三月の雪兎 (みつき の ゆきうさぎ) これは、ちょっとだけむかしと、少しだけ未来のさかいでおきた、ふしぎなものがたりです。 季節は、どこかでフキノトウがゆっくりと雪を割りはじめた、三月のはじめ――。 とおいとおい東の山のそのおくに、辺りを山でかこまれた小さな里があります。 そこは「幻想郷」とよばれています。 なぜそうよばれているかというと、わたしたちの世界のまぼろしがその世界では本当のことになるからです。でも、どうやら幻想郷でおこったことも私たちの世界の本当のことになります。ふしぎですが、これはきまりごとなのです。きっと、幻想郷の本当のことは、私たちの世界の本当のことよりも、すみきってまじりけがないのでしょう。 そうですね、一番わかりやすいふしぎなことといえば・・・幻想郷には、人間といっしょにさまざまな妖怪や妖精がくらしていることでしょうか。 妖怪というのは、夜になると人をさらっていく、あのこわいお化けです。 もちろん、幻想郷でも人間と妖怪の仲がよいわけではありません。でも、幻想郷には古い時代のくらし方がのこっているので、人間と妖怪とのあいだにはゆるやかなルールのようなものがあって、お互いにそれを守ってくらしています。かんたんにいうと、一つのケーキを二つでわけるときに、四分の三ほしいとか、全部欲しいとか、わがままをいわずにはんぶんこすれば、けんかしなくてすみますよね? あれと同じことです。 もちろん、妖怪はすきを見て人間をおそおうとするのですが、幻想郷の人間はかんたんに食べられてしまわないぐらいの力をそなえているので、大丈夫なのです。 説明はこのくらいにしましょう。 そんな幻想郷のおくふかく、ふかいふかい竹やぶと雪の中を、一匹のうさぎが走っていました。白い息をはいていますが、さむくはなさそうで、元気にぴょんぴょんととびはねています。まだまだお日さまが照っている時間なのに、竹やぶの中は暗くてしかたありませんが、うさぎは迷うことなく走っていきます。 あ、うさぎといっても、頭から長い耳がはえてなくて、おしりに丸いしっぽがついていなくて、目が真っ赤でなければ、普通の人間の女の子と変わりありませんけどね。 このうさぎの名前は、鈴仙。 本当は、鈴仙・優曇華院・イナバというとても長い名前をもっています。でも、全部を呼ぶ人はいませんので、ここでは鈴仙とよぶことにしましょう。 鈴仙は、この竹林の一番おくにひっそりと立っている、永遠亭という大きなお屋敷に働きながら住んでいます。お屋敷の主はかぐや姫。そう、あのかぐや姫です。日本でいちばん有名なこのお姫さまは、実はお月さまには帰らずに、この幻想郷で千年もひっそりと暮らしていたのですが、その理由は・・・また、ちがう時にお話ししましょうか。 姫には、同じ時間をいっしょにすごしてきた、八意永琳というお付きの者がいます。この人も姫と同じように月からおりてきました。とんでもなく頭がよくて、特に薬の調合をとくいにしています。鈴仙はこの人に弟子入りしていますので、いつも「師匠」と呼んでいるのです。 今日、鈴仙が日も高いうちにでかける理由は、この人の言葉がきっかけでした。 「・・・ウドンゲ。今日はもういいわよ」 「いや、そんなわけには」 「もう仕事は終わったのでしょう? 無い仕事を探してむだに時間を使うより、たまには外にでて気分転換するのもいいのではないかしら。ついでに雪割りの花を探してきてくれると、私はうれしいわ」 「はぁ」 「物を知ることも、人に会うことも勉強よ。かくれなくてよくなったからいえることだけれどね」 竹は成長のはやい植物です。おまけにめったにかれることがありません。だから、永遠亭はずっとずっと、幻想郷のだれにも気づかれずにひっそりかくれていたのです。姫や永琳には長いかくれなくてはいけない理由があったのですが、それもここでは説明しなくてもよいでしょう。ただ、今はもう、かくれる必要はなくなっています。 でも、鈴仙は違いました。 鈴仙はうさぎですが、ただのうさぎではありません。 この女の子もまた、月から来たうさぎだったのです。 さいきん・・・といっても、何十年も前ですが、鈴仙は月から逃げてきました。 歴史の本にはのっていないかもしれませんが、そのころ地球と月で大きな戦争がありました。もしかしたら今も続いているかもしれませんし、そうでないかもしれません。ただ、間違いなくいえるのは、人間が月に行き、地球でやったと同じことを月でもやったということです。 そのさなか、鈴仙は戦場になってしまった月を逃げ出し、地球の山おくへ、人目の着かないところに逃げ込みました。そうしてようやくたどり着いたのが幻想郷でした。まさか、昔、月に住んでいた人にめぐりあえるとは、思っていなかったのですが。 月では仲間が、人間から月を守るために戦っています。 でも、鈴仙は死ぬのが恐くなったのです。 仲間をみすてたのです。 永遠亭にむかえいれられてから、鈴仙はものすごくまじめに、まるで自分をせめるようにきびしく、日々を生きるようになりました。永遠亭には他にもうさぎたちがたくさん住んでいますが、月のうさぎは鈴仙しかいませんから、姫も永琳も、すぐに鈴仙を信用して、大事なことをまかせるようになりました。鈴仙はそれに答えるようように、それ以上にがんばるようにはたらきます。まるで、自分がおかした罪をつぐなうかのような生活です。 もちろん、それで何かが変わるわけもないし、また、罪をつぐなえるわけでもありません。戦のさなか、助けを求める月からの通信が、鈴仙の大きな耳にとどいたこともありましたが、鈴仙はそれにも聞こえないふりをしました。今はもう、月の仲間と連絡がとれなくなってしまっています。 でも、それでも。 夜空には決まりごとのように月がのぼってはしずみます。それを見るたびに、鈴仙は自分のやったことを思い出し、また胸を痛めるのです。鈴仙があまり外に出ないのも、空を見上げるたびに月をみあげてしまうからでした。 見なければいいのに、と思いませんか? でも、見たくなくても見てしまうのです。 鈴仙が、自分が月のうさぎであることをわすれられないから。 そんなわけで、鈴仙がこうして外に出るのはめずらしいことでした。 師匠の言葉には、多少とはいえ、自分をおもってくれているという気持がこもっていましたし、なによりまだ昼間だったので、鈴仙もでかける気になったのです。永遠亭は、それはそれは大きなお屋敷ですから、いつもなら仕事はいくらやっても片づきませんし、うさぎたちの中には聞き分けの悪い者もいます。次から次へと仕事をこなしていると、鈴仙の一日はいつもあっというまにすぎてしまうのでした。 だから、今日の外出は、いいかえればめったにない鈴仙のお休みでした。 ただ、でかけたところでいくあてがあるわけではありません。 幻想郷は山奥にありますから、とても雪が深く、人間もほとんどの妖怪も冬ごもりをしてしまいます。冬のあいだ用に食べ物をたくわえて、一歩も外に出ない生活をするのです。今では鈴仙にも、永遠亭いがいの幻想郷の住人としりあったりもしましたが、そういう人々と会うこともないでしょうし、またべつに会いたいとも思いませんでした。 それでも、たしかに外に出るのは気分てんかんになりますし、冷たい風を切るのはここちよいものでした。鈴仙は、師匠の言葉にしたがってよかったと思い始めていました。 その時です。 ちりーん―― 鈴仙のおおきな耳が、はじかれるように立ち上がり、彼女は雪の中に立ち止まりました。 なにかが聞こえました。 すみきった音色。銅のぶんちんをおとしてしまった時にひびくような、金属のひびきでした。 鈴仙は月の力でお屋敷を守る役目もしていますので、あやしい者――なにしろ幻想郷には妖怪だって住んでいるのですから――はさっさと追い払わなければなりません。気をひきしめながら、でも、その音色のあまりのうつくしさに、少しだけさそわれるようにして。 鈴仙はまた走り出しました。 あたりはしだいに明るくなり、ついには竹林が切れました。 一面の雪原のまぶしさに、鈴仙はいっしゅんだけ顔をそむけます。 世界は二つに分かれていました。 どこまでも真っ青な空と、足元から取り囲む山々まで、なだらかにつらなる雪の衣。 ただ、山肌の一部はくろぐろとした地面が顔をのぞかせていたり、小川のせせらぎへととけおちるしずくが止まることなくしたたっています。竹林の中よりもずっとあざやかに、鈴仙はその赤い目と大きな耳で、おそい春のおとずれを感じとっていました。 ちりん―― もういちど、あの音が聞こえました。今度ははっきり。 ふりむくと、遠くにつらなる林・・・葉っぱの芽がふくらみはじめたばかりで、枝に雪をのせたままのおおきなけやきの木の下に、人のかたちをした影がたっていました。 『物を知ることも、人に会うことも勉強よ。』 師匠の言葉をおもいだした鈴仙は、少し用心しながら、そちらのほうへ走っていきました。 人影は動くこともなく、まるで鈴仙をまっているかのようにじっとしています。月のうさぎはあっという間に人影の前にたどりつきました。 それは、鈴仙と同じような姿をしている女の子でした。長い着物をきて、頭の上には雪をのせたままの大きな笠をかぶっています。すごいいきおいでやってきた鈴仙を前にして、おどろくような、すこしこわがるような、そんなようすです。 一瞬、どう声を掛けていいのかわからなかった鈴仙ですが、少しだけ強めの口調で聞いてみました。 「・・・ここで何をしているのですか」 女の子は、ゆっくりと首をふって答えます。 「何も」 「何も? まだまだ雪も深いというのに、このように不毛な場所でなにもしていないというわけはないでしょう」 「わたしにも、よくわからないのです」 「よくわからないのはこちらのほうです。道に迷ったのなら、手伝うことも出来ますよ?」 「それでみつかるのなら、いいのですが・・・」 「では、何かをさがしているのですね」 「たぶん、きっと・・・」 女の子はそれっきりだまり込みました。そのまま像になってしまいそうな。雪の中でさらに白い肌が、とても寒そうにみえました。 もしかしたら、人を化かす妖怪なのかもしれないと、鈴仙は思いました。彼女の本当の考えもよく分かりません。 でも、目の前の女の子は心底こまったような・・・むしろ、自分のおかれている立場すらよくわかっていないようにうかがえます。 鈴仙の心のなかには、女の子を心配するような、そんな気分もめばえてきました。 少し考えてから、鈴仙は口を開きました。 「何か、理由があるみたいですが・・・よければ、何か思いだすまで、私といっしょに私のすむ場所まできませんか? 大きなお屋敷ですが、多分師匠はゆるしてくれるはずです」 それは、お屋敷をまもるべき鈴仙が気軽に決めていいことではありません。でも、えたいが知れないからといって放っておくわけにもいかないと、鈴仙はおもったのでした。 女の子は顔を上げ、少しだけほほえみました。 「ありがとう。もし招かれるのならきっと、たぶん・・・」 女の子の顔に心のそこから浮かび上がるよろこびが、まるで雪割りの花のようにさきます。 鈴仙の胸に、あたたかい何かが少しだけめばえました。女の子のほほえみは、うそをついているようにはとても見えなかったのです。だからうれしくなって、勢いよくうなずきかえします。 「だったら、ここで待っていてください。すぐに屋敷に戻って、師匠のおゆるしをもらってきますから。ここにいてくださいね」 女の子はただほほえむばかりです。 鈴仙はいきおいよく走り出すと、住みなれた竹やぶへと飛び込みました。 その時、 ちりん―― 耳の奥に、またあのひびきが聞こえます。 鈴仙は立ち止まりました。とたんにいやな予感がしました。 それはまるで、夜空に月を見上げるのと同じようなかんじです。 むなさわぎに背をおされるようにして、さっきの場所に戻ってみると、大きなけやきの下にはもうだれもいませんでした。 まるで、最初からだれもいなかったかのように、がらんどうになっていました。あしあとすらありませんでした。 鈴仙が永遠亭に帰ってきたのは、夕方おそくになってからでした。 三月とはいえ、まだまだ春というには早すぎて、お日さまもさっさと西の空へとおちてしまい、ほとんどまっくらでした。もちろん、鈴仙が理由もなくおそくなることなど、いままにいちどもありません。 当然、鈴仙は永琳におこられました。 「いったいどこに行っていたの? 私がなんでもできていなければ、今ごろ姫がお怒りで屋敷をめちゃくちゃにこわしてしまうところだったわ。罪のないうさぎたちが何羽も犠牲になったかしれないわね」 「すみません・・・」 「で、さぞや面白いものがみつかったのね? 沙羅双樹の花とか」 「そ、それは」 鈴仙はこまっていました。 あのふしぎな女の子と出会ったこと。女の子を永遠亭に連れて行こうとしたこと。そして、ちょっとだけ目をはなしたすきに、彼女が幻のようにいなくなってしまったこと。 帰りがおそくなったのは、女の子をあちこちでずっと探していたからでした。 でも・・・果たして、それをぜんぶ、師匠につたえていいものだろうかと、鈴仙は迷っていたのです。お屋敷にあやしい者をつれていこうとしたことをおこられるよりも、彼女が本当にいたのかどうかのほうが不安でした。そして、もし、永琳に「それは幻よ」といわれてしまったら・・・もう二度と会えないと思ったからです。なにしろ永琳はほんとうに頭がよくて、永琳の言葉はいつも正しくて、今までに一度もまちがったことがないくらいなのですから。 自分のに笑ってくれた女の子。 あの子が何を考えているのかわからないけど、もういちど会いたい。 消える前に、ちゃんと話がしたい。 鈴仙はただ、そう思っていました。 「・・・すいません。外を出歩くのに夢中で、帰る刻限を気にしていませんでした」 「・・・・・・」 「今度からは、気を付けます。今からもすぐ、仕事をしますから」 「そう。外出をすすめたのは間違っていたのかしらね」 そういうと、永琳は部屋の外に出て行きました。もちろん、自分がうそをついているのはばれているでしょう。でも今は、どうしても本当のことをいう気になれませんでした。 深くためいきをついて、鈴仙が顔をあげると、戸口からひょこっと、人なつっこい笑顔がのぞきこんできました。 「鈴仙ってば、ウソを付くのヘター」 「て、てゐ! のぞき見はよくないわね」 この小さな女の子は因幡てゐといって、地球生まれの妖怪うさぎです。永遠亭のうさぎたちのなかではいちばん頭がよくて、ひつような場合はきちんと命令を聞かせることも出来ます。ただひとつこまったことがあって、やたらめったらにうそを付くくせがあり、しばしば周りの人たちに迷惑をかけるのでした。本気でおこる人はあまりいませんけどね。 鈴仙は、あわてて首を横にふります。 「それに、私はウソなんて付いてないよ。時間を忘れてたのはまちがいないんだから」 「なら、それを聞いてる人に信じさせなきゃだめね。永琳はひとっかけらも信じてなかったじゃない」 「それは・・・」 「だれにもウソだと気づかなかったら、それはウソじゃないよ」 「あんたにいわれたくないけどね」 「あたしがウソをついたことなんてあるわけないじゃない」 「・・・・・・」 自分がうそつきであるとは決してみとめないくせに、てゐはひとさしゆびを立てて、自信まんまんでお説教をするのでした。 ――でも、確かに。 鈴仙は、自分の言葉をえらぶ必要があると考えていました。 もし本当に、あの女の子ともう一度会いたいのなら。 それから鈴仙は、まいにち一時間ぐらいだけ、でかけるようになりました。 もちろん、あの女の子をさがすためです。 そうはいっても、お屋敷のお仕事をおざなりにするわけにはいきません。今まで以上にきちんと仕事をこなし、うさぎたちの面倒もみて、それから少しの時間だけ外にでます。月のうさぎですから、夜のくらがりでも昼間とおなじようにみえるのですが、昼でないと会えない気がして、探すための時間は日中にみつけるようにしました。いそがしすぎて、出かけられない日もありましたけどね。 出かけることについて、姫さまや師匠はなにも言いませんでした。鈴仙は、 「雪がどれだけへったか、みにいってきます」 とか、 「すこし気になる足音がしたので、しらべてきます」 とか、 「門のそとでいい香りがしました。どこかで花がさいたのでしょうか」 とか、それはもういちいち外出の理由をかんがえては説明していました。完全にうそではないものも、あからさまなうそもありましたが、鈴仙はしんけんに話しましたので、永琳はきちんと耳をかたむけてくれました。 それに、不在がおおくなっても、鈴仙の仕事がへっているわけではありませんし、仕事の内容もおろそかにしてもいません。それに、たとえ妙だなと思っても、もう千年も生きているような人たちですので、そんな小さなことにいちいち口出しすることはありません。 それでも、鈴仙は、彼女たちに隠しごとをしていることを少しうしろめたく思っていました。 そんなふうにしながら、鈴仙が女の子を探す日々は続きました。 一週間ぐらいでしょうか。雪は少しずつ、でもたしかに溶けていきました。 ・・・そして、その日。 ちりん――。 いつものように竹林のなかを走っていた鈴仙の大きな耳が、ふたたびあの音をとらえたのでした。 弾かれたように駆け出します。めざすべき所はもうわかっていました。 鈴仙はなぜだか、目をつぶっていてもそこにたどりつける気がしていました。 そう、竹林を抜けて、 あの大きなけやきの下。 一週間前よりも、少しだけ雪のへった、でもまだまだ雪ののこる場所に。 あの少女が立っていました。 あのときと同じように、こわごわと、でも、何かを期待するような、そんなまなざしで。 鈴仙の心に、雪をとかすような、あたたかい気持がふくらんでいきます。 ただ、名前も知らない女の子と再会しただけなのに。 なんであのとき、消えてしまったのだろう。 逃げなくても良かったのに。 頭の中で何日もの間うずまいていた、やるせない気持ちや、ちょっとだけおこりたい気持ちや、さびしい気持ちが、音もなくとけていくのがわかります。 でも、鈴仙は冷静をよそおって、つとめてゆっくり声をかけました。 「・・・また、会いましたね」 「・・・・・・はい」 「まだ、自分が何をしているかよくわからない?」 女の子はうなずきます。そうして、静かに答えました。 「でも、なんだか、それでもいいような気がします」 「・・・どうして?」 「また、あなたに会えたから」 鈴仙は、自分の鼓動の音がおおきくはねるのを、自分の大きな耳でとらえました。 それはけっして大きな音ではありませんでしたが、鈴仙の記憶にないぐらいのたしかな音でした。 「だったら、またここにいれば、会える?」 鈴仙がといかけます。その声は、少しだけふるえています。 「・・・貴方が望むならば、きっと」 「じゃあ、また、あおうよ」 「うん」 女の子が答える声といっしょに、あの、鈴仙が胸を打たれた、花咲くような笑顔がひらきました。 その日から、まいにち一時間のさがし物は、まいにち一時間のひみつになりました。 鈴仙は仕事の合間を抜け出して、あのけやきの下へ、少女がまつ場所へと走りました。 女の子はもう消えたりしませんでした。いつも鈴仙のことを待っていてくれました。 待っていてくれるとしっていても、鈴仙はたどりつくまで不安でいっぱいになります。 そしてあの笑顔をみるたびに、自分の中でしっかり根を下ろしているやさしい気持ちをふたたび感じるのでした。 鈴仙は、少女といろいろなことを話しました。 永遠亭のこと。そこに住む姫さまや、自分の師匠や、かわいいウソつきうさぎのことや、そのほかたっくさんのうさぎたちのこと。 月のうらがわにある、そのむかし光りかがやいていた大きな都の物語。 日ごとに姿形を変える竹たちの、うさぎにしか聞こえない小さなおしゃべり。 自分でもびっくりするぐらい、たくさんの言葉が口からあふれてきました。 女の子はほほえみながら、それをきちんと聞いていてくれました。 だから、鈴仙もいきおいいよく、よどみなく話を続けました。 そして一時間のさいごには、二人はあしたも会うやくそくをしました。 それは繰り返される儀式のようなものでした。 二人はもう、生まれた時から仲良しだったかのような、そんな仲良しでした。 一日のたった二十四分の一が、鈴仙を変えつつありました。 「最近は、きげんが良いのね」 そんなある日、永琳が鈴仙に声をかけました。 自分ではいつも通りにふるまっているつもりの鈴仙でしたが、永琳にそういわれるとたしかに、夢み心地でいるように見られていたかもしれないと、すこし反省しました。 「そんなことはないですよ、師匠」 そしてまた、小さなウソをつみかさねていきます。 「毎日喜々として出かけていくのに、何もないということはないでしょう?」 「ほら、まえに師匠がいったじゃないですか。外を出歩くのも勉強だって。今、それを実行しているだけのことですよ」 「そうかしらね」 二人のやりとりを近くで聞いていたてゐがうでぐみをしていました。 このころ、鈴仙にはまったくもってわかりやすい感情がめばえていたのですが、鈴仙自身がそれに気づくことはありませんでした。 だからその日も、鈴仙は午後のひとときを女の子と過ごしていました。 鈴仙は女の子の手をとり、自分の用意した場所に案内していきます。女の子の手はつめたかったけど、自分の手のあたたかさがつたわればいいなと、鈴仙はおもっていました。 「どこへいくの? 鈴仙」 「いいところ」 目的地は、竹林の近くにとつぜん現れました。 まんじゅうのように白くまるまった――それは小さなかまくらでした。 「かわいい・・・」 「雪が少なくなるまえにと思って、夜の間に作っておいたんだ」 「鈴仙が作ったの?」 「私はなんだってできるんだから」 とくいげな鈴仙に、女の子は鈴がなるような声で笑います。 そして、体を小さく折りたたんで、二人はかまくらの中に入りました。 肩を寄せあって、ちょうどいっぱいになるぐらいの小さな、本当に小さな、二人だけの部屋でした。 「あ、私、耳が天井に当たっちゃうな。考えてなかった」 「冷たくない?」 「ううん、平気」 鈴仙がそういって笑うと、女の子もいっしょに笑いました。 入り口のむこう、はるか遠くの山肌には、雪がとけてまだらになった部分が見え始めていました。二人がおなじ時間をすごす間に、春が幻想郷にしっかりと足をふみいれていました。 二人とも無言で、ゆっくり、ゆっくりと、目のまえの景色をながめています。さいきんではもう、鈴仙はむりに女の子と言葉をかわさなくても、ただそばにいるだけで、幸せな気持になれるのでした。そして、女の子はいつもやさしい表情で、鈴仙に笑いかけてくれるのでした。 しばらくして、女の子がふと、鈴仙に話しかけました。 「ねぇ、鈴仙」 「なに?」 「わたしをお屋敷に、いつ連れて行ってくれるの?」 「・・・・・・」 鈴仙はびっくりしました。 いつもおなじ時間にけやきの下に立っている女の子は、いままでずっと、自分のことはなにもしゃべりませんでした。それでもいいと、鈴仙は思っていたのです。毎日会えて、少しだけれどおなじ時間を過ごせるのなら、それでいいと。 けれど、女の子は、最初にあった時の鈴仙の言葉を、ずっとおぼえていたのです。 「・・・永遠亭に、いきたいの?」 「鈴仙が連れて行ってくれるっていったんじゃないの?」 「そうだけど・・・でも、あのとき、いなくなったじゃないか。だから、行きたくないんだと、そう、思って・・・」 「それは、わたしにもわからないの。でもね」 女の子は、いつもの笑顔のまましゃべります。でもそれは、どこかさびしそうで。 「わたしは、いつまでもこうしていたくはないの」 「・・・・・・」 「鈴仙とずっといっしょにいたいよ。でも、誰にも求められないまま、このままでいるのは・・・わたしを招いてくれる場所が永遠亭なら、そこへいってみたい」 「私は、ずっといっしょにいたいよ」 「鈴仙といっしょにいたいと思うのと、わたしが求めてほしいと思うのはちがうの。わたしは、わたしがわたしでいられる場所で、鈴仙といっしょにいたい」 「よく、わからないよ」 「わたしもわからない。でも、鈴仙がわたしを見つけてくれたから、わたしは招かれたいと思った。いまのままじゃいけないって、そう思えたの。鈴仙じゃなきゃ、ダメだったと思うの」 鈴仙の頭の中では、何を言っているのかさっぱりわからない、女の子の言葉がなんどもなんども反復していました。私のことが好きだけど、私と一緒にいるだけではいけないとは、どういうことなんだろう。私は一体、どうしたらいいんだろう。 頭をかきむしり、耳をおりたたんでしまいたくなります。 女の子は鈴仙の顔を、頼むような、ねだるような、悲しいひとみでみつめます。 「わたしはどうしたらいいの? わからないの。ただ、このままじゃいけないって、それだけはわかっているから」 それは、鈴仙にもわかっていました。 お屋敷の人々にだまってつづけるひみつの約束も、二人のすがたをおおいかくすかまくらも、すべては永遠ではなく、時の流れにのっています。おなじ形を保つことは出来ないのです。春が来れば雪はとけ、鈴仙のへたなウソもやがてはこわれてしまうでしょう。成長の早い竹のように、けっして同じ姿をとどめることがないように。 「鈴仙」 「・・・私、は」 でも、 やっぱり、 鈴仙は、いまのこの時間を手放したくはありませんでした。 月をのがれてきてから、自分の時間を持たない生活をしてきた鈴仙にとって、女の子との時間はなにものにもかえられない宝石のようなものでした。そもそも、月というかけがえのない故郷を自分でてばなした鈴仙が、もう一度だいじなものを手に入れてしまったのがいけなかったのです。再会した時、すぐに永遠亭に連れて行かなかったのは、女の子の笑顔が自分のものでなくなるのをおそれたからでした。鈴仙は女の子をひとりじめしたいがために、当の女の子にすらウソをついてしまったのです。自分をふりかえり、それにもっと早く気づいていれば、いまこうやって、どうしようもない気持ちと向き合わなくてもよかったのかもしれません。 「・・・・・・」 鈴仙は、女の子にきちんとこたえることが出来ませんでした。 永遠亭につれていくとも、いかないとも。 そして、それをたぶん、女の子もわかっていたのでしょう。 さびしそうな声で、笑顔のままで、静かにつぶやきました。 「・・・わたしもうさぎだったらよかったな。きっといつまでも、鈴仙といっしょにいられたのに」 ――その日にかぎって二人は、別れぎわに再会のやくそくができませんでした。 だから、次の日から鈴仙は、女の子に会えなくなりました。 どさっ。 永遠亭の屋根から雪がおちる音が、あたりにひびきます。ふかい竹林のなかにも、雪がとけ、茶色の土がむきだしになる場所がふえてきました。 「――さいきんは元気がないのね、鈴仙」 永遠亭の廊下をとぼとぼとあるく鈴仙に、永琳が声をかけました。 「師匠・・・」 「お出かけもなくなっちゃったし。社会勉強はあきたのかしら?」 鈴仙はまよって、ぐっとこぶしをかためて・・・そうして、永琳にむきなおりました。 「ききたいことが、あるんです」 「なにかしら?」 「・・・・・・」 鈴仙はすぎさった時間をふりかえります。 それは、ほんの数週間前の、でももう、けっしてもどらない時間です。 まだまだ雪のふかかった幻想郷。 まぶしいぐらいの雪原に、枝にいっぱい雪をのせたけやきの木のしたに。 「さいきん、私はおろかなことに、せっかくみつけただいじなものを、自分で失ってしまいました」 それはただ、自分のためだけにむけられた、あのほほえみ。 「ふぅん。それはきのどくね」 「でも、もし」 「もし?」 「もし、世界に一輪だけさいた雪割りの花をみつけてしまったら、それをだれにもいいたくないと思う気持ちは罪なのでしょうか? たとえそれがやがて失われるときまっているものだとしても、そういう気持ちをいだくこと、それ自体が罪なのでしょうか」 永琳は腕をくんで、こまったような、わらったような、古い表情をうかべました。 「鈴仙、貴方もわかっているように、物事のすべては錯覚、まぼろしなのよ。すべての光は波長がちがうだけで、波であり、また粒なのよ。それをいつも忘れてはいけない」 「…………………」 「でも、そのまぼろしの中に大事なものがうかぶのなら、錯覚を現実にひきよせる力がいるわね。それがほんとうに、雪のしたにこおって咲く花畑でなく、春の妖精をひきよせる雪割りの花なら、ね。それを錯覚と知って錯覚にあそぶのは、それなりにふつうのことなのよ」 そういうと、天の才にめぐまれた女性は、お屋敷のおくへとあゆみ去ってゆきました。 永琳の言葉は、まだまだみじゅくな鈴仙にはよくわかりませんでしたが、ほんの少しだけ胸のつかえがとれた気がしました。 ちりん―― それは、幻のひびきだったのでしょうか。 でも鈴仙は、よくわからないけれど、それでもうれしく思いました。 ――あきらめたく、ない。 消えかかっていた思いが、もういちど、心のおくそこから広がってきます。 ゆっくりと顔をあげ、前をみます。 大きな耳をたてて、自分の世界をひろげていきます。 思い立った鈴仙は、ゆっくりと歩き出しました。 永遠亭の大きな玄関のまえにたどりついたところで、鈴仙をまっている人がいました。 「・・・やっぱり、鈴仙にはウソはむいてなかったね」 てゐでした。いたずらっぽい笑みをうかべて、鈴仙をみあげています。 「うん。そうかもしれない。私はきっと、隠しごとはうまくなれないよ」 「じゃ、わたしが教えてあげようか? うまいウソの付き方」 「てゐはウソつきじゃないんじゃなかったのか?」 「人を毒でころすときに、毒を調合できなくても大丈夫とおなじことじゃない」 「それは、そうかもね」 「じゃあ、代わりに」 てゐが、ぴょこんと飛びはねて、鈴仙のめのまえに立ちました。おとなぶって、肩をすくめてみせます。 「鈴仙のさがしものにつきあってあげるよ。うさぎの手でよかったらいっぱいあるから」 みれば、てゐのうしろには、何十ひきといううさぎたちが、鈴仙とてゐを見あげていました。 鈴仙はおどろき、そして背のひくいてゐの頭に、自分の手をのせました。 「私のも、うさぎの手だから、数えるならいっしょにしてほしいな」 そのときの気持ちは、どこか、あの女の子の笑顔をみたときの気持ちににていました。 竹林の中や外を、うさぎたちが走り回っていました。 でも、鈴仙は永遠亭のまえで、じっとたちつくしていました。 大きな耳をよりいっそう大きく立てて、一つの音も聞きのがさないように、神経をとがらせていました。 時は、夜。 風はさえわたり、ゆれる笹のむこうには、月の光がにじんでいました。 月からの声がこわくて、ふだんならけっして、夜中に耳をすますことはなかった鈴仙でしたが、今日だけはちがいました。 今みつけるんだ。 かならずみつけるから。 そう、心にちかっていました。 おおきな耳がとらえるさまざまな音を一つずつそぎおとしていきます。 両目をとじて、ただ、音だけの世界に自分をただよわせました。 風の音。 せせらぎの音。 うさぎたちの足音。 おおかみの遠ぼえ。 よたかや、ふくろうの羽ばたき。 月の光もとおざけました。 ひとつ、またひとつ、音が鈴仙の世界からきえていきます。 そして、 やがて、 そのおくで、ひっそりと―― ちりん。 『……でも、鈴仙がわたしを見つけてくれたから、わたしは招かれたいと思った。いまのままじゃいけないって、そう思えたの。鈴仙じゃなきゃ、駄目だったと思うの』 それはまぼろしでした。 でも、まぼろしではありませんでした。 どうじに、てゐの呼び声がとおくできこえました。 「れいせーん!」 鈴仙は走り出しました。 かずかぎりない竹をくぐりぬけるように。さいごには、竹のほうが自分から道をゆずってくれるかのようでした。 大きな息をつきながら、鈴仙はそこにたどり着きました。 そこは、竹やぶのなかでした。 てゐや、多くのうさぎたちにとりかこまれて、舞台のように大きな石がすわっています。 一歩まえに出た鈴仙は、 そのうえに、一つの小さな雪うさぎを見つけました。 目はあざやかな南天の実、耳はふかみどりの大きなはっぱでした。 雪うさぎは、しずかに鈴仙をみつめていました。 『・・・わたしもうさぎだったらよかったな。きっといつまでも、鈴仙といっしょにいられたのに、なぁ』 鈴仙は、震える両手でゆっくりと、雪うさぎをこわしてゆきました。 そのなかからあらわれたのは、 ふるいふるい、 とおい昔に、だれかによって作られた、 あかがねの風鈴――。 雪をおとし、あたためるようにして手にしっかりと包み、それからてっぺんをもって、いちどゆっくり鳴らしてみました。 ちりん。 てゐとうさぎたちは、いっせいに耳をたて、そのすんだ音色に聞き入りました。 でも、鈴仙だけはちがいました。 鈴仙には、それは、 鈴のねいろのようにころころと笑う、女の子の笑顔のように聞こえていました。 「やっと・・・また、会えた」 「うん――ありがとう、鈴仙」 [ そのころ、永遠亭では、永琳と姫とがひそやかに話をしていました。 「・・・永琳も人がわるいわね。本当は、あの風鈴のもののけがさいしょから、この屋敷にまよいこむのをしっていたのでしょう?」 「もちろんですよ。だから、鈴仙をむかえにいかせたんですから」 「それをいってあげればよかったのに」 「気づかないほどおろかではないと思ったんですけどね」 「永琳はほんとうにうそつきね」 おおきな部屋を二つにわける御簾の中で、姫はたおやかに笑いますが、永琳はほほえんだままこたえません。この二人にとっては、ささいな出来事など全ておみとおしなのです。なにしろ、もうずっと千年もいきてきたのですから。 でも、永琳はさいきん、自分たちの考えが少しだけ変わってきたことに気づいたのです。もうかくれなくてよくなったからかどうかはわかりませんが・・・もう人間ではない自分たちがまだ、ほかのだれかを受け入れることができるのだということに。 鈴仙が月を見すてた罪はけっして消えることがありません。でもそれと、鈴仙がもういちど、幸せをさがすということは別のお話です。そのために、むげんの時間をもつ自分たちが鈴仙の罪を少しぐらい引き受けてもいいかもしれない、と考えたのでしょう。もともと、地上に隠れすむ永琳たちは罪人でしたから、一つや二つ咎がふえたところで、何もかわりはしませんから。 それはどこかおかしな余裕でした。永琳がいうようなくるったまぼろしなのかもしれませんが、でもきっと――それは、こころよいまぼろしであるのでしょう。 なぜ、永琳たちの考えがかわったのかはわかりませんが、もしかすると・・・それは自分たちが、このふしぎな里・・・幻想郷にくらしているときづいたからなのかも、しれませんね。 ・・・さて、これよりのち、夏の夜の永遠亭にはあたらしい風景がふえたといいます。 それは、廊下ののきさきに釣りさげられたふるい風鈴と、そのしたに座りこむ月のうさぎ。 風が吹くたびに風鈴は、 ちりん、 とほほえむような音を立て、月のうさぎの大きな耳が答えるようにふわりと揺れます。 まるで仲良く声を揃えて詠うかのように。 それが、 いつまでも、 いつまでも、続きます。 そのようすを、深い竹林から顔をのぞき込むかのような大きな月が、ただなにもいわないまま、しずかに見つめているのでした。 |
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