■ 幻灯天使博物館 〜イントロダクション







 その晩、普通の魔法使いさんはほうきに乗って、夜空の散歩としゃれ込んでいました。普段であれば夜は読書と相場が決まっているのですが、部屋の窓から洩れてくる月の光が、机のランプよりはるかにきれいなので、心のどこかが静かに騒ぐのでした。
「泣きたいくらいに真っ白な夜だな」
 なんて独り言をいっているわりに、魔法使いさんはいつも通りにやにやと笑っています。
 魔法使いさんはへそ曲がりなことが大好きでした。






 まんまるなお月様の下、白く染まった黒い森の上を飛んでいると、森の中に何かを見つけました。高い高い杉の木のこずえに隠れるように、大きすぎず小さすぎないお屋敷がひっそりと建っています。
「また洋館だ。妙に縁があるな」
 魔法使いさんは知り合いが住んでいる紅いお屋敷のことを思い出していました。そこはとっても大きくて、無意味に広くて、自分を自慢するかのようで、掃除がとっても大変そうでしたが、働くのは自分ではないので魔法使いさんはどうでもいいと思っていました。
 それに比べてこのお屋敷は、まるで目立たないことを信条としているかのように静かで………ゆるやかな風に揺れるかのようにひそやかです。
 興味の湧いた魔法使いさんは、空から舞い降りると玄関のノッカーを鳴らしました。



「こんばんわだぜ」
 玄関から出てきたのは、髪が輝くようなグレイの紳士でした。
「………こんな夜更けに、どちらさまですかな?」
「どちらさまかといわれると考え込むけど、ま、夜に空を飛ぶのは魔法使いってことになってる」
「あとはフクロウの類とかですな。私は当家の執事でございますが、あいにくと現在、あるじが所用で出掛けておりまして」
「せっかくだから挨拶をしていきたいんだけど。どのくらいで帰ってくるんだ?」
「何しろご自由な方ですので、私には分かりかねますので」
「んじゃ適当に待ってるぜ。どうせ暇だしな」



 魔法使いさんは玄関に通されました。客人用のソファーに座り込んで様子をうかがいます。
 その屋敷は不思議なことに、夜だというのに大きな灯りが吊されていませんでした。
 代わりに、部屋のあちこちから小さな投光器が光の線を形作っており、白い壁に影絵を示し回転しています。そのどれもがみな、翼を持つ人間の姿をしていました。
 それは不思議な光景でした。
「妙な趣向だぜ」
 出されたお茶を飲みながら、魔法使いさんは飛び交う影を眺めていました。
 闇の向こうで執事さんの声がします。どこに立っているのでしょう。
「これらはみな、当家の主の趣味でございまして、世界各国からさまざまな形の天使を狩猟しては、影絵として現しているのでございます。その種類は那由他に及び、さなから、空に住まう者共の博物館と申せましょう」
「いい趣味だぜ」
「ですが、彼ら光り輝くべき天使は幻灯に封じ込められ、決められた空を影絵として飛ぶことしかできません。それを見る我々の視点は神の視点なのです。それは、もしや不遜なことなのではないのでしょうか」
「あんたは御主人にそういったのか」
「私は一介の僕(しもべ)にすぎませんので」
「………魔法使いに聞くべき問いじゃないが……翼のある奴は飛ぶ。飛べる場所を飛ぶ。自由に見える渡り鳥だって、毎年同じ道を飛ぶ。それが不幸か不遜かなんてしったこっちゃない。そうあるように、それらはあるんだからな。ただ……空の広さを決めるのは翼を持つ奴自身だぜ。この深い闇夜の中に、こいつらは飛んでるかも知れないし」
 いまだ衰えない月光の白さを気にしながら、魔法使いさんはそう答えました。


 お茶を飲み終えた頃に、魔法使いさんは屋敷を辞し、再び空に舞い上がりました。
 館の主人は帰って来ませんでしたが、魔法使いさんは最初からそういう気がしていたので、その時は残念ではありませんでした。

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 朝になって、魔法使いさんは友達の巫女さんのところに遊びに行きました。
「………で、もう一度行ったら屋敷はなかったって、そういうこと?」
「そうだぜ」
「そんな話、森の木々の数だけ転がってるわよ。珍しくもない」
「だけど、紅茶は紅魔館よりも美味しかったぜ。もう一回飲めないのは惜しいな」
「それを先にいいなさいよ」
 そしてまた、二人揃ってお茶をすするゆったりとした時間が流れます。
 ただ、魔法使いさんは自分の黒服を見ながらへんてこなことを考えていたのでした。
(………もしかしたら、私たちは他の誰かの影だったり、そうでなかったりするのかもな)
 そして、そういうことを考えさせてくれたあの館で、今度は館の主と一緒にあのお茶を飲むのも悪くないなと、そう考えるのでした。
 
 今宵の月は、昨夜と同じように、白く輝くのでしょうか?