弘川寺探訪(2) 桜回廊の巻



  

 そこには顕界を遙かに越えた桜並木が延々と連なっていたのでした。

 というのは真っ赤な嘘です(笑)もちろん、この写真も加工しまくりの合成です。
 しかし、この西行桜山に関しては、写真がほぼ無いのは本当です。最初はあまりに美しい光景にフィルムが足りないな、と心配ばかりしていましたが……前にも少し書きましたが、結局、この空気は記録には残せないな、と、ふと思ってしまったのです。なので、写真は止めて、ゆっくりと見て回ることにしました。
 とにかく、物音と言えば風の音と、桜の花々、枝々が触れあう音だけ。風が吹くたびに、三ヘクタール以上に渡って植えられた千本の桜が一斉に風になびき、花びらを舞わせます。風が斜面を駆け上ると、桜色に染め上げられた大気は、空に向かって舞い上がるのです。花びらが、下から僕の髪を煽って揺らして、天に向かうのです。あの瞬間は本当に絶句でした。
 風が強くなっても弱くなっても、白い淡い花びらは止めどなく舞い続けます。
 まるで現実の光景ではありません。
 完全なる群桜の中央に、僕はいたのでした。
 西行は、実際にはこの桜山を見たわけではありません。
 西行はこのような世界を夢想していたのでしょうか?
 西行は、このような世界の中で永久の眠りにつきたかったのでしょうか?

 今ならば確信できます。
 東方妖々夢の六面の一番最初――Perfect Cherry Blossom。
 「厭離穢土・欣求浄土」の文字が浮かび上がるあの瞬間を、静寂と桜の花びらだけにしたZUN氏の演出は、本当に神掛かっていると思います。桜には、本当に華麗で優雅な瞬間と、それにまつわる、絶対に拭いきれない寂しさがつきまとう。
 散ることの寂しさは、西行が終生歌い続け、散ることの美しさは戦中の軍国主義などによって美化されすぎた面も実際ありました。そういったことから、実際には桜には寂しさは似合わない、それは日本人の特定の人々が植え付けた作為の上にある物であって、本来は群衆と歓楽の文化の極みが桜である……そういう指摘も一面ではあるようです。
 ですがあの光景は……人間によって思いを込められた後、人間の手を離れてたとえ無人でも幽玄と咲き誇るあの桜の園は、目を閉じるたびに瞬く幻影となって、一切の響きを失った世界で脳裏に浮かび上がるのです。
 霊夢が来る前――天空の西行寺に咲く無音の桜。
 それを死してなお毎年毎年毎年毎年、春になる旅に見つめ続ける少女。
 死後の世界に桜があるのは、だれかがそれを望んだからです。
 桜は、人に望まれる花だから。
 彼女の瞳に映るその世界は、一体どのような光景だったのでしょうか?
 生死を超えて人間が望んだが故に、冥界にも咲くその光景は。
 ………彼女たちの遊戯に垣間見るその世界から、想像はいろいろと膨らんでいきます。

 興味がある方は、是非自分の目でご覧になってください。
 これは、自分で見ないと価値がないです。
 あの瞬間を自分で感じなければ。
 叶うならば、来年もまた、あの白い風を観に、この山に訪れようと思っています。

 あと、話をぶちこわすようで恐縮ですが、西行桜山は酒類持ち込み禁止です。自分だけ気持ちよくなろうとルールを破って、山を汚すことのないようにお願いします。すれ違ったおじさん軍団が、ラジオで野球の試合をガンガン流しながら歩いていたのは非常に萎えました……


     

 西行桜山から降りてきて、もう一度西行墳の前に来ると、誰かが絵筆を使っていたのか(油絵っぽかったです)、描き終えた(?)キャンパスが建てかけられていました。描かれていた方がいらっしゃらなかったし、失礼に当たると思ったので写真は撮りませんでしたが、その色調が思いも掛けず明快な、象徴的な色遣いで(影を蒼く赤く大胆に塗り分けていたようでした)、西行の墓を鮮やかに彩っていたのが印象的でした。その絵を見て初めて気づいたのですが、ドームのように、桜と木々で囲まれた西行墳なのですが、実際西行の墓にだけ、白い太陽光が注がれていたのです。まるで、桜に囲まれた西行の表情のような、穏やかな笑みのように。


   春蒼く 尋ねた山の 桜塚 光笑いて 風白く吹く      一希



 これで、弘川寺のレポートを、一応終了しておこうと思います。
 書き残した事はあまりに多いですが、今は胸の中にしまっておいて、
 いつかどこかの作品や文章で、お目にかけられればな、と思っています。

 貴重な一日を過ごせて、幸せな時間でした。(04/06/06.07)