道草



「……たまには里に出てくるもんだな。なんかいろいろ貰えて良かったぜ」
「ひとえに私の人徳よね」
「霊夢が徳を語るなんて、紫が愛を語るに等しいと思うんだけれど」
「黒くて小さな飛行物体が回転しながら単独で降りてきたら、きっとみんな慌てふためくと思うんだけど」
「箒に乗ってて金髪の上エプロン着けてるだから大丈夫だし、よほどのことがないと回転したりインメルマンターンしたりしない」
「じゃぁ漸近線を描いて急降下するのは金輪際やめることね。黒い悪魔が子供を攫いに来たと誤解されたくなければ」


 春の終わり頃。
 葉櫻の季節。
 あの華やかな薄桃色がまだ脳裡に舞い散る時候。
 団子やら茶葉やら酒やらを一杯詰め込んだ紙袋を抱えて、霊夢と魔理沙が人里の辻を歩いていく。
 帰り道。
 普通の人間が通わない、森への道。
 里の稚児たちに付きまとわれるのも楽しかったが、なにしろきりがないのだから始末に負えない。意外なように思われるかもしれないが、当人達は、どちらかといえば静閑な環境を好む性格なのである。
 適当に相手をした後、あれこれと理由をつけて里を辞して、程なく。


「まだ開けてない紙包みとかあったな。何を入れてくれたんだろう? 楽しみだな」
「帰り着く前に開けてしまいそうな雰囲気ね」
「お前は料理をする時に適度な味見をしないのか?」
「料理が完了する前に材料が無くなってしまうほど、味見をすることはないわね」


 魔法少女は何か言い返そうとして、口を無為にぱくぱくとさせた。


「……どうしたの、魔理沙」
「それもお土産か?」
「え?」


 霊夢は魔理沙の視線の先を追った。
 と、霊夢の服の裾をぎゅっと握っている幼い女の子がいる。


「あれ? いつから」
「博麗神社は遂に生け贄まで要求するようになったか。こわいこわい」
「どうしたのかしら」

 現在位置は村と森との境に近い場所。里程を示す六地蔵が並んでいる。
 二人は顔を見合わせ、仕方なくその近くに立ち止まった。
 二対の視線が子供に交わる。先程まで一緒に遊んでいた童たちのなかにいたような、いなかったような。片方の手でしっかりと裾を掴み、もう一方で爪を噛んでいる。
 その視線は二人を見上げないまま、地面に向けられたまま。


「お母さんのところに帰らないと駄目だろ?」
「そうよ。残念だけれど森に連れて行ってはあげられないわ。怖い妖怪もでるからね」
「こわいこわい、妖怪も怖いが霊夢も怖いし、その次は饅頭が怖い」


 そういいながら荷物をごそごそ漁っている魔理沙を、霊夢はあえて無視した。
 それからしばらく、なだめたり尋ねたりしてみるが、少女は同じ姿勢のまま微動だにしない。
 とりあえずゆっくりと、裾を握った少女の手を解いてゆく。


「連れて帰ってあげないと駄目よね」
「ここからならまだ家だって見えるんだけどな……何か、欲しいんだろうな」


 霊夢は少女の前に膝を抱えて腰を下ろし、その柔らかい頬を見上げた。


「どうしたの? いいたいことがあるのかしらね?」
「…………………」
「何か欲しいの? それとも、」


 霊夢は何を思い至ったのか、すぅっと瞳を細めて、それから少し笑った。


「それとも、私じゃないと駄目なこと、かしら?」


 少女は初めて、正面から霊夢を見た。


「…………る?」
「なぁに?」
「また、来て、くれる?」
「ええ。いつでも、というわけにはいかないけれどね」
「実をいうとこいつは年中暇なんだがな。私は違うけど」
「この黒いののいうことは真に受けなくていいわよ……ええ、約束してあげるわ」
「やくそく?」
「私の約束は魔理沙のよりは真剣だから、待っておく価値があると思うの」
「酷い言い草だ。私だって守らない契約はないぞ」
「それは守れなかった約束を魔砲で吹き飛ばしちゃうからでしょ」
「常套手段だぜ」


 少女の表情はまだ少し固かったが、その唇の端には穏やかな笑みが浮かびつつあった。


「じゃぁ、帰る?」
「……うん、帰る。霊夢は、またくるよね」
「ええ」
「ありがとう、霊夢」


 爪を噛む指を離し、大げさなほど手を振って、微笑んで。
 少女が背を向け、畦を駆け出す。
 その瞬間――
 少女の躯は透き通り、微風に巻かれて見えなくなってしまった。


「霊夢、あれ」
「……自分が死んでいるか生きているかも分からない、小さな霊ね。でも、人や里に執着する
ほどには自我があるから、まだあの世にもいけない。多分、里の人たちも気づいていないはずよ」
「物事の境界線をちゃんと知る前に、現世を超えちゃったんだな」
「そのうち悪戯な妖精なんかに誘われて形を変えた生へと変転するのかもしれないわ。でもそれまでは……ここで一緒に暮らすんじゃないかしら」
「だから、『見てくれる』霊夢を惜しんだのか」
「それだけじゃないでしょうけどね」


 春の終わりを告げる風に帽子を押さえる魔理沙。
 さっきまで少女が握っていた裾を見遣る霊夢。
 少しだけ、遠い目になる。


「人は人と暮らしていると、人としか暮らしていない気分になってしまうのよ。幸せでも、不幸せでも。周囲のことが見えなくなっちゃってね」
「だからといって妖怪と付き合うのはお勧めしないぜ」
「魔理沙みたいにひねくれるしね」
「霊夢なんてひねくれがリボンつけて祝詞をあげてお払いしてるじゃないか」
「ま、それはともかく」
「否定はしないのか」
「また来ましょ。その辺のバランスを確かめるためにもね」


 春の櫻が見事なのは、青い葉をつけ、葉を落とし、雪に耐えて一年間しっかりと立っているから。
 人の垣根が暖かいのは、生きている人、死んでしまった人、いろんな人の想いが重なって時を刻んでいるから。
 世の中の摂理を見守ることもまた、おおよそ博麗の巫女の勤めなのかもしれない……などと。
 そういう幻想を抱くには程良い道草だったのかもしれない。
 荷物を抱き直した二人は、村境を後に、森を目指して帰途に就く。


「あーあ。それなりに大事な約束しちゃったな。私は束縛が嫌いなのに」
「巫女なんてやってる奴が約束に疎いのがそもそもまちがいなんだよ。お茶会の約束を何度忘れてたことか」
「まぁその、だからね」


 新緑の季節に、
 尖った黒い三角帽子が、
 あざやかな紅白のリボンが揺れている。


「……だから、今回だけの大盤振る舞いなのよ」



(初出 東方創想話)

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