――ここにある言葉は誰も聞くことがないし誰も見ることもなく誰も想像しない、
 私の中にしか存在してはならない完全なる私空間の言説だけれど、
 逆説的には誰もが触れ得る普遍化された想像であり幻想であろう。
 それは電気的な数値でのみ認識されうるはずの電磁波の揺らぎが、
人の手を解して機械的に増幅され計画されて音楽として響き渡ることに似ている。
 すべては錯覚であり書庫(アーカイブ)である。
 そこにあらゆる事物が存在しているのは酷く当たり前のこと。
 ただ、『この私』の存在だけが虚数的だ。

 その非合理極まりない私はかつて妖怪として、
月にまつわるこの一連の物語に関与したが、
愚かなことに選択を誤ってしまったが故に、
この物語は私の手から無残にこぼれ落ちてしまった。
 私は永遠亭の中に迷い込んだ時、
月から来た賢者を追い掛けた時、
紫外線の向こうに見えた可能性への分岐点に察知すべきだったのだが、
定められたルールに愚直に従い、
博麗霊夢と対になる妖怪としてのみ振舞ったため、
 新たな世界を掴み得なかった。
 己が裡の真なる欲望を解放することなく、
無意識的に己の裂け目を自ら塞いでしまっていた。
 私はあの後、自分が何を計画して何を為したかを知っている。
 幻想郷の人間や妖怪たちを方程式に当て嵌め、
私自らが月の姫に土下座までして、
あの八意永琳に酒の味を香らせた意趣返しをしたことをよく覚えている。
 自ら仕掛けた他愛もない戦に勝ったと自負している。
 ――故に、だからこそ、
 ここから先に私を語る言葉はないし私が語る言葉もない。
 あるのはただ、
 砕け散った硝子の様なひどくみっともない可能性の残骸だ。
 だが、ある可能性から自らを放逐したこの私であるが故に、
私はこの世界を視ている。
 ここから次なる可能性が生まれることがないとしても、
ただ、私はここを視ている。

 私とは――結界の妖怪と呼ばれる者、八雲紫。
 かつて幻想郷を導く賢者であったもの。
 無数の瞳であったもの。
 幾千万の手であったもの。
 そして今ここで、無力な傍観者となったもの。
 意思を持つ者として自然に選び取った選択を間違えたが故に、やがて――
 時間と空間の弾ける世界の傍らで、音もなく朽ちるもの。