■幕間 二


 ちりん、

 ・・・私は僅かに目を開けた。

 鈍重なバスはのろのろと走っていく。
 雨脚も走行音も、どこまでも平坦に続いている。灰色の空、灰色のビル。がらんどうなのに硝子は曇り、瞼も重くて視界は狭い。
 時折バス停に止まっているような気もするが、乗客は一向に増えていない。信号にひっかかっているだけなのかもしれない。別にどうでもよかった。

 ちりん、と、どこかで風鈴が鳴った、
 ――ような気がする。
 澄みきった音が、波紋のように頭の奥に響いていく。
 不思議だった。
 もう風鈴の季節も終わってしまったというのに。思い出しているのは、家にずっと昔からある風鈴。夏が巡ってくるごとに取り出しては軒先に吊した風鈴。悲しいほどに青みがかり、昔ほどきれいな音色を立てなくなった風鈴。今年は結局吊しもしなかった。できるわけもないけれど。
 ちりん、
 余韻と共に広がっていく音。
 これは、記憶の中にしかない音だ。
 昔は、本当にこんな澄み切った音を立てていただろうか。思い出を美化しすぎているのだろうか。いや、もしかして本当は、今でもこんな音なのだろうか。変わってしまったのは、心象風景に機能不全をきたした、昔ほど素直に感動できない私なのではないだろうか。

 躯が重たかった。座席にずぶずぶと埋もれてしまう錯覚を覚える。
 目の前を紅白の蝶が再び舞っている。女の子はまだバスを降りていないのだろうか。姿勢を崩したこの視線の角度では、彼女の姿を捉えられなかった。ただ、目の前の蝶の夢幻が明滅している。

 今日はどうしてこんなに、無くしたものの事ばかり考えてしまうのだろう。
 だってそれは、
 
 きっと、
 
 あの日と同じ、。 

 ――雨が降っているから。

 ちりん。

 風鈴の音に引き寄せられるように、私はもう一度目を閉じた。


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