<位階戦史録>ノーサンバランド -The Shining Express-

終章

神去りゆく未来へ



『親愛なるアレクサンドロ・ブレイク準博士へ


 貴公に伝えておきたいことがあり、一筆とらせて頂いた。ご壮健でいらっしゃるだろうか。
 今回の旅路が貴公にとってどのような意味を持っていたのか、私の理解の範疇を越えている。「ノーサンバランド」を使った陛下への上奏を酒の席で最初に提案したのは、アカデミアに在籍する私の親友だった。もしこれが、天使復元を巡る大規模な実験に過ぎないとすれば、我らは最初から貴公らに乗せられていたのかも知れない。
 また、心身共に臆病になり果てた敬愛すべき陛下にも、悪魔の心を吹き込んだ輩がいたらしい。副主教は哀れな道化だったらしいが……教会内部までは手が届かぬ故、推測で話を進めることは止めておく。 だが、それが意図的な罠だったとしても、我らは超特急を諦める訳にはいかなかった。我ら貴族が、「ノーサンバランド」の運行に手を出せる、最初で最後の機会が到来したのだから。この時を五十年待ったのだ。ロレンツォ・ミラーも、ワタリコフ・マクリントンも、皆それぞれに老英雄の後を追っていた。あの時、英雄帝の玉座へ向かう老英雄に一喝されて、我らの人生は決定したといっても過言ではない。それでも結局、我らが半世紀に渡ってやってきたことは、「英雄鉄道の乱」以前の繰り返しに過ぎなかった。
 自分を卑小だと思い続けていた。ノーサンバランドの血統を絶やすまいとした、マクリントンやミラーにしてもそうだったのだろう。もっとも、ミラーがどうやって、我らやアカデミアの知り得ぬ所でマクリントン司祭の妹御を保護していたかについては、見当がつかないが。どちらにしても、自分の力無さを英雄の影に求めるなど、旧世代の所業だと、解ってはいるにも関わらず。
 しかし、こういった理不尽な誇りに身を委ねるのが、もっとも人間らしいかもしれないと思うこともある。かつて我々がそうであったように、貴公らは相互に対立しながらも、いつか来るべき未来と真理を求め、青春の血をたぎらせていくのだろう。たとえ命が失われても、それが変わることは決してない。
 ブレイク準博士、壁を見上げて諦めるのは簡単なことだ。その向こう側に、まことの矛盾と喜びがある。除名されていたため、君の記憶には浮かばなかったようだが、「スコーラ」の首領は、皇立アカデミア二百年余りの歴史において二十二人しが認定されていない、特別博士の一人だった。彼は貴公と同じ地点に立つことが可能だったから、十五年前アカデミアを出奔し、「その向こう側」を荒野と戦闘に求めたのだ。理想に殉じた形になりはしたが。そこに到達したのは貴公だけではない。そしてそこで世界が終わっている訳でもない。
 本当なら直接話をし、相互に理解と断絶を深めたい所だったのだが、この手紙が貴公の手元へ届くようではそれも叶うまい。おそらく貴公が、”真実”を知る最後の人間になるだろう。
 マリア・ミラーのことは、どんなことをしても償えないだろう。彼女を護れなかったことは、私の人生においてもっとも大きな過ちだったと思っている。
 ただ、彼女の意志こそまったき清廉と誇りに満ちていたのだ。それは忘れてはならない……私自身も、そして貴公もだ。 この世を去った人間に対して、生きている人間ができることは、その者の名を、生きて考えていたことを背負い、共に歩むことだけだ。友の存在を忘却の彼方で歴史にしてしまわない、貴公の賢明さを期待して、筆を置く。


 神の加護があらんことを。
 ラムーパル。
                                  カルム・リゴスキー』

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 皇帝の玉座に再び叩き込まれたノーサンバランドの弾丸はしかし、神を殺すことはなかった。皇帝ニコラス二世は、リゴスキー大公の諌言に耳を貸すことなく、五十年前の轍を踏まないために全力をもって治安維持を徹底、服従しない者には死をもって報いることを厭わなかった。英雄帝と同じ手段を執りつつそれを更に強化したのである。
 この際、もっとも活躍し反動政治に拍車をかけたのが、技術革新によって誕生し実戦配備され始めたばかりの機関銃だったことは、皮肉な結果といえるだろう。皇帝は革新を嫌いながら、革新されゆく技術に頼って民衆を従わせたのである。
 だが、これが専政権力としての基盤に、決定的な綻びを生むことになる。
 人々は、折しも他国で旋風を巻き起こし始めた、労働者達の同盟と共同連帯を繋ぎ始め、やがてそれは理想からイデオロギーと変化していった。圧制への抵抗がついに、革命の風潮を帯び始めたのだ。彼らは数百年に渡って君臨した現人神、「慈悲深き支配者」への幻想を捨て、彼ら自身が造り上げる新たな世界へと踏み出し始めた。 皇帝を取り巻く貴族たちの動向が、その勢いに追い風を吹かせた。ニコラス二世は三年後に病により死の床にて去ったが、その頃には既に、リゴスキー大公は不審な突然死を遂げていた。保守派の有力貴族から新たな皇帝が誕生し、改革派の勢いは削がれたように思われたが、大公の後を追うように頭角を現した貴族がいた。アテリコ・カンジンスキー子爵(後に大公)である。
 この優しくも聡明な青年貴族は数年といわれた寿命を超人的な精神力で引き延ばし、病死するまでの十年間に無数の努力で貴族の勢力を糾合した。彼の裏には、頑強に抵抗運動を続けた「スコーラ」との深い繋がりがあるとの噂も流布していた。それ以後も混迷する局面を何度も乗り越えつつ、千八百六十一年のクーデター、いわゆる「トラマジック政変」により皇帝権力に決定的な打撃を与える。
 これにより皇帝は議会開設を認めて憲法制定を承認した。憲法は国の法であり、例外なくアフグラントの大地に立つ者全てに適応される。結果的に彼が、皇帝を神の玉座から引きずり降ろす役目を演じたのだ。
 こうした過程をふまえ、皇帝の権力施行機関として権勢を振るっていたミトラ真正教会も、その在り方を大幅に見直し始めた。総主教自ら陣頭指揮を執り、教会税徴収の大幅な削減、皇帝権力及び世俗団体・企業との癒着の禁止など、純粋な宗教としての、真正教会の維持に力を傾けるようになったのだ。だがそれは対外的なものであって、内実は変化していないというのが、広く世間一般の評価だった。ただ、教会の内部で力を持っているのが、保守派から改革派に変わっただけだとの辛辣な言葉も囁かれた。相変わらず、教会は富める者であり続けたからである。
 余談ではあるがこの際、改革派のリーダーであったワタリコフ・マクリントン府主教は、謀略によって失脚し、辺境の小さな教会の司祭としてその生涯を終えている。


 さて、千八百五十六年に再び「ノーサンバランド」がその勇姿を現した際、最新の8600型大型機関車及び、七両の客車全てが、目にも鮮やかなホワイトシルバーで塗装されていた。それは、ウラジミラブルク到着の際に超特急が光の衣を纏っていたという、多数の人々の目撃証言が巷間に流布し定着したため、スカラス・ランドルフ副総裁が尽力もあって、大アフグラント鉄道が異例の色彩変更を行ったのである。
 それより以後、常に皇都を見据える老英雄を機関車のヘッドマークに戴き、大地を疾駆する白銀の超特急を指して、民衆は二つ名で呼ぶようになる。
 曰く、「光輝特急ノーサンバランド」と。


 確実に、風は吹き始めた。
 ……列強の植民地分割はやがて世界大戦を招き、かつてない膨大な戦死者が、顔のないまま歴史として記憶され始める。戦争によって国内のシステムが再編されていく。
 その渦中で帝政は倒れ、貴族主導による「民権革命」により、遂にアフグラントは共和制へと移行していくことになる。だが、それもまた迷走に過ぎないのかもしれない。
 しかし一ついえることがある───人々の住む大地から、神が去っていく、ということだ。
 そして……俯瞰する歴史は、彼らにとって意味を成さなくなる。不確定の未来は、それを知る術を持たない、小さな人々の掌に委ねられていくのだから。

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 辺境の小村、ボゴロレフ村。
 鉄道の整備が進み、この周辺にも駅が建設されるという話が舞い込むようになっていた。が、永い永い人々の営みは、今日明日に変わるものではない。
 ようやく秋の収穫も一段落し、今日は月に一度の祭の日だ。家々の戸口には刈り取ったばかりの小麦が掲げられ、その奥でささやかな晩餐が設けられている。大きな太陽が傾いて、辺りを重い夕闇が包み始める頃、子供達が蝋燭を持って教会に集まってくる。今日は収穫祭であると同時に、採火祭でもあるのだ。
 白い外套に身を包んだ丸眼鏡の青年が、教会の前を歩いていく。古めいた教会の中から、朗々とした聖典の詠唱が聞こえてくる。黒衣の牧士の頭上で、救世の大天使ナヌマエルが翼を広げている。足を止めようとするが、思い直して歩みを続ける。
 と、立ち止まる。
 黄昏ももう遅い時間だというのに、一人の少女が村の出口の柵に腰掛けて、街道を見つめている。その向こうで、落ちていく巨大な夕陽が泰然としている。
 青年は一瞬、その悲しげな顔を何処かで見たような、既視感に包まれていた。
「誰かを待っているのかな?」
 少女は頷く。
「ユーヒィっていう牧士様を、待ってるの」
「……牧士様なら、教会にいらっしゃるんじゃないのかい?」
「あの人はユーヒィじゃないの。ユーヒィ、帰ってくるっていったもの。だがら、ここで待ってるの……帰ってくる日まで」
 青年は顔を上げ、落日に視線を投げた。
「その牧師様を信じているんだね」
「うん」
 即座に少女は頷いた。純粋な瞳に宿る、肯定の輝き。


 コオオオォォッ・・・・。


 風が吹く。寂しく、優しい風。誘われるように頭を上げて、高く澄んだ秋空を見遥かす。
(ユーヒィ。マリア。僕はまだ、あの風を見上げているよ。ここで……まだ)
 青年は、少女の頭を優しく撫でた。
「君が信じていられるならば、叶うこともまた、あるだろうね」
 少女は大きく目を見開くと、溢れる涙をまなじりに溜めながら、力強く頷いた。  
 胸中の痛みを隠して無言の笑みを返すと、青年は村を出て、荒野へ……落日へ向かって真っ直ぐ歩き出す。白い外套が風に揺れている。
 ───遠くで、甲高い汽笛が微かに響いていた。


                                       <了>

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