■東風谷早苗は窓を開ける。             【PERSPECTIVE】


 東風谷早苗は毎日、窓を開ける。
 起床後の習慣。布団を抜け出し、自室で最初にすること。守矢の神社が幻想郷に移転して来る前からの習慣だから、神社も湖も全部ひっくるめて移動したので、窓の外の風景は何一つ変わらないのだけれど。
 鳥の囀りがまだ少なくて、風が夜をだらしなく孕んだままで、紅がようやく山を登り始めた曙の群青。朝露が眠る森の葉の上にある頃。
 いつもと同じ時間に起床する、いつもの一日の始まり。
 でも、これは違う。
 自分がまだ憶えている「あの」空と違う。
 これは幻想の空だ。すべてが昇華された景色。早苗はそれを眺めている。違和感……それでも、彼女は窓を開ける。たとえば雨が降っていても、嵐が吹いていても、彼女はまず窓を開けるだろう。昨日も一昨日もその前もその前も、ずっとそうしてきたのと同じように。
 もしかすると自分が同じ本を何度もめくるのと同じ事なのか、それとも誰かが毎日めくる本の頁の一節に示されているのが自分なのか、メタ的に考えればこの世はすべてメタ的で、でも努力しなければ人間の思考は空間に縛られ時間に制限されるから、空論を試論だと弁解をしてまで脳裏のニューロンを無駄に行き交わせる価値などないのかもしれない。それよりは朝起きたら窓があって、その窓を開けば二つの眼球が立体的に認識可能な風景が広がっているという単純な事実の方が大切なのかもしれない。自分の日常は淀んでいない。夜は朝ではない。神の力を周囲に感じる。連続性に包まれている。ならばよい。
 夜着から微かに匂う寝汗が気になる。
 布団をたたみ、衣服を携えて部屋を出る。湖で身を清めなければならない。
 戸を閉じる。
 窓はもう閉じている。
 彼女の短い朝は終わり、彼女の長い一日が始まる。

 東風谷早苗は毎日、歯を磨く。
 勿論寝る前にも歯を磨く。おかげで彼女の歯は真っ白で、笑顔も輝くことになる。生来生真面目なので、あのぐうたら巫女のように四六時中だらしなく笑っているわけではないけれど。歯磨きが得意なので、奥歯の隅まできちんと磨き上げることが出来る。歯ブラシを器用にひっくり返して奥歯の内側に細い毛の固まりを当てる。ついでに舌を擦るのも忘れない。口臭予防である。
 なにしろ、巫女の顔は神社の看板なのだから。
 何事も形から入るというのは実は結構大切なことだ。巫女が巫女らしく清潔で凛々しい立ち振る舞いを見せることが、信仰心を集める上でとても重要なのである。なにしろ神様はいつでもお出ましになるわけではない。童心をさらけ出して人とつきあえば大切な友達が出来るかもしれないけれど、その結果特殊な妖怪しか寄ってこなくなっては本末転倒だと早苗は思う。現在、守矢の神社に参拝する信者のほとんどが妖怪であることをさておいても……神に仕える者としては人間である前に巫女でなければ。
 結果、外の世界で東風谷は巫女でありすぎ、神様の身分に右足をつっこんでしまった。今となってはそれが良かったのか悪かったのか、早苗自身にもよくわからない。現在の自分は、ちょっとだけ奇跡が起こせるただの人間である。それでも、それでも。自分が今なお巫女であるのは間違いないので、それに見合った行動は欠かさない。
 桶で水を含み、ガラガラと口の中を濯ぎながら、ふと考える。
 でも、自分がもし巫女でなくても、歯磨きには拘っているだろうなと。
 洗面器の水面に映る自分に、イーッと口を広げてみせる。今朝も彼女の歯は必要以上にぴかぴかで真っ白だ。

 東風谷早苗は毎日、新聞を読む。
 幻想郷へ引っ越してきても新聞に困らないなどとは想像していなかった。神社の直下に天狗達のコミュニティが存在する為、投げ込まれる新聞の数は両手両足の指の数ではきかない。それら全部を読むことは物理的にも精神的にも時間的にも出来ないけれど、情報に事欠かないのは大切なことだ。時には昔懐かしい金属バットで追い返したくなる時もあるけれど。
 外界の新聞は本当のことよりも情報の操作性や効率性が重要視されていたために、ある意味で人心を手玉に取る事を生業としている早苗にとっては稚拙で物足りなかった。間接的にとはいえ神霊の精神に触れ、己も神として崇められた経験を持っているので、その辺りの誘導に引っかかるはずもない。ただ、人間の神への信仰心が衰えていった理由も又、人間の情報操作の洗練が要因の一つともいえた訳で、早苗に反省すべきところがまるでなかったともいえないだろうが……今となっては凋落するメディアの右往左往なども思い出のがらくたの中だ。
 ところが、幻想郷の新聞は違う。書いてあること全部が真実なのだ。その中にはこれから真実になる(つまり、天狗の犯行予告みたいな)出来事も書いてある場合すらあり、緻密なのか大雑把なのか解らない天狗の生活様式に頭を痛めながら、早苗は膨大な新聞と格闘することになる。天狗達の話によると、穏やかだった幻想郷はここ数年でずいぶんと賑やかになり、新聞も発行しやすくなったそうだ。引っ越した当初は天狗達との意思疎通も出来ていなかったため確認していないが、ここ守矢の神社の出現や、一時の麓の神社との対立も又、天狗にとって大きな話題提供となったことだろう。
 しかし――
 自分がよく読む……もとい、読まざるを得ない新聞を取り上げる。
『幻想郷最速』を自称する賑やかな天狗が発行している例の有名誌だ。 
 広げた紙面には、早苗自身が神社をバックに説法をする記事が、写真入りででかでかと載っている。一面ブチ抜きである。いかにそれが真実でも、自分の一挙手一投足が頻繁、つぶさに掲載される新聞が里に配られるのはいい気がしない。別に教団の広報誌が必要な訳でもないし。

 東風谷早苗は毎日、虚空を見上げる。
 箒で広大な境内を掃き清める手を止めて。
 空に近くなった神社の境内から、天へ天へと登っていく全き青の空。守矢の社のある妖怪の山をさらに高く登ると、冥界を越えて仙郷や天界にすら届くという。崇拝する祭神が神社の移転を決意した時、杳としてしれない山奥に神意を吹かせるその意味を掴みかねていたのだが、最近ようやく解る気がしてきた。
 幻想郷は思った以上に広く、深い。
 そして今も拡大を続けている。確証はないが、神意を通じて感じるものがある。
 幻想郷はまるで、神話の保存庫だと思う。
 かつて日本にあったもの、最近まで日本にあったもの、そして日本にあるべきだと大まかに思われているもので溢れている。煙を噴く神々の山、鳳凰と蓬莱伝説、かぐや姫と月の伝承、魔法使いと吸血鬼、あやふやな顕界と冥界の境、数多の妖怪達。噂に聞く妖怪の賢者が仕組んだにしても、その技は理を司る者の領域を超えている気がする。
 幻想の日本。
 いや、日本という確固たる幻想。
 この世界では幻想は絵空事ではなく、真実に限りなく近いというのに。
 幻想郷の空を見上げると、どうも例の巫女について思い出してしまう。此処をのぞけば世界に唯一の神社。文字通り、境界そのものの神社。そこに住んで『   』を奉る巫女。真面目に話をしようとすると怒り出すか、居眠りするか、酒を持ち出すかして我慢が効かない少女。自分とは正反対で、自分とは比較にならない力を秘めた少女。決して誰からも嫌われないけど、自分からはおもねることもない不思議な少女。
 博麗霊夢は幻想だろうか。幻想の日本のどこから来たのだろう。
 仮にもしそうでないとすれば、彼女はどうして空を見上げるのだろう。
 ……神意を問うても回答はない。
 だから早苗は、一人黙して空を見上げる。回答はない。

       ☆

 里に降りた日。
 薄暮の頃。きらきらと輝く星の瞬き。
 口汚く喧嘩をしている人々の姿を見てなんだか少し驚いた。
 幻想郷の人間は外の世界の人間と少し違い、のんびりしていて、歩みは遅く、でも精神は強靱で、夜の闇や妖怪とも渡り合う。科学文明を得る前の人間が多分そうであったかのように。けれど、最近は、若干違うだけでやっぱりどちらも同じ人間だと思うようにしている。環境は人を変えるが、人が人でなくなるのは結構難しい。
 自分は人間なのだと思い定めてから特にそう感じる。
 幻想郷の中でも外でも、人が生きようと思い矛盾を感じて生きるために凡そなんらかの努力を志すならば――それが彼らの人生なのだ。

       ☆

 東風谷早苗は毎日、庭を整える。
 神社は神の住まう場所であり、また神と人とが対面する場所である。この山に移動してからも参拝客が絶えることはない。人間はまだ、ほぼいないけれど。
 外界では信仰が衰えたがために寂れた社などという概念がまかり通り、それが逆説的に空間の神秘性を人間に想起させるねじれ現象が起こっていた。早苗からすればとんでもない話で、神には崇める者の信仰が必要なのだから、その直接的対象となる神社が襤褸ではお話にならない。信仰が弱まった社からは神が去ってしまい意味が摩耗してしまうので、単なるバラックでしかない。そのためにも、神社が荘厳で有り続けることは必須であり、それを司る巫女の責務が絶えることがない。
 神社には、定礎よりこのかた、確固たる姿がある。
 増築されたり分社を勧請したりと、その形状が不変であるともいえないのだが、だからといって一度定まったものを安易に変化させることは、神意をも歪める結果となり、やがては人に災いをもたらすことになるだろう。それは神社に繁茂する樹木にも、神社の参道を構成する石の一つ一つ、その摩耗にすらもいえることだ。守矢の風祝として、早苗の一族は厳重にしきたりを守ってきた。どこからみても、二次元的、三次元的に変化のない空間構成を整える。
 神社の構成そのものが祝詞であり、また結界。
 外界に神社があった頃は、長い歴史の中で神社を取り巻く包囲や地形すらも結界の一部として組み込まれていた。だから、神の力によってこの場所に転移したといっても、まだ神社としての力は外界にあった時のそれを超えてはいない。時を経てますます信仰が集められ醸成されれば、神は大いに力を得、神社も又旧来の光輝を取り戻すだろう。
 そういえば、麓の神社が局地的な地震で二度にわたって倒壊したと新聞に書いてあった。怪しげな妖怪が寄ってたかって再建したらしいが、あの脳天気な巫女は式年遷宮を気取っているに違いない。神社の形は信仰の形だ。もしあの場所が幻想郷にとって本当に大切な場所であるのなら、今後大きな変化が仕組まれ始めているのかもしれない……良いことなのか悪いことなのか、予期できないけれど。
 でも、私がここでこの神社を守れば、神への信仰が絶えることはない。
 この山頂からこぼれ落ちた滴が一滴ずつでも幻想郷に広まれば、それがまた幻想郷を変えていくことにもなるだろう。私は道を見誤らない。神意はぶれない。
 巫女は、いつも強く心掛けている。

 東風谷早苗は毎日、風を見る。
 長い翠の髪が揺れる度に、風の行く末を見つめてみる。風には神が宿り、気流の重さは幻想的な視覚情報として捉えることが出来る。彼女は木の葉や霧に頼ることなく、風の複雑な分節を把握し、その流れゆく様を限定的に予知可能なのだ。祭神の力を受ける身であれば造作もないことなのだけれど、風が見えない普通の人間にとっては、徒手空拳で事物を動かせる早苗の姿は現人神にしか見えなかった。風とは、神の是とも解せる。よってこれが、彼女が「奇跡を起こせる程度の力を持つ」と称される所以になっている。
 だが、幻想郷では風にまつわる力を持つ妖怪や人間が少なくないので、軽々しく奇跡などと口にはばかることもできないし、もはやするつもりもない。
 早苗が思うのは、新参者として幻想郷の風を見るのは悪くないなということ。
 彼女は神の御稜威を成して、様々な風を起こし見た。山の風、平地の風、森の風、冬の風。幻想郷ではもうお目に掛かれない海の風、潮風。風に撫でられてくすぐったそうにする赤子の顔も、風になぎ倒されて命を失う老人の姿も、疾風が峻険な峰すら打ち崩す場面も、竜巻となって無数の生け贄を所望する時間も、慈愛に満ちた右手となって生育する稲穂を撫でていく空間も知っている。自分の目で見たこともあるし、八坂加奈子や洩谷諏訪子という霊的な絶対者たちと感覚を共有した際に「観た」こともある。神の手を介さずに己の瞳で眺めた風も無数にある。
 風祝の家の者としての宿命といい、
 神に連なる者としての義務を成す。
 そんな自分が、視線を投げて幻想郷の風を見る。
 自分を通り過ぎていく風に身を委ねてみる。
 これは、これまで見てきたのと同じ風だ。風祝として確信する。
 外の世界も、幻想郷も、風は変わらない。風は揺るがない。話に聴く妖怪の結界や、博麗大結界がいかに強力な結界であろうとも、風という簡単にして強固な概念に改変を成すことは不可能だ。
 ならば風よ、
 私の網膜というミニマムな二次元に一度触れた風よ。
 指先を離れたその瞬間、三次元の思考を超えて誘惑に負けず強く羽ばたき、四次元をも超える巨大な壁を超越して、外の世界に吹くがいい。気ままに弱く、高く遠く。
 外の世界の風を知る自分だからこそ出来る、それは奇跡。
 外の世界の誰かの髪を揺らすその時々に、神意は遍く広がっていく――たとえ人間がそれを必要としなくなっていたとしても。千年前の蓮の種が花を咲かす頃のように。
 そんな風を、彼女は見ている。

 東風谷早苗は毎日、日記をつける。
 風のこと。
 神社のこと。
 参拝客のこと。
 妖怪のこと。
 人間のこと。 
 日々の勤め。
 神との対話。
 雨のこと。
 軒下のこと。
 箒のこと。
 新聞のこと。
 自分のこと。
 他人のこと。
 巫女のこと。
 あの巫女のこと。
 湖のこと。
 ゆらへゆらへと揺れて。
 居眠りしたこと。
 里のこと。
 里の子のこと。
 過去のこと。
 妖怪の山のこと。
 事件のこと。
 空間のこと。
 ご飯のこと。
 森の中の名も無き石仏。
 夢。
 幻想。
 風のこと。
 風のこと。
 風のこと、
 ……笑顔、のこと。
 狭間。
 昨日のこと、
 書き忘れていた昨日のこと、
 筆を交換したこと。
 硯が割れたこと。
 泣いたこと。
 風のこと。
 裏の神社。
 神。
 星。
 幻想郷。
 ……自分のこと。
 風のこと。
 自分のこと。
 明日のこと。
 自分のこと、
 自分のこと、
 自分のこと。こと。ことり、
 ――筆を置く。

 東風谷早苗は毎日、床に就く。
 月も傾く真夜中の頃。毎晩同じ時間に自室で夜着に着替え、音もなく影を揺らしていた燭台の炎を吹き消してするすると床に収まる。なにしろ生粋の巫女として教育を受けているので、姿勢が寝乱れることもなくほぼまっすぐに休む。人間はきちんとした訓練を幼少から受けることによって、大概のレベルの習慣は身につけることが出来る。一時は神であった早苗からすれば当然であるが、だらしない神が居ることもまた事実。結局人間の概念に神を当てはめるのが間違っているので、現在ほぼ普通の人間と相成った早苗とすればただ淡々と日常を暮らしていくのみである。
 胸元まで掛け布団を載せて、瞳を閉じてみる。
 今日の仕事のこと、さっき書いた日記のこと、思い出してみる。
 眠気は訪れない。
 黙って目を開ける。
 薄暗い部屋の天井。右の方がぼんやり明るい。
 首を傾ける。
 窓があって、閉じたまま月光の残滓を透過している。
 あの窓を開け放てば、ここで寝たままめくるめく星空を切り取った豪華な絵画と対面できるだろう。星見は風祝の仕事の一つだから、既に先程まで散々夜空を眺めてはいる。それでも、満天の光の天蓋が見たいと思う。呼吸や太陽が人にとって必要不可欠な要素であるとするならば、星空に焦がれるのは人間の本性なのかもしれない。吸い込まれそうな銀河の燦めきを見上げる度に、彼女はそう思う。
 でも、
 彼女は身を起こさない。
 あの窓を開けるのは明日の陽光を迎えるためにある。
 あの窓は幻想の空を見上げるためにある。
 あの窓は彼女の一日を始めるためにある。
 だから今は、手を伸ばそうとする手を胸に当てて、眠ろう。
 瞼を閉じれば脳裏に浮かぶ幻想の星海に飛び込むことを願って。
 閉じたままの窓をぼんやり眺めていた早苗は、もう一度天井に相対して視界を闇に帰した。しばらくして、小さな小さな寝息が規則正しく繰り返され始める。

 ――月が山の端に完全に没し、
 部屋が甘美な闇に包まれてしまう頃になってようやく、
 守矢の神社の一日が終わる。