駄楽道・wizneko氏作 
東方怪綺談、妖々夢SS「Farewell, Alice
感想覚え書き



 音速がかなり遅いですが、ようやくまとめられたので掲載します。
他の方の東方作品を流し読みでは勿体ないので、できれば今後もこういう形で触発されたことを書き残せればなぁと考えています。もちろん本来は最初に総本山の作品について書ければいいのですが。
 あと、今回は「雑記72」内掲載の作品を元に書かせて頂いているので、これが初期版か、リライト版かの区別が付いておりません。この辺もダラダラしていた結果でして情けない話ですが。
 また、wizneko氏が書き上げられた後の、ご本人と東方界隈の感想のやりとりもあまり踏まえていませんので、既出な話題とか的外れな視点とか多々あるかと思いますが、大目に見てやって下さいませ。あらかじめお詫びしておきます。




☆ 魔界人アリス

 wiznekoさんの物語から感じるのは、登場人物一人一人が、しっかりと地に根を下ろしているな、と。言い方を変えれば、みんな普通の人(?)だな、と。ふわふわとしてないですね。きちんと会話をしている。原作内の掛け合いのように、問答というか漫才を繰り返していないので、東方らしさは幾分スポイルしているかもしれませんが、その分物語は骨太です。
 東方キャラって、背景のシリアスさ、重さと表面上(?)の振る舞いのいい加減さの齟齬とバランスが魅力なんですよね。あのZUN氏のバランスは真似できないなと常日頃唸っています。そこで、逆に行動がシリアスすぎると照れてしまって書けなくなっていた、というのが自分の中であったかもしれません。
 こういう部分で、自分の表現を狭めているのかな、と考えてしまうのです。自分にはやりづらくても、そういうアプローチもありだというのは常に考えておくべきでしょうね。二次創作に於いて原作を大きく改変するというのは自他共に受け入れにくいものですが、思考実験として行うことまで避けていてはいけないんだ、と。
 その点、どこまでも真剣なアリスというのは、自分にとって新鮮で、興味深い点でした。こういう設定でないと、こういう物語は構成できないでしょうから。


☆ アリスによって紡がれる、魅魔の為の物語。

 この物語の中でもっとも気に入ったのは、やはり魅魔ですね。予測が付かない、何を考えているか計りにくい、存在感の巨大さ。神の如き圧倒的な強さ(まぁ神なんでしょうけど)。どれをとっても他の登場人物を越えています。新作と旧作をつなぐ物語として考えた時にも、両方に登場し得るのは主人公のアリスと魅魔だけですからね(霊夢は靈夢と書き換えられていることからも、代替わりしているようですし)。
 夢をたゆたう、夢に生きる、無限の存在。
 ご存じの通り、現在ZUN氏が構築中の東方世界には、魅魔の代わりになるようなポジションのキャラクターがいません。個人的には、魅魔の代わりが博麗大結界かなぁと考えていますが。どちらも東方シリーズの物語の基礎となる存在ですから。
魅魔という存在が旧東方の祟り神=結界であったのだろうと。その辺り、新作の永夜抄でどれだけ、現在の幻想郷の根幹が示されるか楽しみなのですが。
 それはさておき……引退した魅魔が、どのような思いで今の幻想郷を見つめているか、気になるところですね。


☆ 敢えて?神として神綺を描かなかったこと

 個人的に一番違和感があったのがこの点でした。超越者として表現されている魅魔に対して、どこまでも母として、想像の範疇の振る舞いをする神綺。東方シリーズのラスボスはおおむね、霊夢と同格の超越者であると考えています。気紛れで世界を霧で包んだり、興味本位で桜を咲かせるために春を奪ったり。それらの、滅びに至る絢爛さと、捻れても壊れない精神のアンバランスさと、神々の如き能力の強大さの瀬戸際が僕にとっては魅力なので。
 まぁ元々が、神綺(神)という位置づけ自体が新旧含め東方世界では突出してしまっている感が否めないので、仕方ないのかもしれません。自分を神という存在に於いたことによって逆に行動を縛られてしまったと考えるべきなのかもしれないのでしょうか。神という言葉は強力すぎて、幻想には成り得ないでしょうから。
 個人的には、幻想郷で血縁は書きにくいですね。脳内設定ではスカーレット姉妹も血が繋がっていない(笑)


☆ 「この」アリスの魂は解放されているのだろうか?

 幻想郷の空を自由に飛び、旅人にちょっかいを出すラストシーンのアリスを想像しながら、少し考えます。
 出来ることなら、なるべくなら……過去のことは思い出さないで欲しい。今流れゆく精神の移ろうまま、幻想の中に生きて欲しい。個人的な想像……というよりは、願望ですが……幻想郷の住人は力ある者もそうでない者も、皆共通して心が自由なんじゃないかと思っています。幻想郷に生きるための、それが唯一の条件です。人間であれ妖怪であれ、(弾幕ごっこの能力の差はともあれ)対等に喋れて自らを表現できる。力の有無が存在理由ではなく、彼女たちがそこにいることだけで十分だ、と。だからこそ、東方の受けての皆さんが、メインキャラだけでなくルーミアや黒幕といった下っ端にまで愛情を注げるのじゃないかと。
 時は過ぎ、三人から送り出されたアリスの精神は緩やかに流れていきます。もしかしたら流れることなく、川底に沈んでいるのかもしれない。でも、永い時の旋律に角を取られ、御影石のように丸く輝いていることでしょう。そして川面に日が当たるたびに、幻想郷の一部としてきらきらと輝くのです。
 天への飛行は魂の解放の象徴といえるでしょうから、まず大丈夫だとは思うのですが。


☆ 表現・構成について

 私が目を開くと、見渡す限りの世界は暗く、形を持っていなかった。世界の上には春が控え、世界の下には冬が吹きすさんでいて、世界は予兆に満ちていた。
「Let there be light」
 私は呟いた。そうして、世界は二つに分かたれた。二つに分かたれた境界の世界に一人の迷い人。・・・

 出だして打ちのめされました。格好良すぎです。東方シリーズの醍醐味の一つが、よく分からない蘊蓄の披露と引用なのはご承知でしょうが、原典を知っていたのでなおさらしびれました(有名ですからね)。この引用はアリスが現在孤独であるとの主題の隠喩ともなっています。本当に秀逸です。
 あと、魅魔と神綺の決戦は悲壮感があって好きですね。ご存じの方はご存じと思いますが、怪綺談の神綺のテーマ「神話幻想 〜 Infinite Being」がもの凄く格好いい曲でして。このシーンに完全に合致していると思うので、聞いたことない方は総本山にいって聞いてみることをお勧めします。旧作霊夢は個人的に丸っこいイメージなので(得体の知れない部分がない、よって物足りない)、やはり魅魔と神綺という超存在どうしの戦いにこそ似合う曲じゃないかなと。
 後半の、神綺とアリスのやりとりが書きたかったのでしょうから、どうしても前半の印象は怪綺談のダイジェストという印象を受けてしまいましたが、怪綺談をきちんと踏まえているということで別に間違いではないと思います。僕だったら4面ボスぐらいまでを出さずに、夢子の重要度を上げて、また魔理沙を登場させるか、霊夢に物語の核に参与させる、といった構成にしたかもしれません。ただ、博麗大結界と霊夢の関係を使えなければ、霊夢にそれほど沢山を望むことは出来ないのかも知れませんが。ま、物語の芯を思いついていなかったので机上の空論です。




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