平成二十三年の上海アリス



「……君は、要領が良い子だね」
 健一がそう謂われたのは、父の葬式でのこと。母が席を外していた時に、囁くように投げつけられた。親戚だったのか父の会社の人だったのか、今となっては定かではない。葬儀などそれまで出席したことはなかったし、とりたてて泣くでもなく行儀が悪いでもなく、母に謂われるまま頭を下げたり座っていたりしただけなのだけど。ただ、褒められたようには感じられなかったから、母に報告しなかった。会場の記憶は水墨画のように滲んでいるけれど、その一言だけは後々まで鮮明に残っていて。最近ようやく朧気に、生前の父がどのように思われていたか察しがつくようになった。
 式が終わり、全員が黒い服を着た無彩色のような部屋を抜けると、何処からか迷い込んだ、紋白蝶によく似た紅白の蝶が視界に舞い込んできたのをよく憶えている。
 ――それから数年。
 彼は今年、六年生になる。
 それでなくても高かった身長はすでに160センチに達した。加えて四角い顔立ちで、背を伸ばして歩いていると中高生はおろか、場合によっては大人にすら見間違えられる。よって、どうしても猫背になる。ボロボロになったランドセルは似合わないこと夥しいが、あと半年は壊すわけにもいかない。常に自分を気に掛けてくれる母ならば代替品を用意してくれるだろうけれど、今更新品ではさらに馬鹿にされてしまうだろう。
 とりあえず明日からは、それも気にする必要がなくなる。
 校門を抜けて――


 巫女も妖怪もいない、茫洋とした夏休みへ。


 終業式が終わって、まだ午前中の帰路。
 東北地方の巨大地震と原発事故についてのニュースが新聞にもテレビにも毎日大きく取り上げられていたけれど、健一が住む街にとっては普段通りの夏が訪れていた。少なくとも表面上は――或いは、彼にとっては。敢えていつもどおりにしないといけないという空気が流れていたのかもしれない。どちらにせよ、健一にどうこう出来るわけもなく、だから、やっぱり、ただの夏休みの始まりだった。
 この時点では。
 大通りの信号を渡り、用水路に沿った道を辿って、JRと第三セクター運営の線路が一緒くたにまとめられた踏切を渡る。横断途中で、地平線へとまっすぐ伸びるようにみえる線路の行く先を無意識に眺めている。以前から、直線道路よりも直線の線路の方が心に影を落とす。警報機で赤の明滅を繰り返すランプは最近、丸型から四角に変わった。どうしてだろう。
 そこからさらに十五分ぐらい歩いて、春日神社の前を通過して、自宅へと到着する。
 古い平屋の借家。ポケットから鍵を取り出して差し込むと違和感。施錠は解かれていた。
「……お母さん?」
「ああ健一、おかえりなさい」
 狭く暗い玄関の奥から聞き慣れた声が出迎えてくれた。
「お母さんこそおかえり。急にどうしたの」
「仕事の案件が一つ早く終わったから帰ってきたの。素麺準備してるけど、食べる? まだちょっと冷えてないけどね」
 そういって母は笑った。
 いつも通りの、疲労を浮かべたままの微笑み。
 その小柄な躰と高い声によって、遠目には少女に間違われてしまうほどの彼女だったが、健一にとっては紛れもなく一ヶ月ぶりに見る母の姿、だった。


 健一は飛び抜けて大きな身長以外、平々凡々とした小学生である。
 恵まれた体格を生かした運動が得意というわけでもなく、誰に指をさされるほど勉強ができないわけでもない。身長のことはコンプレックスといえばそうだが気に病むという程でもないし、いじめに遭っているというわけでもない。ただ、いつも人の輪の端にいるタイプだというのは自他共に認めている。
 父親が早くに亡くなり片親だというのも、日本や世界には同じ境遇の子がいっぱいいるだろうというのは理解している。それについて色目で見られるというのもあまりない気がする、多分。少なくとも彼自身が認識できる範囲では。
 ただ、母親が日本中に出張を繰り返すような仕事をしているので、学校の先生や近所の大人には余計に目を掛けられているというのはあるかもしれない。他方、父親の葬式以来、親戚という類の人間には一度も会っていない。いないと考えてもいいのかなと思っていて、母に尋ねたこともあまりない。そういう意味では、思ったことをすぐ口に出すタイプの少年ではない。
 ……周囲の子供たちがそうであるように、インドア派な彼もゲームが大好きだ。
 母親はねだれば買ってくれるようなタイプの人間ではないのでたくさん持っている訳ではないが、友人と貸し借りして結構な数を遊んでいる。長期間に渡る鍵っ子であることから小学生としては多額にお金を渡されているけれど、母子家庭である我が家の経済状況を慮れる子だったので無駄遣いはしていない。
 ただし、例外がある。
 一番好きなゲーム、東方プロジェクトのシューティングゲームについて。
 遊び始めるのに比較的高いハードルがあるウィンドウズ向けの同人ソフトだが、幸いにして自宅にシリーズのゲームがきちんと動くパソコンがあったため、毎日繰り返し遊んでいる。この手のゲームを遊ぶのは初めてだったが、ゲーム内容や世界観に虜になってしまった。創作物の何処に面白さを感じるかはそれぞれであろうから、彼にも響く何かがあったのだろう。
 東方を本格的に知った契機こそ、友達が何処からか入手してきたコピーのソフトをインストールしてくれたことなのだが、その後ネットでそういう行為が非難の対象になっているのを知り、自分で改めてシリーズを全部購入した。初めて隣町にある同人ショップに行く際はちょっとした冒険だったから、無事に買えた時は嬉しくていつまでもパッケージを眺めたりしていた。
 作品ごとの単価は安いものの、全部を揃えるとなると結構な額だったが、普段節約している分から捻出できた。もっとも、渡したお小遣いをあまり使わないことを母親は逆に気にしている様子だったので、結局、特段の問題にはならなかった。
 母親は健一にインターネットを自由に使わせているので、東方にまつわるいろいろな情報やイラストや、場合によっては小学生が見るには適切でない内容のデータに出くわす機会もある。アクセスの簡単さからそういうものに触れてしまうことはあったが、唯一無二たる母親が強く求める信頼とモラルが彼を縛っており、のめり込んでしまうこともなかった。また、現実問題として、大量に存在する東方二次創作を買うお金もなく、情報過多な世界から選びようもない。自然、ニコニコ動画に上がっているような動画、アレンジ音楽などにはあまり興味を示していなかった。
 はじめに原作を揃えてしまったことで、他者が通る分かりやすさに触れる前に、「正しい東方の在り方」といった、年少ゆえの近視眼的な正義感に囚われてしまったのかもしれない。もっとも、学校では自分ほど熱心に東方を楽しむ友達はいない(シューティングゲームという敷居の高さもあり、同様のネット発コンテンツといえる初音ミクとの知名度の差は歴然であった)し、ネットに迂闊に書き込んではいけないという母の教えも律儀に守っていたので、一人で悶々と抱え込むだけだった。この件についてだけは、とても判りにくい経路で東方プロジェクトにはまった、変わった子供であった。
 ……そういう健一であったから、今年の夏休みは小学生最後であるという以上に、ある特別な意味を帯びて待ち受けている。
 直接そこに手が届くわけではないのだけれど。
 今年のコミックマーケットで、二年ぶりに上海アリス幻樂団の新作が頒布されるから。

       ☆

 健一はまだ本職の巫女をみたことがない。
 家族が三人だった頃も、二人になってからも、初詣や七五三といった行事に参加していない。大きな寺社に出向いた記憶が無い。町内の子ども会で御輿を担いだ時も、法被を着て鉢巻を巻いた大人はいても巫女はいなかった。よって、巫女をアニメやゲームやネット以外で眼前にしたのは見たのは、強制参加ではない町内会の秋祭りでのことだ。地区の中央にある春日神社に幟が立った日、隣のクラスの女子が一日限りで巫女を務めているのを目撃したのだ。
 綺麗な子で、顔だけは以前から憶えていた。ただ話したことはない。集団登校でも同じ班ではない。
 その子が白粉を塗り、赤袴を履いて、神社の本殿に座っていたり、求めに応じ黙ってしゃんしゃんと五十鈴を鳴らしている。その様が、どうにも網膜に焼き付いて剥がれない。
 そこには、学校で見知った、黄色い声を上げて走り回るような女の子たちの姿はなく。
 人形のように同じ動作を繰り返す少女の姿がある。
 あれは本当に同じ女の子だろうかと思う。
 自分にとって一番身近な異性といえばやっぱり母親で、普段から家にいないとしてもそうで。帰ってきて化粧を落としている時と仕事に出かける際のスーツ姿ではやっぱり別人のような感じだけれども、巫女に扮した少女とはまた別の感じがする。小さくて声が高くて、母にだって一瞬少女を感じることがあり、ああそれはそうだ、母だって昔は少女だったのだから、だけど、やっぱり母は母であって。
 では、女の子と少女と巫女とは、また違うものなのだろうか。
 ……健一の好きな幻想郷の物語には基本的に少女しか出てこない。
 それは作者が意図してそういう風に作っているだけなのだろうけれど。
 でも。
 幻想郷が遠いと思うぐらいには、健一にとって巫女も縁遠く、それ以上に少女のなんたるかなんて異郷のごとき存在だ。生を受けてから現在に到るまで。一際躰の大きな自分にはあの小ささや可愛さや感触は、そう、それはなんだかまるで――
 棺桶に横たわる父親の骸のように、白く紅い、死を思わせる。

       ☆

 ――窓の外で、じいじいと蝉が鳴いている。
 亡くなった父が母に会った頃には、みーんみーんという油蝉の声が五月蝿いほどだったらしい。今ではその声を聞くことは殆ど無い。何年も眠っているはずの蝉は、いったいどこへいってしまったのだろう。十三年が過ぎても寝続けて、二千四百三十一年のために眠り続けているのかもしれない。
「…………………」
 母子が黙って素麺をすすっている。
 気詰まりなのではない。この家庭はいつもそうなのだ。必要があればきちんと話し、必要があれば事足りるまで尋ねるのだが、でなければ言葉数は少ない。今も学校のことやご近所のことや健康のことを二つ三つ確認したのち、普段の会話はほぼ終わったようなものだった。ただ、母が何か大切なことを喋ろうとする時にはいつも、少し沈黙が重たくなることがあって、それがまさに今だなと健一は感じ取っていた。
 溶け残った氷にこびりついた白い麺を箸で取ろうとしながら、母が口を開く。
「健ちゃん……私、今の仕事をやめようかと思っているの」
「……え、そうなんだ」
 答えながら、母の意志が浸透してこないような感触を受けながら、答える。気のない返事になっているという自覚はなかった。
「うん」
「どうして?」
「健ちゃんも来年は中学生になって、勉強とか、その先の進路とかもそろそろきちんとしたほうがいいし。もちろん、一人でもきちんとやってくれると思っているわ。母さんが無理言ってきたのはわかってるし、それれなのに、いままでもしてくれてたのものね。でもね、やっぱりそろそろ、近くにいたほうがいいんじゃないかって……ううん、やっぱりそろそろ、私が近くにいたいだけかもね。わがままだと思うけど」
「そんなことないよ」
「ありがと。実は知り合いが私を呼んでくれている会社があるの。待遇もいいし、県外への出張もないわ。だけど、結局ここから引っ越さなきゃいけないってのもあるし。本当はここで健一と暮らせればいいんだけどね」
 母にはもう、実家と呼べる場所がないことは知っている。
 だからこそ、父への気持ちが強かったのだろうし、その父を失ったことが母を大きく変えてしまったのだろうと、想像もできる。
「……僕、転校しなきゃいけないの?」
「ううん、健一が卒業するまでは大丈夫よ。六年生の後半で引越しなんて可哀想だもの」
「そう、よかった」
「引越し、嫌じゃない?」
「お母さんが決めたことならそれでいいと思うよ。僕は大丈夫」
 考えて出た言葉ではない。
 健一と母親の間の慣用句だった。
 今までもずっとそうしてきたのだから、今もそうするのが道理だろうし。
 そう考えるのすら必要ないかもしれない。会話を繋ぐためのショートカットだった。
「……ありがとう」
 母はよく微笑みを浮かべるけれど、そこに疲労が浮かばない日はない。
 例外はない。
 あの葬式の日からずっと。
 そんな母を、努力してまで否定するなんて選択肢が、健一にあるはずもなかった。


 母親の職業は勿論知っているけれど、実際に母がどう働いているかについて具体的なイメージを持っていない。アルバイトすら遠い小学生には理解など難易度が高く、そもそも不要だった。教育者が折にふれて必要性を主張する金銭を得ることへのリアリティと、小学生の認識との乖離は、年を追ってかけ離れる一方なのかもしれない。
 母にとって自分はまだ無力だが、一日も早く自立して欲しい存在なのは間違いなく、それは可能だと思われていて、そう直接諭されてもいる。父を亡くしてからの母の方針だ。そのために母が用いる方法が、小学生が半ば一人で暮らすという高レベルの信頼なのだ。とはいえ完全に放任ではなく、大家さんや近所付き合いとの根回しも十分に行い、学校にも事前に掛けあっている。健一は最新型に近いスマートフォンを常時携帯しているが、これも彼女が教師に強く主張したせいだ。児童の扱いを横並びにせざるを得ない学校側は、六年生の携帯の常時保有を認めざるを得なくなって、結果多少の問題が発生するようになったけれど、当然ながら健一は「問題児童」に含まれていない。
 そのスマートフォンで、一日一回、母と子は話す。遠くにいても、近くにいても。
 ……このように、健一は、母の信頼に答えなければならないと思っている。
 なんでも一人で出来るようになろうと思っている。
 ただ――もし。
 母親が出張に出て、そのまま本当に帰ってこなかったらどうなるだろう、
 と、時折ぼんやり考えてしまうことがある。
 無論、万一を考えて母親は行動しているのだろうし、実際それが起これば、どうにでもなるのだ、きっと。どうにもならなければ、父のようになるだけだから。
 恐怖よりも茫洋さが、健一の心にわだかまっている。
 だから、母親と再会するたびに思う。
 自分は年を経て、いろんなことが出来るようになったし、背も高くなった。
 まだ子供だけど、ちょっとはしっかりしてきたと思う。
 それでも、母親の笑顔に屈託が見えない日はない。
 あの日からずっと。
 きっと、母親が自分や世界に持っていた幻想は死んで焼かれてしまったのだ。
 父親の棺桶と一緒に、焼き場の炎になって、煙になってまっすぐ立ち上ってしまったのだ。
 父の骨を拾い、後にする焼き場を振り仰いで見上げたあの煙は、もう燃え尽きてしまっているというのに、月まで届いてしまうかのようにまっすぐに長くて高かった。

       ☆

 踏切を渡る時、いつも一瞬立ち止まる。
 そこは本来、人が留まることを許さない場所だ。
 通学路を遮断して寝そべるような踏切の上には、左を見ても右を見ても真っ直ぐに線路が伸びていて、音楽室にあるピアノの鍵盤のような枕木替わりのコンクリートを踏んで歩くだけで、どこまでもどこまでも正しく歩けそうな幻想がある。もちろんそれは気のせいで、しばらく行くとカーブに差し掛かるし、その向こうにはポイントがあって幾重にも枝分かれして、やがては乗客の待つ駅へと入線していく。
 線路とは人が作ったのに、最初から人が歩くことを想定されていない道だ。
 どうしてだろう。
 多分、それは、電車が普通の人間では動かせない乗り物だからに違いない。自分は電車を選んで乗り降りしているつもりでも、電車は実の所、遠く遠くへ人を攫っていくのだ。
 だからきっと、道路よりはずっとずっと果てしなく真っ直ぐになっていくような、そんな幻想を覚えるのだろう。届くようで届かない場所へ。
 昔、ホームで電車待ちをしている時、快速電車が通過駅を駆け抜けるその姿を目の当たりにして、機械というよりも巨大な妖怪に感じた。自分の数メートル鼻先を疾駆する時速百キロの風の塊。アナウンスに注意されなくたって、とてもじゃないけど黄色い線の内側になんて立てるとは思えない。あれは死を纏う妖怪だと思おう。だからこそ、心がねじ曲げられてしまって、飛び込み自殺をしてしまう人が後を絶たないのだろう。黄色い線はきっと結界だ。でも人間は決められた線をいつも越えてしまう。どうしてだろう。
 そこがはじまりだから? 
 おわりだから?
 ……そんなことを考えながら、いつもゆっくりと踏切を渡る。時にはゆっくり過ぎて、警報機が鳴り出して、慌てて駈け出してレールに足を引っ掛けそうになったこともある。そうしてまた今日も、黄色と黒の結界に仕切られた向こう側で、人間を直線の向こうへと連れ去っていく鉄の怪物を見送るのだ。

      ☆

 転職と転居を考えているという母の言葉が染み渡ってきたのは、夜半、自室で一人になって布団に入った頃だった。首を振る扇風機の唸りが強弱リズムを取って繰り返し、遠ざかっては近くなる。パソコンは居間にあるので今夜は東方で遊んでいない。代わりに、古びたCDラジカセから東方の楽曲が繰り返しで流れていた。夢と現実の境があやふやになる内容のアルバムだが、就寝時のBGMとして適当かどうかは定かではない。
 時折キュルルというCDの読み込み音が聞こえる、静かな時間。
 仰向けになって天井を見上げている。
 借家で木造の古い家。合板と角材で構成された、見慣れた天井。薄目にすると、蛍光灯の常夜灯がオレンジ色に滲んでいく。
 この光景があたりまえのものになったのはいつだったろう。
 母親と枕を並べて寝た思い出は随分の前から既になくて、夜の多くを独りで過ごしてきた。闇の中で、通過する車のエンジン音や、縁側のビニール屋根を叩く雨の音や、直下付近に落ちた雷の音をよく憶えている。もはやかき混ぜられて一緒くたになった記憶だ。
 やがてそれも遠くなり、来年になればここは自分の家ではなくなる。
 未来の夜には、誰かが同じようにこの天井を見上げるのだろうか。
 ……目の上に手を載せて、さらに精神の闇を招き入れる。
 自分の居場所、なくなった場所。
 ――三月十一日に起こった東北の地震と津波と原発事故が、時間と空間から問答無用に人々を攫ってしまったのを連想する。ニコニコ動画で一人、何度も津波の動画を見ていた。TVでは流れなかった生々しい映像がいくつも思い出される。水に流されて止まった車が画面のすぐ下で見切れてしまい、そこに波というか、水の壁がやってくる。車がどうなったのかはわからない。もしかしたら運転者は助かっていたのかもしれない。映像は唐突に終わり、それを確かめる方法はもはやない。断片だけが無数に拡散されていく。
 東北はもとより、東京やもっと広い範囲が放射能で汚染されてしまったという人と、そうではないという人がネット上では争っていた。電気が止まってしまうとか、水を買い占めているとか。そういえばこちらでも、ペットボトルの水を買い物籠いっぱいに買っているおばあさんを見かけた。母親に尋ねたら、多分向こうの人に送るんじゃないかといっていた。向こうでは今も毎日のように大きな余震が続いていた。何も終わっていないし、多分、すべてが終わったままではもあるのだろう。体育館で暮らす人たちの光景。学校でも募金活動に参加しましょうなんてプリントが配られていた。友達との会話もちょっと前まではその事ばかりだった。身に沁みるような恐怖についても、悪趣味な冗談についても。そしてそれが健一たちにとって「ちょっと前」になりつつあることは、余震や報道が繰り返されても変わることはなかった。
 普段から母親と離れ離れである健一にとって、それは現実である一方で、後ろめたさを感じる光景だった。日本全国何処でだって被災する可能性はあると先生は言っていたけれど、それでもなお、自分は余震も居場所や食料にも、放射能にも心配することなく暮らしている。
 母が、被災地の避難所では子供たちが「死体を避ける遊び」をしているのだと話していた。誰かが汚いものを触った時に「バリア」といって逃げまわるあの遊びを、実際に死体を見た子供たちが同じようにやっているという。
 死と隣り合わせの空間。
 充ち満ちた死の夏。
 人形のようになったあの父が無数に転がっている世界。
 そこには自分がいない。そして、遠くない時間にはここから自分もいなくなる。
 何処からも此処からも人が消えて行く。
 被災者の人と自分とを並べることなんて良くないことだって分かっている。不謹慎という奴だ。だから口に出しはしないけれど――健一の中では地続きではないと否定することなど出来なかった。
 ………………。
 またラジカセの読み込み音。CDのトラックが変わる。
 ……今年はあの日以来様々なイレギュラーが続いていたが、震災の一日後に予定されていた東方のイベントが延期になったことや、新作「東方神霊廟」の体験版が遅れて頒布されたこと。また、延期開催されたイベント自体には上海アリス幻樂団のミニアルバムが頒布されたことも、健一にとっては大きな出来事だった。
 体験版はネットで公開されたので手に入れることが出来たが、地震後まもなく作者が東北を旅したことを踏まえて急遽製作されたというCDは手に入れることができなかった。残念ではあったが健一にはどうすることもできなかった。
 他方、今夏のコミックマーケットは予定通りに行われることになっており、「東方神霊廟」は予定通りに出るという話である。例年通りならばコミケ後一ヶ月もすれば同人ショップに並ぶのだろうけれど、今夏は関東圏のあちこちで輪番停電や節電の呼びかけが行われたり、また原発事故の行方も不安定で、先が見えない状態が続いていた。工場が動かず食料品が一部事欠くような時に、同人ゲームが通常通り販売されるのだろうか。
 東方の前作は二年前であり、健一にとって、頒布開始をリアルタイムで待つのは今回が初めてである。一ヶ月のタイムラグの間にネットでネタバレに遭遇するのも嫌だったし、また友達がネットの何処かで違法にダウンロードしてきたのを話題にするかもしれない。自分が東方を大好きなことを面白がってからかうような気配もある。普段なら冗談半分でかわすのだけれど、今回それをやられると本当に怒ってしまうかもしれない。
 コミケの様子は動画や写真でみたことがある。
 どこまでいっても人の波が続くあの光景に自分が混じることは想像できなかったけれど、でも、東方の新作は叶うなら当日欲しかった。
 この自室がやがて自室でなくなるように、東方の新作だっていつまでもこうして頒布される訳ではないのだ。来年は環境が変わって、勉強に追われてゲームが出来ないかもしれない。母との「普通の生活」が始まれば、いままでのように自分で時間を決める生活にも制限が加わるかもしれない。勉強だって、中学生になれば部活だってあるだろう。先の事はとても遠いように思えるけれど、いつだってそれは錯覚なのだ。
 なにより、断絶は自分の意志とは関係なく突然やってくる。
 この夏の有様のように。
 だったら、いっそのこと――
 ……自分の中で悪い考えが首をもたげていると、健一は自覚した。
 無言で寝返りを打ち、薄い夏布団をかぶる。自分の身長では全部入りきらない、小さな掛け布団。寝ている間にどうせ蹴飛ばすのだとしっていて、敢えてそうする。
 まるで、更に深い闇に逃げ込もうとするかのように。

       ☆

 蝉取りをしようと友達と約束した。
 待ち合わせ場所は近所の春日神社。境内にある楠の巨木でじぃじぃと鳴き続ける蝉を眺めている。
 虫籠と虫あみを持って。
 直射日光は肌を刺し、蒸し暑さに汗が止まらない。
 ……昔、まだ父が生きていた頃。
 虫取りをしたくて物置から網を探し出して、大喜びをしたことがあった。でもその網はいわゆる「たもあみ」というやつで、釣った魚を上げるための目の粗いものだった。
 その頃は近くの用水路がまだコンクリートで塗り固められていなくて、秋になると無数の蜻蛉が蚊柱のようにかたまって飛び回っていた。だから、幼子であっても盲滅法に網を振り回せば数匹ぐらい容易に捕まえられたのだけれど。前述の網の目は容易に虫の体を切り裂いてしまって、羽根が取れたり、頭が取れたり。残酷なことだったが、それでも四肢を蠢かせている命の残滓を不思議に眺めていた自分をよく憶えている。
 一週間で死ぬような蝉を捕まえて籠に閉じ込めるのも変わらず、残酷な話なのかもしれない。
 どうだろう。
 見上げる楠木。
 今はきれいに枝を揃えられて、全体のフォルムがブロッコリーのようにもみえるこの樹は、健一が物心つく前には倍ぐらいの背丈があって、遠くにある線路の踏切からも姿をみることが出来たらしい。見上げると確かに、太い幹のあちらこちらを落とした断面がそのままになっているのが見える。町中にある神社だから、周囲の屋根や電信柱に引っかかって危ないという話だったけれど……注連縄を巻いてある樹の手足を人間の都合でばっさり伐採してしまったことに言いようのない後ろめたさを感じる。健一が殺したり閉じ込めたりする虫たちと同じように。
 後ろめたさ。
 自分にはどうにもできないからこそ感じる、高みの見物のような。
 気持ち悪いもの、見たくないものには近づかなくていい、だから見たい――
 そのことに健一が多少の罪悪感を感じている。作付けされず荒廃した田圃の壁にびっしりと、害虫であるジャンボタニシの真赤な卵が付いているのをみる時のように。
 多分それは、死体を見る時と同じ印象だから。
 父の死以来、自分には他者の死がべっとりとまとわりついている。やがてそれは自分を飲み込んで深い闇の底へと連れて行く。死からは誰も逃げられない。ただその際、どう死ぬかが違うだけ。自分が捕まえた蜻蛉もまた一つの死。
 この夏はなんだかそれを、特に感じる。
 ……麦わら帽子の下のうなじに汗の珠が浮いているのを自覚する。
 熱い。
 炎の感触を思い出す。
 父の棺桶とともに焼かれたのは母の幻想だけではなくて、自分を構成する大切な何かだったのかもしれない。 
 棺桶のごとくに閉じられた虫籠をかすめるようにして、何処かでみたような蝶が飛んでいるような気がした。多分、あれを捕まえることは出来ないのだろう。

       ☆

 数日もすると、母親はまた仕事に出掛けていった。
「家のこと、頼むわね。ちゃんと考えて食事をするのよ」
「うん、わかってる」
 帰宅の予定は一ヶ月後。場合によっては伸びることもある。これまでもそうだったし、そうして支障があったこともない。
 母は小学生夏休みの大半を一緒に過ごせないことを謝っていた。
 健一は「大丈夫だよ」と言って送り出す。
 そしていつも通り、家は彼ひとりきりになった。
 一日一回の定時連絡以外は、母の声を聞くこともない。以前にスカイプで動画をストリーミングする方法を二人して練習したのだが、結局使うことはなかった。
 あまりにもいつも通り過ぎて、なんだか拍子抜けするぐらいだった。
 そしてこれがいままで何度も繰り返してきた、いつも通りだった。
 ただし――これが、いつまでもいつも通りではないことを、健一は今、知っている。


 ……最初は単なる思いつきだった。
 なにを馬鹿なことを考えているのかと、自分で自分を嘲笑した。
 数日もすると、それは具体的な計画になりつつあった。東方プロジェクトのゲームで遊びながら、友人と数人でたむろしてもくもくと3DSを弄ったりしながら、それは健一の頭の中だけで膨らんでいった。
 そして、早く実行した方がお金を節約出来るという情報を確認した時、背の高い小学生は初めて、意識して背筋を伸ばした。 
 クローゼットの中から、長らく仕舞われたままだった父親のシャツと長ズボンを履いてみると、遠めには中背の大人に見えなくもない。あとは必要以上にビクビクしなければ大丈夫だ。母が前にいっていた。
「人って、自分が思うほど他人には注意を払わないものなのよ。だから、自分のやりたいことをやってアピールしなきゃいけないの。一人ぼっちにならないように」
 ちょっと難しい話だった。母はいつもの疲れた笑みを浮かべていたから、どういう気持ちで健一に話したのかは分からない。だけど、母が間違っていたことはないのだから。多分その通りだろう。ただ、自信を持てばいい。
『君は、要領が良い子だね』
 あの声が脳裡に響く。
 そうならば、問題はきっとないはずだから。
 無駄遣いせずに貯めた数枚の一万円札を財布に忍ばせて、健一は駅へと向かった。
 ――別に何も、そこまでする必要はないんじゃないか?
 母が旅立ってから、何度も何度も自問した。
 合理的に考えればそうだ。少しだけ待てば、望みは手に入るだろう。イレギュラーの多い茫洋とした夏休みとはいえ、それは自分の手が出せない外の世界のことばかりで、気にしなければ普段通り生活できている。友達と毎日遊び、決められたように生活をし、母が望むように大人になる。それでいい気がする。
 そういう小学生なりの、健一なりの常識や気持ちを、今回だけは我が儘で押しのけてみようと、何度も強く念じてきた。
 敢えて理由は作らない。
 その言い訳が、自分の気持ちを弱くするような気がして。
 小学生の終わり、
 我が家の終わり、
 人生の終わり。
 いつだって終わっているのだ。そうでないと始まらない。父の死で何かが始まったのだろうか? 少なくとも、母の人生は否応なく新しくなった。多分父が生きていれば、こんなに長く母と離れて暮らすこともなかっただろう。自分も心が削げ落ちて、こうやって生活を始めている。
 死の後の世界。
 死後の世界があるとしたら――ないと思うけど――もしあるなら幻想郷のような世界がいい。
 人間や妖怪や神様や、幽霊や怨霊が一緒になって暮らしているような。父の魂もそこに紛れ込んでいるかもしれない。自分もやがてはそうなる。終わらない終わり。
 一人の人間が考えた空想の世界だというのに、そう思ってしまう。
 こういうのが幻想だろうか。いや、妄想だ。考えても仕方のないことは世の中にある。
 そう――今は何を考えても仕方ない。
 ……そういう風に繰り返し何度も、自分のなかの倫理や常識を見ぬふりをして。
 健一は遂に東京行の新幹線の往復切符を買い求めた。
 事前に予想した通り、誰に見咎められることもなく、すんなり買うことが出来た。
 それでも健一は手のひらから背筋までねっとりと汗を掻いていた。
 手の中の切符を見、それからショーウィンドウに映った自分の姿を見て。
 そこでようやく、自分が父親の服を普通に着れるようになっていたのだと実感した。
 彼がかろうじて憶えていた元気な頃の父親は、見上げなければ顔が見えないほどの長身だったのに。


 財布に切符を忍ばせたまま、当日までは淡々と過ごした。
 ラジオ体操に行ったり、プールに行ったり、宿題をやったり。
 ただ、友達と遊ばない日、誰にも合わない日は、普段以上にとても長く感じられた。
 白日に晒された窓際と、夜のように冥い陰に切り取られた室内の境。
 時計の針は同じように毎日動いているのに、一体何故なのだろう。
 時間は一定ではないのだろうか。
 信じられないような暑さのなかで扇風機の前にいると、自分が茹だった上で撹拌されているような思いに苛まれもする。
 コップの中で溶けていく四角い氷をじっと眺めて。
 ぐにゃりと曲がった時間が通りすぎるのを待って。
 あれだけ好きで遊び慣れた東方プロジェクトを立ち上げることすら面倒で。
 巫女も妖怪もいない薄暗い部屋の中央で、遠くで時折鳴る風鈴の音に耳を傾ける。

       ☆

 八月十二日、金曜日、夕刻。
 電話帳に登録した番号の先頭、母親に電話を入れる。もう多分、目で見なくても掛けられる程に慣れた手順で。
「お母さん、健一だけど」
『お疲れ様。今日は少し早いのね』
「……ごめん。ええと、まだ仕事中だった?」
『ううん、いいのよ』
 母親の声が笑っているのが聞こえた。いつもの疲れ交じりの声だ。後ろで誰かの声がする。まだ仕事場にいるのだろう。
『なにか変わったことはない?』
「うん、大丈夫」
『今日は金曜日だったわね。ゴミ出しはきちんとやった?』
「うん」
『お盆だから、本当はお父さんのお墓に行きたかったんだけど……少し遅れるけれど、帰ったら一緒にお墓参りにいってくれる?』
「うん、いくよ」
『ありがとう。あまり夜更かしとか、ゲームばかりしないのよ。お腹を出して寝て、風邪を引かないようにね』
「わかってるよ」
『そう。……じゃあ、また明日ね』
「うん。お母さんも気をつけて」
 電話を切る。いつも通りの会話。何も変わらない。
 健一はそれをやるせなく思いながら、一方でなんだか安堵している。
 母親に対してこれほど大きな嘘をつくのは初めてだった。でも、実際はどうということはなかった。目的を果たして明日の電話をきちんと入れて、就寝時間までに家に戻れば、誰が傷つくというわけでもない。ただ、自分の欲しいものと、自分の心に小さな傷痕が残るだけ。多分、きっとそう。
 小さめのリュックサックを背負って外に出た。施錠をして通りに出ると、いつも気にかけてくれる大家さんと出くわした。海老のように腰の曲がった、気の良いお婆さんだ。
「あら健ちゃん、こんな時間にお出かけ?」
「はい、……ちょっと、友達の家に返しにいくものがあって」
「そう。あまり遅くならないようにね」
「はい」
 ここでもまた嘘をついてしまう。全く不審がられた感じはない。幾分早足で立ち去る際、痛みよりも興奮に鼓動が早鐘を打つのを自覚する。
 通りに面した春日神社の脇を抜けようとしてふと思いたち、境内に入らず鳥居の此方側から会釈した。普段からお参りしているわけでもないのに。嘘をつく自分が神様に祈るなどと罰が当たるような気がしたけれど、全てが上手くいった後の罰ならば受けてもいいから、どうか無事に行って帰って来れるようにと、そう願った。


 いまだ日が暮れぬ夏の街を見下ろして、時間を待つ。
 在来線とは雰囲気が違う新幹線のホーム。帰省や仕事で並ぶ大人たちの列に混じって立つ健一。身長だけは見劣りがしない。心細さを押しのけて、何度も気持ちを奮い立たせる。切符に施された入場の刻印を何度も眺め透かして。
 警報ベルが鳴り、女性の英語でアナウンスが流れ始める。
 と、そこで気づく。
 広軌のレールを挟んで、向かい側のホームに少女が立っていた。
 白やピンクの過剰なリボンや広がったスカートが、高い底の紅い靴が、少女という扮装をことさらに演出している。たしかロリィタという種類の服。行き交う乗車客たちの中で、爛れた夕闇の前で、彼女はことさらに浮いていた。まるで不思議の国に迷い込んだアリスのような場違いさで。
 そのような姿の少女を直にこの目で見るのは初めてかもしれない。焼け爛れた熱気のなかで熱くないのだろうかなどと思いながらジロジロ見ていたら、視線がぶつかってしまった。
 刹那、彼女は笑った。
 形容しがたい形に口を歪めて。
 確実にこちらを見つめて。見下すようにして。
 間違いなく。
 人形のような笑い。
 瞬間、彼我の間に白い車体の新幹線が滑りこむ。
 自分は何を見たのだろうと自問するが甲斐はない。新幹線に乗り座席に座る前に、恐る恐る窓の向こうを窺ったけれど、彼女の姿はもはやどこにもなかった。


 ……もしかしたら、あれは妖怪だったのかもしれない。
 つい、なんとなく――そう思ってしまった。
 願望かもしれない。


 着席するとまもなく、新幹線が静かに動き出した。
 妖怪の如きスピードで闇夜を疾駆する列車。
 普通の人間ではかなわない、どこまでも真っ直ぐな道を辿って。
 自分を連れて行く。
 行ったこともない巨大都市で、しかも何とかして一晩を無事にやりすごし、海に面した有明の巨大な会場を彷徨って、たった一枚のゲームソフトを買うためだけの、無謀この上ない旅へ。
 もはや、取り返しはつかない。
 持ってきたPSPか、終わってない宿題をやろうかとも思ったが、乗り物酔いが怖かったので我慢する。隣に座ったのは小太りのサラリーマンで、ビールで弁当を食べた後にアイマスクをつけ、早々に眠ってしまった。お酒臭いのが堪らなかったが、安物のMP3プレイヤーで耳を塞ぎ、三時間半を耐えることにした。
 なにしろ、一人で我慢することには慣れている。
 そのつもりだ……多分、きっと。
 イヤホンから流れてくるのは、上海アリス幻樂団のCD。二人の少女が地下の新幹線に乗って新しい京都から壊れた東京へと向かう内容の。ブックレットについていた物語では、映像として巨大な富士山が描かれているという話だったが、自分が乗っている新幹線では富士山に差し掛かるころには日もとっぷり暮れてなにもみえないのだろう。そして、東京に彼岸花が咲き誇ったりはしていないのだろう。
 それがちょっとだけ、残念だった。



(初出 第8回 博麗神社例大祭頒布 同名コピー誌)

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