り何度も書いて暗記すれば不可能ではない。
 より深く眠れるように、つまりは夢の中での行動能力を向上させるために、ラベンダーのアロマをいっぱい焚いて、魔理沙はその晩、わくわくしながら眠りに落ちた。


 だが、夢の中で期待は一瞬にして打ち砕かれる。
 目論見通り五線紙を夢に持ちこんでほくそえんだところまでは良かった。
 急いで博麗神社にいくと、霊夢が今日も笛を奏でている。
 さぁやるぞ、と思ったところではたと気付いた。
 魔理沙はそれなりに博識で、さまざまな技能を身につけてはいたものの、音階を五線紙に示す方法を知らなかったのだ。今奏でられている音が何であるかもわからないし、そもそも日本の曲をドレミで書いていいのかすら知らない。真っ白な五線紙は、白黒の魔法使いにとって全くの無駄であった。
 なんでそんな前提を思い出せなかったのだろう。
 魔理沙はがっくりとうなだれながら、目が醒めるまで霊夢の流麗な笛に聞き入っていた。


 そしてまたベッドの上。
 悔しさに何度も寝返りを打ったのだろうか、癖毛の金髪をいつも以上にくしゃくしゃにした魔理沙は、目覚めと同時にそこらじゅうの紙をびりびりに破り捨て、白い紙吹雪を舞わせたのだった。


 次の夜も眠りにつくと、わき目もふらず博麗神社へ向かう。
 もうこうなってくると、起きている時がどっちだかよく分からなくなってくるのだが、とりあえず現状の魔理沙にとっては別にどうでも良いことだった。霊夢のあの笛をなんとかして記録したい。あわよくば自分でも吹けるようになりたい。そうすれば、聞きにいかなくて済むようになるだろう。脳裡は旋律への執着ばかりがはち切れんばかりになっている。
 霊夢は今日も笛を吹いている。
 完璧ともいえる音のせせらぎを中断させることに罪悪感を覚えながらも、思いきって霊夢に声をかける。今日は手ぶらで目覚めるわけにはいかない。
「よう霊夢。久しぶりでもないけどはじめましてだぜ」
「……なによその挨拶は。言葉がいつもにもましておかしいわよ」
「私の言葉は少々変形していても日本語だから心配することはない」
「まぁどうやってもエスペラント語には聞こえないけれどね」
 霊夢は笛を膝の上において、全くいつもの調子である。
 だから魔理沙もいつものように霊夢の横に腰掛けた。
「で、今日はどうしたの? 別に用があるようには見えないけどね」
 霊夢は何が面白いのか、ちょっとだけ微笑んでいる。
「ないといえばないんだが、あるといえばあるんだよ。霊夢……その笛は前から持っていたのか?」
「ああこれ? そうね。あるにはあったわね」
「そうなのか。いや、霊夢が笛吹くところなんてはじめて見たから」
「魔理沙、見え透いてない嘘のつき方がへたくそね。昨日も一昨日も、笛を聞きに来てたくせに」
「……気付いてたのか」
「そりゃ、目の前に立ってるんだから分かるでしょう。年がら年中寝たふりしてる紫みたいなのじゃわかんないだろうけどね」
「ならそういえばいいのに。気付いてない振りするほうだって嘘みたいなもんだぞ」
 魔理沙は意図せず、自分が赤面していることを感じてしまった。霊夢にこんな表情を見せるのは正直悔しいが、なにしろこれは夢の中なのだからまだいい。本当の霊夢に知られたら、暫く旅に出ないといけなくなる。
 霊夢はそんな魔理沙の表情がますます面白いのか、笛でぽんぽんと肩を打ってにんまりとする。
「で、どうだった、私の笛は」
「そりゃ、上手いと思ったさ。じゃなきゃ、夢でも何度も聞きたいとは思わないからな」
「聞きたい? 今も?」
「本当は聞きたいというよりは、自分で吹けるようになりたいんだ。霊夢みたいにきれいに吹けたら、自分でもあの曲を持っているってことになるだろう?」
「まぁ、魔理沙はなんでも蒐集したい性分だもんね。同感は出来ないけどなんとなく解るわ」
 霊夢にそんな風にいわれると、照れ臭くなってきてしまう。
 本当の霊夢の前なら、こんな風に自分の気持ちを喋ったりはしないんだろうなと、魔理沙は内心汗を掻いていた。
「だったらさ、次に来る時に笛をもってくればいいんじゃない? 一緒に練習してあげるわよ。どうせ暇だし」
「本当か?」
「嘘をつく理由がないもの。ま、身につくかどうかは魔理沙次第だと思うけれどね」
 確かに練習したところで、霊夢のように流麗に吹けるかどうかというのは定かではない。霊夢は才能がそのまま表出するという生き方をしている。妖怪と戦う術にしても、空の飛び方にしたってそうだ。笛だって特に練習したわけではないのだろう。霊夢にしてみれば、この曲を吹いた際にそれは完成してしまっているのだ。
 霧雨魔理沙がそれに追いつくには、それこそ必死で努力して勉強するしかない。
 これまでもそうだったから、それは身に沁みている。
 ただ、普段ならそれを人前に晒すようなことは、彼女の矜持が許さないのだ。努力しているという素振りをみせ、努力自体を評価の一部にされることを彼女は嫌う。彼女の生き方である。
 でもここは夢の中で、この霊夢は魔理沙の夢でしかない。
 だから……少しぐらい甘えてもいいではないか。
 魔理沙の心の奥の小さな弱さがそう囁く。
 どんなに透き通った、現実と変わりなさそうなこの博麗神社も、夢は夢。
 ここで成すことは、自分自身が自分の意思で行うこと。
 魔理沙はそう考えることにした。
「…………だったら、次はそうさせてもらう」
「やけに素直な魔理沙ね。ちょっと不気味だわ」
「やたら人を誘うような霊夢だっておぞましいぜ」
「それはお互い様ね。じゃ、今日はまた笛、聞いていく?」
「そこまでいわれたら聞かないわけにいかないじゃないか」
 霊夢はにっこりと笑って、笛に小さな唇を添えた。
 魔理沙は、再び訪れる至福の時に、全身を預けるようにして、目を閉じた。


 機会が何度も訪れると考えるほど、魔理沙も楽天的ではなかった。
 とにかく霊夢のところで練習する時間を長く作りたい。だから、起きられるだけ起きていることにした。その分睡眠時間は長くなることだろう。
 もちろん、それまでの時間を無駄にすることはしない。香霖堂で適当な横笛を仕入れると、自宅で一通りの音の出し方を練習する。竹に最小限の穴をあけただけの簡易な笛だ。鳴らすのだけでもそれなりの技量を必要とする。もちろん、美しい音色をそれなりの音量で響き渡らせ、しかも霊夢のように長時間演奏するとすれば、その努力は付け焼刃で済むものではない。
 その辺り、努力が苦にならない魔理沙は延々と練習し、見る間に簡単な曲を吹けるようになっていった。
 ただ、睡魔との戦いも平行しているので、練習の効率がどんどん低下していくのは否めなかった。それでも夜な夜な物品を求めて彷徨う頃が期待に満ちて一向に眠くならないのと同様に、笛への集中力はなかなか衰えなかった。
 そして、ついに三日三晩の貫徹を達成した頃。
「もう……そろそろ……十分だろ…………」
 魔理沙は力尽き、ベッドにうつぶせに倒れこんだ。
 右手には長年の相棒になってしまいそうな予感さえする横笛をしっかりと握り締めて。


 懐に入れた自分の笛を吹き鳴らしたい、そんな逸る気持ちを抑えながら、霧雨魔理沙は博麗神社へと向かっていた。少々時間はかかったが、ようやく今日こそ霊夢に笛を教えて貰える。箒にまたがって大急ぎに急いだ。眼下の森が激流のように流れていく。
 そして、森の一角に博麗神社が見えた。
 もう笑みを隠さずに、魔理沙はそこへ一直線に突っ込んだ。
「おーい霊夢、約束通り笛を教えてもらいに、きた……あ?」
『なによ、魔理沙』
 霊夢の声が何故か、ステレオになって返ってきた。
 それはそうだろう。
 鳥居の向こう、本殿の真正面には、御払い棒を構えた二人の霊夢が向き合って立っていたのだから。
 どちらかが真似したというわけでもない。背格好もポーズも言葉のイントネーションも、どちらも間違いなく博麗霊夢に相違なかった。
 魔理沙が目をぱちくりとさせて、呆気に取られている。
「これはいったいどういうことだよ」
「どうもこうもないわよ」と、右の霊夢。
「最近魔理沙の様子がおかしいからちょっと調べてみたらこの有様。夢の中におかしな奴の侵入を許していたみたいね。魔理沙らしくもない」
「それはこっちの台詞よ」と、左の霊夢。
「あんたこそ、魔理沙の夢の中に入り込んで何をするつもりなのかしらね。寝てるからって悪さしようと思ったらきっと痛い目にあうわよ」
「よく言うわねあんた。私の真似なんかして、全然似てないじゃない」
「あんたこそ失礼しちゃうわ。私はそこまで寸胴じゃないし、ほっぺだって丸くないし、だいたいリボンも可愛くないじゃない。その格好、似合わないからやめなさいよ」
「あー、まー、なんにしろ喧嘩は良くないぜ」
『魔理沙は黙っていて!』
 またもステレオで切り返される。どちらの霊夢もすこぶる不機嫌だった。満月が出ているわけでもないのに、悪魔でもないのに、まったく話にならない。
「そんな……どっちが本物なんてどうでもいいじゃないか。これはどうせ私の夢なんだから。それよりも、笛を教えてもらう約束していた方を優先」
『どうでもいいですって!』
 二人に同時に怒られる。
 これではどうしようもない。
 肝心要のところで、自分はなんて夢を見てしまったのだろう。魔理沙は頭をかきむしった。
 霊夢たちは再び向き直った。 
「夢とはいえ魔理沙をこんなに骨抜きにして、許さないんだからね」
「じゃあ、どっちが本物か、弾幕で決めましょうか?」
「弾幕といわず、スペルカードでさっさと終わらせてあげるわ」
 喋れば喋るだけ、怒りを増幅している。磁石の同じ極同士を無理矢理くっつけているみたいなものだ。
 まともな説得は徒労に終わりそうだった。むしろこのままここに留まれば、とばっちりを受けるのは避けられそうもない。なにしろ霊夢は強くて、ここは夢の中なのだ。
 魔理沙が冷や汗を流しながら箒に飛び乗ったその瞬間。
『夢想封印・散!』
 二人の繰り出した全く同じスペルカードが、相乗効果で膨れ上がりながら炸裂した。
 必死になって逃げ出した魔理沙をも飲みこんで膨れ上がる。
「ちくしょー、なんでこんなことになったんだよ!」
 魔理沙はらしくない絶叫をした。


 後頭部が激しくずきずきした。身体の上に異物が乗っている気がする。
 鴉の鳴き声が聞こえる。二度、三度。自分を馬鹿にしているのだろうか。
 魔理沙は頭を抑えながら起き上がった。自分はベッドから落ちていた。周囲に立ててあったいくつもの本の塔が、ベッドからずり落ちた衝撃で倒れかかってきたらしい。半分本にうずもれた状態だった。
 窓にはとっくに沈んだ夕日の残した残滓が、濃くなっていく朱色の壁を映し出していた。
 手にしっかり握っていたはずの笛がどこにもない。どこかの隙間に落ちてしまったのか、それとも笛を準備したこと自体が夢だったのか――それもおぼつかない。
 練習どころか、結局あの曲は一度も吹けなかった。 
 いや……いまなら吹ける気もしないでもなかったが、いまや魔理沙は夢を見るのに疲れていた。
 しばらく夢はみたくなかった。泥のように眠りたかった。
 ただ、今この乱雑に散らかった部屋では寝られそうにない。
 またあの夢の続きを見て、霊夢同士の死闘の最中に舞い戻るのは勘弁して欲しかった。


 ぼんやりとした頭では他になにも考えつかなくて、魔理沙は博麗神社に向かっていた。
 夕暮れ時だというのに、霊夢はいつものようにいつもの縁側に座っている。
 ただし準備良く、軒先の灯篭には灯りがすでに灯っていた。
「どうしたの魔理沙、その酷い顔」
「もとはといえばお前のせいだろうが」
「なんでよ」
「……説明するのも面倒くさい」
 霊夢の横に座り込むと、どっと眠気が襲ってきた。
 霊夢の顔を見て文句の一つも言ってやろうと思っていたが、一瞬で雲散霧消する。
 瞼が重い。ひたすら重い。
 体を起こしておくのが大変になってきて、霊夢の肩に頭を預けてしまう。
「いきなりなにするのよ」
「すまん、もうだめだ……あとで布団に転がしておいてくれー……」
「ちょっと、魔理沙!」
 眠りに落ちていく茫洋とした思考の片隅で考える。
 確かに自分の執着はちょっと異常だった。やはり何者かに取り憑かれていたのだろうか。
 ――でも、まぁ、それが霊夢ならいいか、とも思う。
 どこにいたって何者だって変わらないのが霊夢の霊夢たる所以なのだろうから。
 取り殺されたりしないのであれば、なんでもいい。
 真っ暗な意識の井戸に飲みこまれていきながら、魔理沙は何処かで聞いたことのある曲を口ずさんでいた。それがいつ、どこで覚えたものかも解らないままに。


 寝入ってしまった魔理沙の頭を膝の上に乗せて、霊夢は一つ溜息をついた。
 なかなか安らかな寝顔である。
 夢路に夢中になっている。
 不思議だ――。人の寝顔を見るというのはなんでこんなにも落ち着くのだろう。
「最初からきちんといえばいいだけのことなのにね」
 頬を一つつついて微笑んでから、霊夢は懐に手を入れた。
 取り出したのは一本の横笛。
「もう一度きちんと頼むんなら、今度はちゃんと教えてあげるわよ。交換条件なしでね」


 魔理沙を起こさないように静かに、
 でも緩やかに、
 霊夢は小さな唇が呼気を笛に吹き入れる。
 あの尖っていながら柔らかな旋律が、
 夢のように抱擁のように、
 黄昏時の神社をゆっくりと包み込んでいく。



(書き下ろし)
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