「鏡の中のエルフ」 「リエール、開けて」 珍しく日中に在宅だったリエールは、聞き慣れた声に腰を上げた。 「どしたのソフィ」 「大きな荷物持ってるから、手が離せなくて」 扉越しに聞こえるソフィの弾んだ声に、リエールは肩を竦めながらドアを開けた。 目の前には、自分とそっくりなソフィ……ではなく、自分そのものがいた。 「え?」 一瞬、目をぱちくり。 その後から、満面の笑みを浮かべたソフィが現れる。 「なんだ、鏡じゃない」 「うん。お手伝いに行ったお家で、使わなくなった姿見を貰ってきたの。ほら、うちの鏡は上半身だけしか入らないのだけじゃない? だからね」 「ふーん……ってまさか、こんな重そうなの一人で持って帰ったの?」 「ええ。なんだか無性に嬉しくて。それに、たいした距離じゃないもの」 「また筋肉ついちゃうんだから」 何故か口を尖らせるリエール。 村の住人たちも、大きな鏡を運んでいくソフィに驚いたことだろう。 毎度のことながら、女性として外見にあまり気を払わない妹に呆れてしまう。その一方で、この無垢さ加減がソフィをソフィたらしめているのだと分かってもいる。 「まぁいいわ、折角の頂き物だし、良い場所に備え付けましょ」 「ええ」 「一旦降ろして。二人で運びましょ」 「あら大丈夫よ、リエール」 「あんた意外とおっちょこちょいだから、家の中にあちこちぶつけて鏡が割れないか心配なのよね」 「うぅ……それは……」 ちょっとだけ意地悪そうにリエールが笑う。 複雑な表情を浮かべつつ、反論出来ないソフィだった。 色々話し合った後、鏡は共用物だからと、リビングルームの端に置かれた。 大きな鏡がいつも視界に入っていると兄がさぞ鬱陶しがるだろうとソフィは心配したのだけれど、「今いないのが悪いのよ」とリエールは押し切った。それに、ある程度広いところでないと鏡は使いにくい。ソフィは、もし兄さんに怒られたらリエールの分まで謝ろうと密かに決めていた。 そんなこんながあって、安置された鏡を二人が覗き込む。ソフィが一面を乾拭きで磨き上げると、曇りのない鏡の前でリエールが一回転ターンをして見せた。妹と同様に長い緑色の髪がふわっと広がる。その軽快さはエルフという種族における特徴の一つだ。 「良い感じね」 「気に入ってくれた? リエール」 「ま、ね。鏡って結構好きだし」 「女の子の必需品だもの」 「その割には、ソフィって結構外見を気にしてないでしょ」 「そんなことないわよ。みんなに見られてもおかしくないように、髪も身なりも整えるのを忘れないわ」 「あーもう違う違う。女の子は可愛いのが正しいのよ。可愛くなるように努力しないとだめなの。ソフィはどう見られてるかってのに無自覚すぎるのよねぇ」 「そうかしら……そんなことないと思うけど」 首を傾げるソフィが、鏡の中の自分を見遣る。 リエールほど派手でも行動的でもないけれど、自分のことはそれなりに可愛いと思っているのだから。この姿でいられて幸せだとも思う。自分の意志とは関係なく成長するスタイル……とくに上半身について不満がない訳じゃないけれど。 リエールはそんなソフィをぼんやり見ていたが、何を思いついたのか、悪戯っぽく微笑んでソフィの肩をつついた。 「ねぇソフィ。ちょっと、服を交換してみない?」 「え? 交換?」 「そうそう。ソフィの服を着て自分がどう見えるか、一度やってみたかったのよね」 「どうって……同じぐらいの身長で同じ顔なんだし、あんまり変わらないと思うけれど」 「もー。つまんないわねぇ。一度くらいやってみてもいいじゃない。お遊びよ、お遊び」 行動的な姉は即断即決の人である。さっさと自分の服に手を掛けたのを見て、ソフィは目を丸くした。 「え、今、ここでするの? 着てる物じゃなくて、着替え持ってくるのに」 「何してるの、ほらほら」 「きゃ、もう、変なところ触らないで! 自分で脱げるからぁ」 「何を恥ずかしがってるのよ。家の中だし、姉妹でしかも双子なのに」 「関係あるのかしら、それ……」 しばらくして。 姉の服を整えたソフィは、鏡を覗き込む。 鏡を挟んでその奥に、リエールの姿をした自分が立っている。腕輪の位置は変えていないから、いつも通りちょうど向き合っているような感じだ。声を出さずに立っていたら、ソフィだと気付かない人もいるかもしれない。ただ、目元や表情は確かに自分のそれだ。体を包むぴったりとした服が、なんだか自分を無防備にしている気がする。自分に自信がないからだろうか。 ちょっとだけ、ドキドキする。 いつだってリエールは最も身近な存在で、もっとも憧れる対象だ。 傍目で見ていて危なっかしいほどの自由奔放さには心配させられる反面、ずっと羨ましいと思っていた。時折、男性と並んで立っている時のリエールを見ると胸の奥が弾ける。同じ姿形をしているはずの自分よりもずっとずっと綺麗に思えるのだ。 リエールの格好をしてみても、それは強く思う。 男性のことはよく分からない。まだ、好意を持つ対象もいない。一番身近な男性といえば兄だけれど、肉親としての親愛以上ではもちろんないし。だから、能動的に男性に近づくなんて考えにくいと思う。 その点、リエールはどんどん綺麗になっていく。不安になる時もない訳じゃないけれど、成長して愛する人と結ばれるのは素敵なこと。リエールは私よりちょっとだけ先にいるんだろう。お母さんのお腹の中から出てきた時のように。そして私が将来そういうことになる時は……きっと、リエールとは違う道を通っているんじゃないかな。 だからやっぱり自分はリエールにはなれない。 それでいいの。 リエールが今、側にいてくれるから、自分は自分でいられるんじゃないかって。 双子でいられることを、彼女は幸せなことだと思っている。 次いで、ソフィの格好をしたリエールが鏡の前に立つ。 表情が服に似合っていないと彼女は思う。昔は二人お揃いで可愛らしい服を纏ったものだけれど、成長するに従って性格も分かれ、服の趣味も変わった。純粋に女の子然とした可愛さを自分に求める男性はもういないだろう。 ソフィが禁欲的な生活を続けているのを歯がゆく思う一方で、ソフィが子供時代からずっと変わらないことはリエールにとって一種の安らぎだった。そこに甘えている自分がいることは自覚している。不幸な事件で両親を失い、兄の性格はよじれてしまったけれど、ソフィは真っ直ぐな性格を決して失わない。希有なことだ。 男性と付き合うことで浮かんでは消えるあの微細な恋愛の熱情と冷却をしらないまま、ソフィは強い愛に辿り着いてしまうかもしれない。ソフィには変な男に引っかかる前に正しく恋を経験して欲しいと常々思っているのだけれど、土壇場でリエールを追い越すのはソフィの方かもしれないのだから。 女は理解出来ないもの、なのだから。 そして、それはそれで面白いと思うのだ。 鏡の中の妹が――その格好をした自分が、妖艶に笑ってみせる。 たまらず吹き出す。こういうのはソフィには似合わない。 一番大切な人と、その間に儲けた子供と一緒に立っている姿の方が想像しやすい。 だからやっぱり自分はソフィにはなれない。 それでいいんだ。 ソフィが側にいてくれるから、自分には帰ってこれる場所があるんだって。 双子でいられることを、彼女は幸せなことだと思っている。 リエールはソフィを後から抱いて、鏡を覗き込んだ。 「で、どう? 感想は」 「うーん……やっぱりこの服はちょっと似合わないかしら。体の線が出るのもなんだか恥ずかしいし」 「同じような姿してるんだから大丈夫でしょうに。それとも……もしかして太った?」 「え、え、ない! そんなことぜったいないもん」 「一日でジャムの瓶を半分空けるような娘に言われても説得力ないわね」 「その分運動してるから大丈夫なのよ。……きっと、たぶん」 「じゃあそうね、運動がてら出掛けようか」 「どこにいくの?」 「( )のところよ。それでね、服を交換したまま行ってみるの」 「え、ええ? ダメよ、ダメ……恥ずかしいわ」 「裸で行く訳じゃなし、恥ずかしいってことないじゃない。私が恥ずかしい恰好してるってことかしら?」 「それは、違うけど………」 「じゃ決まりね。ほら、いこいこ」 「ちょ、ちょっと待ってよリエール」 「急いで急いで。( )は入れ替わってるって気付くかしら。気付かなかったらお仕置きよね」 「乱暴はダメよ、リエール」 「ああでも、ソフィと間違えられて胸を揉まれちゃったら大変かも」 「リエール!」 きっと、ずっと、こんな風に。 大きな鏡に映った、 鏡のような双子のエルフは、 自分には決してないものを見いだしながら、 互いに向き合いながら、 それぞれの日々を暮らしている。 ■戻る |