■幕間 三


 にゃーお。
 人の赤子のような鳴き声が、私の眠りを浅くすり減らしていく。
 ……どうやら少し眠ってしまったようだ。私はバスに乗って何処へ向かっているのだろう。考えようとして、諦める。全身から力が抜ける。これでは駄目だと思う都度、考える力を奪われていく。
 そして、いつも絶対に考えないようにしている記憶が、封印したはずの無意識の奥底から浮かび上がってくる。考え始めると意識を絡め取られるから、だから必死で抑えている部分。だけど、今の私は抗うことができない。

 ざあああああああああああぁ、雨の六月。

 にゃーお。

「……あ、黒猫だ。かわいい〜」
「朝から黒猫なんて、気味が悪くない? 目だけ真っ黄色で……びしょびしょだし」
「そう? 結構迷信深いんだ。意外かな」
「迷信とかさておいても、真っ黒の猫なんて気持ち悪いよ」
「人を見た目で判断しちゃ駄目だと思うわよ」
「いや、猫だし」
「ねー。おいでおいで」

 にゃーお。

「うわ……本当に来た。人を怖がらないね。飼い猫かなぁ」
「ほらほら、喉を撫でさせてくれるよ」
「あ、もう、濡れてるのに気軽に触って……病気になっちゃうよ?」
「平気だよ。……あ」
 その黒猫は、何を見つけたのか、傘を持つ私たちに未練を残さずに、さっさと車道の向こうへ歩いていった。
「悪口ばかりいうからだよ……もっと触ってたかったのに」
「本当に、祟られちゃうんだから」
「大丈夫。昔から私は結構ついてるんだから。知ってるでしょ」
「……そりゃ、ね。長い付き合いですから」
「でも、その幸運もいつもはんぶんこだもんね」
「―――。……うん」
 答えるのを少し笑った私は、取り繕うようにして促した。
「ほれほれ、もうちょっと急がないと間に合わないよ」
「私たちのペースなら大丈夫だよ」

 ざああああああああ、もう戻らない六月。
 あの赤子のような鳴き声が、私の脳裡で響いている。もうあの黒猫はいないというのに。

 その瞬間が残酷なまでに美しいから、その記憶が凄惨なまでに輝いているから、その向こうにある厳然とした結末に対して、なにも抵抗出来ないまま、雨の中に立ち尽くす。
 不思議なバスが、そんな私を、何処かへと連れて行く。



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