■ フローラの月行鉄道


 ここから、南西の方角に三月と三日まっすぐまっすぐあるくと、ねこみみ達の住む谷にたどりつきます。
 谷といっても、東から西にむかって裂けているので、お日様があたらないなんてことは全然なくて。たかいたかい壁に守られながら、ねこみみ達は一年中ぽかぽかと幸せに暮らしています。
 でも。たとえ幸せであっても、お仕事をしなければ生きていけません。人間の子どもと同じように、ねこみみの子どもも勉強をします。彼らのご先祖さま達が街をすててここに移り住んだのは、自分たちのルールを作って、のんびりと暮らしていくためだったのですが、そのルールを守るためには、絶対にしなければならないことが,どうしても生じるのです。
 その昔、ねこはねずみを捕って生きていました。今、ねこみみに必要なのはお金です。人間よりはもう少しだけ多くの夢に囲まれて生きているねこみみですが、残念ながらそれだけでは生きていけません。だから大人達は、お金を得るためにさまざまな機械や道具をつくります。おなべのふたから自動ねずみ捕獲機まで、すこし変わったアイデアでものをつくっていくのです。
 すこし変わったアイデアとは、ねこみみ独自の考え方のことです。それを養うために学校がもうけられます。子ども達はそこで、人間と共通の勉強以外に、「ねこみみ学」という学問を学びます。ねこみみの歴史を振り返って、自分がねこみみであることに誇りをもとう。そんな意味の勉強です。
 むつかしい言葉でいえば、アイデンティティの確立。かんたんにいえば、大人になるために今までの自分を見直すことです。ここらへん、人間でも変わりありませんよね?
 ただ、逆にいえばそれは、ねこみみとして当たり前の常識を繰り返し確認するばかりの、とっても退屈な時間です。人間やねこみみのへだてなく、大半の子どもは勉強なんてしたくないものです。特にねこみみ学なんてのは、退屈の代名詞でしかありません。
 では、その授業のようすは、どんなものかというと……。


「……で、あるからして。ウオッホン! ねこみみは一日一回は、自分の爪を確認し、好戦的にとがっていないかをチェックしなければなりません。われわれは、恋の季節のたびにケンカを繰り返していた時代を自ら脱して、ねこからの進化を遂げたのです。まずはのんびりと生き、そして貞淑をたもち、無駄に稼ごうと思わない。これが、ねこみみのあるべきすがたなのです……」
 太った紳士の先生がつばを飛ばさんばかりに話していますが、まともに聞いているのは最前列のガリ勉メガネの男の子だけで、あとはてんでばらばら。紙ひこうきを折って飛ばしたり、ラクガキしたり、おしゃべりしたり、いねむりしたり。
 谷の底にある町ですから、今が夏のさかりとはいっても気候はすずしいものです。でもそれは、谷以外の場所とくらべたときのはなし。いつもの「ぽかぽか」は、「むしむし」とするけだるい暑さに変わってしまっています。あなたも、汗でシャツが体にはりついているというのに、えんえんと先生の話を聞くのは好きじゃないでしょう?
 それでも先生は、あんまり熱中するものだから、そんな様子の生徒にきづかないで、しゃべりつづけています。
 カラン、カラン。
 教頭先生が、ハンドベルを鳴らしながら廊下を歩いてきました。
「……おお、もうこんな時間か。今日はここまで」
「きりーっつ。れい」
 先生が部屋を出ていくよりも先に、教室は三倍うるさくなります。
 窓際にすわっていたフローラのところへ、いつものようにいたずら坊主のポックが飛んできました。
「フローラ、遊びに行こうぜ!」
「ざんねんでした。今日はミーシャ達とはたを織る練習をするんだよーだ」
「そんなのいつだっていいじゃん。ひだりかべの洞穴に、暗闇イチゴがたくさんなってるんだ。まだだれにもおしえてないんだぜ。な? いっしょにいこう」
「女の子との約束の方が大事だもんね。泣き虫のフィレットとでもいってなよ」
「だーれが! ……後悔するぜ、おまえ」
 大きく舌打ちをしてポックは、それはもうとんでもないスピードで教室を出ていきます。
 舌打ちをしたいのはフローラのほうでした。結局のところ、ああなってしまったポックが絶対に自分を曲げないことを、一番よく知っているのはフローラだったからです。
(ホントにっ、いつまでたっても子どもなんだから!)
 二人のクラスは最上級で、来年の三月には卒業です。だから二人とも、もう十二歳になりました。おとなりさんで、生まれた日まで一緒で、ずっと一緒に勉強してきたフローラとしては、ぜんぜん変わろうとしないポックがときおり、うっとうしく感じられるのです。
 それでなくても、まわりの娘達は日増しに美しくなっていくような気がします。まだ年齢がとどかないので、二人に恋の季節が訪れることはありませんが、化粧っ気のないフローラでさえ、周囲の男の子達の視線が気になり始めています。最近は男の子と遊ばず、女の子達と連れ添って、女の子らしいしぐさや趣味を身につけようと、それはそれはがんばっているのです。
 それなのに、ポックはぜんぜん、なのです。
 きっとポックは、自分に断られた八つ当たりを、とんでもないイタズラにぶつけることでしょう。ポックのお母さんはとても美人で優しいので、フローラはポックのお母さんがしかるのを見たくありません。そして自分のお母さんからはいつも、「ポック君が悪さをするのはフローラがきちんと相手してあげないからだよ」なんて怒られてしまう始末。二人の母親は、まるで姉妹のように仲がいいのです。
 こういうことでフローラは、いつもポックの面倒を見ることになってしまいます。
「フローラ、ミーシャの家に行くよぉ」
「う、うん! さ、いこいこっ」
 とにかく今日は、先に約束があります。「どうなってもしるもんか」と、なかば投げやりになりながら、フローラは友達の家に向かいました。
 ところが、です。
 老婦人から織物をならっていると、雑貨店のあたりからけたたましい鳴き声と、大人の男の怒鳴り声が聞こえてきます。フローラはあからさまに顔をしかめました。あれはいつも、ポックのイタズラの標的になってしまう、カルドンさんの声にまちがいないからです。
 窓の外をふあんげにながめているうち、ふと見ると、まわりの女の子達がじっと自分を見つめています。
「な、なに? どうしたのよ」
「フローラ、むりしなくていいよ?」
「なにが?」
「この谷で、あのイタズラ小僧にいうことをきかせられるのは、ご両親以外ではあなただけだもの」
「織物なら、また今度やろうよ……このままじゃきっと、被害者がふえるいっぽうだし」
「なんで! なんであたしがそんなこと!」
「こういうの、腐れ縁っていうんだって。うちのお母さんいってた」
「きっといいことだよ」
「よくない!」
 だけど、必死になって反論しているあいだに、なぜかフローラは家の外に立っていました。
「あ、あれ?」
「しっかりねー」
 バタン。
 閉じられた扉を気のぬけたようにボンヤリながめているうちに、ふつふつと怒りが、まるで活火山のマグマのようにふくれあがってきました!
「あの、大バカ者ーっ!」
 まるで本物の猫になったように爪をむき、しなやかなストライプで小径を抜けていきます。俊足の多いねこみみのなかでも、フローラは飛びぬけて足が速いのです。あっというまに事件の現場にたどり着きました。
 なんというか、ひどい有様でした。カルドンさんの家の裏手で飼われていた、数十匹のブタ達が、町中の食べ物屋さんに入り込んでは、ことわりもなく食事を繰り広げているのです。みんなはなんとか追い出そうとするのですが、飼い主にそっくりなブタ達は、遠慮ということばをしりません。まあ、ブタがことばを理解できるのも問題あるような気もしますけどね。
 その中央で、それぞれの店の人達に頭をヘイコラさげてあやまっているのが、ブタにそっくりなカルドンさんです。彼はフローラを見るなり、大きな体を揺すって泣きついてきました。
「フローラちゃん! またポックの奴が! 頼むよ! きちんと見ておいておくれよ!」
「あたしはポックのおかあさんじゃありません!」
「そんなこといわないでさ。頼むよ、本当」
 フローラはカルドンさんが、いつも自分のことばかり押しつけてはみんなを困らせるので、正直いってちょっとだけいい気味だと思っています。こんなことがなければ、カルドンさんは人に頭を下げたりしません。でも、だからといってポックが悪くないわけではありません。それに、です。
「フローラちゃん、ホントに頼むよ」
「あの悪ガキを、キュウといわせてやっておくれよぉ。お母さんにきちんと、お礼、わたしとくからさぁ」
「しかし、ポックのお母さんはあんなにきれいでいい人なのに、なんであんなにひねくれた息子が育つのかねぇ」
 てなふうに、みんなは自力での解決をすでにあきらめてしまっています。このあたり、ねっしやすくさめやすいねこみみの性格とでもいいましょうか。ブタ騒ぎもなんとか一段落すると、みんなは口々に、フローラちゃんよろしく、といっては肩を叩いて家に帰っていきます。
 これがいつもの光景、これが谷の常識なのです。
 だから。
 だからフローラはいやなのです。
(ムカーッ! ほんっっっっとうにぃ!)
 フローラはまた、猛スピードで走り出します。今日こそはゲンコツ一回じゃ済まさないわ、と心の中でかたく誓いながら。


 谷のひだりかべを登るには、街道に出るかえで峠を登るより方法はありません。でも、子どもたちはさまざまな抜け道を知っていました。くぼみに急な坂道、ほらあなや滝、などなど。ねこみみはみな、体が柔らかくて体力があるので、少々の崖なら平気で登ってしまいます。とうぜん、大人達はそんな危険なことをさせないようにするのですが、ほいほいと大人の言葉に従っているようでは、子どものメンツ丸つぶれです。どのようにのぼるか……それを探すことは、この谷の子ども達の大きな楽しみの一つであり、反対にいうなら、とんでもなくすごい抜け道を探した者は、同世代の子ども達から尊敬の目で見られるのでした。
 フローラは、ひだりかべの裂け目の一つに飛び込むと、張りだした岩場をいくどとなく飛び越えて、まるで重力を無視したかのようにジャンプしていきます。いつもならとっても好きな遊び場なのですが、いまはといえば、それはもうカンカンに怒っているので、谷にひびく風の声も、冷たい空気を切る気持ちよさも、なんにも感じられません。
 見る間に、ひだりかべのまんなかぐらいまで登ってきました。谷の家々がオモチャのように小さく見えます。谷でここまで登ってこれる子どもは、フローラともう一人しかいません。
 その「もう一人」は、岩場にぽっかり空いた洞穴の前で、がけに足をぶらぶらさせながら、ほおをプクッとふくらませていました。
 フローラは腰に手を当ててにらみつけます。ポックのお母さんのまねなのです。
「あんたねえ、いい加減にしなさいよ!」
「……なんだよ。お子さまはあいてにしないんじゃなかったのかよ」
「したくなくても、しなくちゃならなくなっちゃうでしょうが! 目の前のお馬鹿さんのせいで!」
 有無をいわさずゲンコツ一発。
「いてっ! マジでなぐることないだろ! 落ちたらどーすんだよ!」
「大人はね、子どもをしかる義務があるの。おわかり?」
「なんでもかんでも大人大人。なんでそんなに急いで大人になりたがるんだ? オレはちっとも、子どものままでいいぞ」
「じゃ、みーんなが働きだしても、おこづかいをずっともらってなさいよ。かっこわるーい」
「そういうんじゃなくてさ……ああもう」
 ポックは立ち上がって、わきに置いてあったカンテラに灯をともすと、
「いくぞ」
「一人でどうぞ」
「どうせみんなに、オレの面倒みろっていわれてるんだろ? 谷にかえってもだれも相手をしてくれねーぜ」
「なっ! あのねぇ……だれのせいだとおもってんのよ!」
「ハイハイ、オレのせいだろ。いいからこいよ。こっちだ」
 もはやため息しか出てきません。なみだの妖精も、仕事を拒否してしまうほどばかばかしいんだろうなと思えてしまいます。フローラはうらめしそうに、晴れ上がった青い天をあおぎながら歩き出しました……とうぜん、ポックの後を追って。
 あらあら、最初の誓いはどこへやら。結局ゲンコツ一発で怒りはおさまってしまいましたね。
 ですから、つまり。
 フローラも、ポックがこうやって自分の気を引こうとしているなどとつゆにも思わないくらいには、まだまだ子どもなのでした。


 うすぐらい洞穴の中に、たよりなげな炎がちらちらと揺れています。
 ポックが持つカンテラの炎です。二人のよりそう影が、うすぐらい場所に大きく描かれては消えていきます。
 このほらあなは、いわば二人のひみつの遊び場です。だれものぼってこれないのだから、他の人たちが知るはずもありません。ということは、反対にいうと、ケガしたり道に迷ってもだれも助けに来てくれないということです。
 ましてここは、横穴がバラバラにはしるは、とつぜん狭くなるは、おしまいには上下がどちらかさえわからなくなるは、大人でさえ近づかない危険な場所だったのです。
 ポックが最初にここを見つけたとき、それはもうはなたかだかでしたが、フローラはなるべくならここに来たくはありませんでした。やっぱり暗くて狭くては怖いのです。小さいころ悪さをして閉じこめられた押し入れの影響でしょうか。
「ねえ、ポック……どこまで行くの? この間はこの辺りまでって約束したじゃない」
「フローラは相変わらず恐がりだな」
「ちがうわよ・・・でも、危ないよ。何があるか分からないし」
 つよがりをいうフローラの首筋に、地下水がこぼれ落ちました。
「キャーッ!」
「うるさいなぁ」
「だ、だって」
 フローラの悲鳴がえんえんとこだましていきます。ポックに大人らしい部分を見せたいフローラですが、自分の声を何度も聞かされて真っ赤になってしまいました。
 さて、いかほどあるいたでしょう。
 まるで人のなきごえのように、かぼそい音がたえずひびく場所。
 風穴からこぼれてくる、一条のまぶしい光に目を細めながら、二人は目的地に立っていました。
「ここだよ」
「ほんとだ……」
 みれば、光が当たる壁いちめんに、真っ赤な野いちごがたくさんついています。それも、ふだんよく見る野いちごよりも、もっと澄んで、まるでわずかな光を結晶にしたような。
「暗闇いちごが、こんなに」
「な? すごいだろ」
「だってこれ、大人の人が一生懸命さがしても、一こか二こしか見つからないんだよ」
「いっただろ。ほかのやつらはだれも知らねぇって」
「取っちゃうの、もったいないね……一つ、いいかな」
「うん」
 ゆっくりとフローラは、熟した実をとり、細い光にかざしました。  
「夕日みたいな色……」
 そっと口の中に入れ、ゆっくりかみます。
「……あまい……」
 それは今までに食べたどんなものよりも、大好きなパン屋さんのブルーベリージャムよりも、あまくてあまくてしかたありませんでした。フローラはあまりのおいしさに、感動して涙までこぼしています。
「なんだおまえ、ないてるのか。変なやつ」
「だって」
「そんなにうまいんなら、もっと食べればいいだろ」
「もったいないわ。それに、ここでがんばって実を付けてるのに、取っちゃったらかわいそうよ」
「あのな……これはこういう植物なんだから、ぜんぶ取らなければ大丈夫だって」
「あいかわらずかってねぇ」
 そうはいいながらも、もうのどを通り過ぎてしまったあの信じられない甘さが、うしろがみを引きます。ゆうわくに負けそうになって、もう一度手を伸ばした、その時。

 カタン。コトン。カタン。コトン……。

 奥から、物音がしました。革ぐつの足音、です。
「!」
「ポ、ポック?」
「誰かいる」
 立ちすくんだフローラをかばうように立ったポック。その向こうから、ゆっくりと足音は近づいてきます。
「逃げないの?」
「逃げる理由が、あるか?」
「だって」
 怖さと、ポックの言いなりにならなければならない自分への歯がゆさで、フローラは体を縮こまらせました。
 覚悟を決めたのでしょう。ポックは大きく息を吸い込んで、
「……そこにいるのは、だれだ!」
 答えるように、揺らめく炎が円を描きます。
 フローラは息をのみましたが、
「……元気な子ども達のようだね。話がしたいのだが、太陽の光は、暗闇に慣れた目には強い。こちらに来てくれないかね?」
 大人の男性の声がしました。
「姿を見せてからにしてよ」
「警戒することはない。こんな暗闇でこそこそしているのは、悪ガキと魔法使いだけだと、昔から相場が決まっているものだよ。もっとも、幸運にして私は、それ以外のわずかな例外といったところだがね」
 カンテラをもってあらわれたのは、やせた人間の紳士でした。ハンチング帽に吊りベルト、蝶ネクタイをしめて、片眼鏡をつけています。くたびれたシャツとスラックス。右手にカンテラを持ち、左肩は大きな荷物をせおってました。
「おお、まぶしい……いや、ここらにねこみみたちの住む谷があると聞いて、仕事探しにやってきたんだが、なにぶんにも暑いものでね。ちょうどみつけたトンネルで一休みしていたのだよ。すると、奥の方にずっと続いているじゃないか。面白半分に入り込んだら、この通り、道に迷ってしまってね。大体の見当はついているのだが」
 光をさえぎりながら話す紳士は、どう見ても悪い人には見えません。もちろん、人は見かけで判断してはいけないといわれているはいるのですが、ねこみみたちはいちいち深刻に考えるほど、心配性ではありませんでした。
「ポック。この人困ってるんだ」
「ああ、わかってる。……そりゃ、たいへんだったな」
「ここに暗闇いちごがあります。つかれてるんだったら、きっと役に立つと思います」
「本当だね。それもこんなに」
 紳士は荷物をおろすと、いちごをいとおしそうにつまみ、一つだけ口にふくみました。
「……久方ぶりだね、この味は。やはり、この谷に来てよかった」
「あの、道がわからないのなら、わたしとポックがあんないします」
 紳士は二人を見ました。フローラの前で、ポックが神妙にうなずいています。どうやらこの少年は、少女ほどには心を許していないようです。
「無理にとはいわないが、頼むよ。ただ、そのまえに、お礼といってはなんだが、すこし話をさせてくれないかね。長旅の疲れはさっきの苺で解消したが、せっかくこんなに若い君たちと会ったのに、面白い話を聞かせないのは、私の職業倫理に反するものでね」
「しょくぎょうりんり……?」
 むつかしい言葉なので、フローラもポックもよくわかりません。
「しょくぎょうってことは、おじさんの仕事にかかわることなのですか」
「ああ、そのとおり。私はね、魔法使いの後継者なのさ」
 そういって紳士は荷物をごそごそやると、木でできた箱を取り出しました。それにはレンズがつき、くるくると回す取っ手がついています。
 ポックはまだよくわからないようでしたが、フローラはそれに似たものを毎年見ていました。
「おじさん、もしかして映画技師?」
「ご明察」
 紳士はにっこりと笑いました。


 紳士に頼まれて、二人は陽のささない洞穴の、ドームのようになった場所で腰をおろしました。紳士はカンテラの炎のまえで、荷物を整とんしたり、カメラを手入れしたりしています。
「えいがぎし……って、なんだ?」
「もう。年に一度、村の公民館に映画がくるでしょう? ポックはいつも、じっとしてるのがいやだから、逃げ出してるじゃない。だから知らないのよ」
「そうだっけ」
「ハハハ、まあ、子どもの頃は映画なんて必要ないさ。それぐらい幸せな夢を見ていられるならね。……しかし、この谷にも映画技師が来るのか」
「はい。でも、映画技師の人はいつもねこみみだし、それにいつもは夏の終わり頃にやってくるのに」
 フローラは、町に来る行商のおじさんぐらいしか、人間を見たことがありませんでした。しかも、こんなに間近ではなしをするのは初めてです。だから、顔には出していないつもりでしたが、内心ドキドキしていました。
 そんなフローラの気持ちをしってかしらずか、紳士はほほえみを浮かべながら、困ったようにほおに手を当てています。
「いや……人間の町ではね、映画の技術がどんどん進歩してしまって、映画技師なんて存在がいらなくなりつつあるんだよ。その結果、我々は仕事を失うわけさ。でも田舎の方へいけば、まだそんなことはないかなと、すこし期待してきたんだが。昔ここを訪れたこともあったしね……ううむ、弱ったな」
「町長さんに頼んでやるよ。今年の映画はおじさんのにしてくれってさ」
「そういうわけにもいかない。仕事は約束事だ。最初に結ばれた約束は反故にできない。それが大人のルールというものだよ」
「そうよ。それに、ポックのいうことを谷の人たちが聞くと思う? イタズラばかりしてるくせに」
「なんだよ。そんなこということないだろ。フローラだって、晩ご飯をつまみ食いして、ライラおばさんにおしりをぶたれてたくせに」
「な! あんた、それはもう五年も前の話でしょ!」
 二人のやりとりを面白そうに見ていた紳士が、満足そうにうなずきました。
「よし。やはり、映画をやらねばいかんな」
「え? でも……」
「こんなに元気な子ども達に、私の映画を見せないのはもったいない。今回は、二人を特別に招待しよう。もちろん、お代はいただかないよ」
「そんなの悪いよ。なあ、フローラ」
「うん」
「いいや、悪くない。大人はね、子どもに夢を見せる義務があるんだ」
 紳士はイタズラめいた笑みを浮かべました。
「明日の晩、みぎかべの大きな岩棚に来ておくれ。それまでに準備をしておくよ」
「……外で、やるんですか。雨がふったら、どうするんです?」
「一日待ってもらうさ。明日は雨は降らない」
 紳士は自信を持って断言しました。
「ホントに、大丈夫なんですか?」
「ああ。人は信じるものだよ」
「その、えいがってのはおもしろいの? たいくつだったらオレ、帰っちゃうよ」
「ポック! なんてこというの」
「ああ、ご自由にどうぞ。ただし二人とも、ちゃんと来られるんだろうね。二人のためにやるからには、二人以外の誰にも知られてはいけない。夜中こっそり抜け出して、誰にも感づかれないように集まるんだ。できるかい?」
「かんたんだよ、そんなの。な、フローラ」
 フローラは考えました。ここでポックといっしょに行くといえば、自分はイタズラ小僧と同じです。でも、毎年みる映画はとてもおもしろくて、フローラはいつも楽しみにしていました。それを、谷で二人だけ、もう一本多く見られるというのは、暗闇いちごのようにあまい誘惑でした。つい答えが、口をついてしまいます。
「え、ええ」
「それで、どんな内容なんだ?」
「映画の内容を最初にいってしまう映画技師がいると思うのかい? じゃ、代わりといってはなんだが、他の数多くの映画の内容を教えてあげよう。私が見せる映画は、それらのどれよりも面白いものだ。……これなら、比較に値するだろう?」
「う、うん、まあ」
「映像なしで喋るのは誠に遺憾だが……まずは、私の口上をききたまえよ」
 紳士はよどみない語りで、数々の物語をつむぎはじめました。
 高い塔のうえにとらえられた姫をすくう、騎士のいさおし。
 大陸のはしからはしまで、馬車でレースをやった男達の伝説。
 大海賊の秘宝をめざす、少年達の物語。  
 戦争ではなればなれになった、青年と娘の悲恋のはなし。
 あるときはいさましく、またあるときはあでやかに。口調は無数に変化し、二人がそれを知らないのに、あたかもそこで自分がそれを見ているように、感じられてしかたないのでした。二人は、紳士のつむぐ物語を、夢中になって聞きつづけました。
 いかほど時間が経ったでしょう。
 ちょうどひとつのはなしが終わった頃、フローラは重大なことを思い出しました。
「……ポック。そういや、今何時だっけ」
「……やばい!」
 いそいで暗闇いちごの風穴にむかうと、夕日がさすどころか、小さな空には星がまたたいています。
「帰らなきゃ! またおこられちゃう」
「いこう。おじさん、いっしょに」
「私は大丈夫だ。道は多分解るから。それより、急ぎたまえ」
「ホントに、大丈夫ですか?」
「人のいうことは信じるものだよ」
「フローラ、いそげ!」
 ポックについて駆けだそうとしたフローラは、もう一度ふりかえって、紳士に頭を下げました。
「おもしろい話を聞かせてくれて、ありがとうございました」
「礼は明日、いってくれ。私はまだ仕事をしてないのでね。待っているよ、二人とも」
「フローラ!」
「ポックもお礼をいいなさいよ」
「明日いう」
 フローラは後ろをきにしながらも、走り出します。
 紳士の影を映すカンテラの明かりが、しだいに遠くなっていきました。


 さて、それからが大変です。
 町にもどってみると、大人たちがたくさん集まって、二人のことをさがしていました。
 二人はさすがに、こんなにおおごとになっているとは思っていませんでした。紳士の話にむちゅうで、ほんとうに時間を忘れていたのです。
 二人の両親は、四人そろってとんでもないかみなりを落としました。とくに、ポックのお母さんにきつく怒られたのは、フローラにとってこの上ないショックでした。
 でも、紳士のことはないしょにしなければなりません。どこに行ったかをいうこともできません。だから二人がだまっていると、大人たちはますます怒ってしまって、子どもたちはますます悲しくなってしまうのでした。
 しこたま怒られたあと、二人は自分の部屋に投げ入れられました。お互いの両親が、迷惑をかけた町の人たちにあやまりに出かけていくためです。とうぜん、晩ごはんはぬき。フローラは暗い自分の部屋にはいったとたん、ベッドに体を投げてしまいました。ひざを抱いて、毛糸の玉のように丸まります。
(これじゃ、わたしもポックとおなじじゃない)
 フローラのまなじりに、大きななみだが浮かんでいます。
 紳士の話はおもしろかったし、映画も見たいとは思います。でも、それは自分が子どものままでいることの証にもなってしまうのです。イタズラ小僧の一味だと、みとめてしまうようなものなのです。
 小さく首をあげて、となりの家の窓を見ると、ポックの部屋には明かりがついています。
 きっとポックは、明日の映画をゆめみて、ドキドキする気持ちをおさえられないことでしょう。このくらいでは、ポックは全然へこたれないのです。
 ひとみを閉じると、あの紳士の笑顔と、大人たちの怒った顔が、あたまのなかをグルグルまわっています。大きな耳のおくには、聞かされた面白い話の数々がのこっています。こんなことにならなければ、フローラもポックと同じ気分でいられたでしょうに。フローラは、ポックが子どもだと思う以上に、うらやましくてしかたありませんでした。
 ためいき混じりのなきごとが、しぜんとこぼれてしまいます。
「……明日、どうしよう……」


 フローラが泣きつかれてねむってしまうと、次の日はあっという間にやってきました。
 とうぜん、今日は外出をゆるされませんでした。学校に行ったら、まっすぐ帰ってくるようにくぎをさされました。どんなささいな寄り道もだめです。
 学校では、昨日のうわさで持ちきりです。ミイラ取りがミイラになったわけですから。でもまあ、いつものことではあるので、「やっぱりな」というのが子どもたちの大半の感想でした。ポックはいつもの通りだし、一人でめげているのはフローラだけです。
 さすがに今日は大人しくしていようと、フローラは授業がおわったとたんにかけだし、まるでにげるように学校をあとにしました。
 でも、ポックの足は谷の子どもで一番速いのです。用水路の橋のうえで、ポックはフローラの手をつかまえました。
「おい待てよ、フローラ!」
「お母さんに寄り道しちゃダメっていわれてるのっ」
「どうするんだよ、昨日の約束は」
「………………」
 とっさに答えられません。
「怒られるのが怖いんだな」
「ちがう! ちがう、けど・・・」
「自分でものを考えられるのが、大人ってやつじゃないのか」
「え……」
 おどろいてポックを見ます。ポックから大人、なんてことばが出るとは思わなかったからです。ポックはもう、そっぽを向いています。
「オレは、待たないからな。おまえは他のやつらと、大人の練習でもしてろっ」
 大きくアッカンベーをして、ポックは駆けていきます。そのしぐさはどうにも子どもっぽいのに、いつものように注意することもできなくて、フローラはしばらく、ちからなく立っていました。


 お日様がしずんで、また星空がやってきました。ふしぎな紳士というとおり、今日も雲一つない夜空です。
 フローラは家に帰ってから、ほとんど口を開きません。晩ごはんにもすこししか手をつけませんでした。両親が怒りすぎたんじゃないかと、しんぱいになってこえをかけましたが、
「だいじょうぶ。しんぱいしないで」
 といったきり、部屋に引きこもってしまいました。今日のところは様子を見るよりほかはないと、両親もあきらめ、しばらくそっとしておくことにします。
 フローラはじっと、まっくらのなかで部屋の時計を見ていました。
 九時。
 十時。
 ……十一時。
 鳩時計が時間をつむぐたび、いたたまれない気持ちになってしまいます。
 となりの家を見ると、ポックの部屋の明かりは消えています。きっとポックは、自分をおいていってしまったのでしょう。あのやさしい紳士は、自分がこないことをざんねんに思うことでしょう。そして……明日ポックに、どんなかおで会えばいいのでしょう。
 多分その時の、自分のかおは。
『自分でものを考えられるのが、大人ってやつじゃないのか』
 ポックのことばが、頭をよぎります。
 今、自分で選べて、そのなかで、もっとも大切にしなければならないのは、なんでしょう。
「お父さん、お母さん、ごめんなさい……」
 両手をつよくにぎって、フローラは決心しました。
 そっととびらを開けて、階下の様子をうかがいます。もう明かりは消えています。
 フローラは窓を開きました。満天の星空は、どうみても自分を呼んでいるようにしか思えません。
 フローラはパジャマをぬぎすて、昼間の格好にもどると、窓のよこの木に飛びうつりました。そして、一階の玄関をすこしだけ開き、くつを抜き取って外ではきます。
 急がなければなりません。もう映画は、始まっているかもしれませんから。
 ところが、です。
 用水路の橋のうえにさしかかったころ、人影が見えました。
(うそ……なんでこんな時間に……)
 スピードをおとし、ゆっくり近づきます。だれかに見られるわけにはいきませんでした。昨日の今日で怒られては、学校すら行かせてもらえなくなってしまいます。でも、ここを通らなければたいへんな遠回りをしなければなりません。
 フローラは泣きたくなりました。
(どうしよう、どうしよう)
 と、人影がこちらに気付いてしまいました。こちらに来いと、手振りをしています。
 いっしゅん、にげようとしました。
「ばかフローラ、早く来い! 見つかるぞ!」
 でもそれは、聞き覚えのある声でした。ポックです。
「ポック! なんでこんなとこに……」
「ばか! 声がでかい!」
 小声でポックは笑っています。
「それはこっちがいいたいな。大人のフローラが、なんでこんなところにいるんだろうな」
「だ、だから……きちんと約束を守るのも、大人のすることなのよっ」
「はいはい。ほら、いそぐぞ」
 フローラの頭をぽんぽんとかるくたたいて、ポックは駆けだします。
「こ、こら! 子どもあつかいするな!」
 赤くなってあとを追いながらも、フローラは、とてもよろこんでしまっていました。ポックが待ってくれていたことに、むねのおくがみょうに暖かくなってしまっていました。


 みぎかべのてっぺんに、大きな岩をまっぷたつにしたような白い岩肌がそそりたっています。むかしはまるで、みがかれたようにてかてかだったから、クッキリとものが映っていたといいます。フローラのおばあさんたちは、大きなかがみがわりに使っていたそうです。
 二人がゼイゼイいいながらみぎかべを登り切って、そこにたどりつくと、昨日の紳士がカメラをセットし終わるところでした。
「こんばんわ」
「こ、こんばんわ……あの、おそくなってごめんなさい」
「やあ、こんばんわ。いいや、私も丁度準備が終わったところでね。二人とも来てくれて嬉しいよ。……誰にも、いわなかったかい?」
「だれにも、いってないよ」
 ポックの後ろで、フローラがウンウンとうなずきます。
「それは結構。……それでは、始めようか。じゃ、カメラの前に座って、岩の方を見てくれるかい?」
 二人はいわれるまま、ひざを抱えてすわります。胸は、走ってきたドキドキと、これから始まる物語のドキドキでいっぱいです。
「まずは、顔を上げて。夜空を見てくれたまえ。どうだい?」
「うわーっ」
 二人はおどろきました。谷で見ていても、じゅうたんのように無数に見えていた星空でしたが、そんなのくらべものになりません。ちかちかと瞬く星たちと、黒い宇宙が半分半分。ところによっては、空は青かったり、赤かったり、白かったりしています。
「手を伸ばせば、とどきそう……」
 フローラは本当に手を伸ばしそうになっています。
「そう。昔、こんな星空にあこがれた人たちがいたんだ」
 紳士は明かりをともし、ゆっくりと、カメラについたハンドルを回し始めました。
 白い岩肌いっぱいに、映像がうかびあがります。
「彼らは最初、神様に頼んだ。どうか私達も、天へいって、星の世界をもっとよく見せてください、とね」
 大きな神殿で、おまつりがおこなわれています。何千、何万という人が祈りをささげています。
「しかし、その願いは叶わなかった」
「どうしてですか?」
「神様はね、人間のためにこの地球を造りたもうたからね。宇宙は人間のための世界ではない。それ以上を望むのは、贅沢だと思われたんだよ」
「人間って、何でもほしがるって、先生がいってたよ」
「ポック君、それは言い得て妙だ。ねこみみほど欲もなければ、人間はもっと幸せに生きられるのかもしれないがね。ただし、その欲こそが、人間を人間たらしめるのだよ……願いが叶わないと悟った彼らは、次に、悪魔の力を借りることにした。これが、魔法使いの誕生だ」
 映像が切りかわりました。おどろおどろしい部屋に、大きくて古い本。しゃれこうべや首のない七面鳥も見えます。はなのひん曲がった魔法使いが、大きなつぼに、なにやらあやしいみどりの液体をふっとうさせていました。
「こうやって人間は、空を飛ぶ方法を手に入れた。ただし、これも失敗だった」
「……どうして、ですか?」
 おどろおどろしい光景にすこし怖くなっていたフローラが、おそるおそるたずねました。
「魔法を使うために、人間は悪魔と契約したんだ。でも、悪魔は人間よりもずっと欲深い存在だからね。人間は大切なものを幾つも失うことになった。星空まで行こうとおもったら、どんなことを要求されるか分かったものではない。で、それに気付いた人間たちは、覚えた魔法を忘れるようになった……こうして、人間はまた、飛ぶ手段を失った」
 映像が、魔法使いから、夜空をながめる人間たちにかわりました。
「それでもかれらは、星空をあきらめられなかった。彼らは考えに考えた末、やっぱり他人の力を借りてはならなかったんだと思い直した。よって……彼らはこれを考え出した」
 また、映像が切りかわりました。
 こんどは、岩の壁に大きく口を開けたトンネルでした。真っ黒でなにもみえないトンネルから、二本の鉄の線がこちらにむかって連なっています。
「フローラ……なんだ、これ」
「レール、かな」
「なににつかうんだよ」
「勉強しなかったの? これはね、鉄道が走るんだよ……あたしも乗ったことないけど」
 でも、フローラの頭の中には、ハテナマークがいっぱいです。どうしてこれが、星空へ行く方法とつながるのでしょう?
「おじさん、なんでこれが」
「話はあとだ。とりあえず立って、脇に離れたまえ」
「?」
 サッパリわからないフローラのそでを、ポックが引いています。
「フローラ、フローラ」
「なによ」
「見てみろよ」
 画面には、トンネルの中にかがやく星があらわれていました。それはしだいに、大きくなっているようです。どうじに、力強い音がきこえてきます。
 シュッ、シュッ、シュッ、シュッ……
 ガタンゴトン。ガタンゴトン。ガタンゴトン……
 ふしぎです。映画に音がついています。それも、じょじょに大きく、じょじょに体全体に感じられるようになってきました……!
 そして、大きな大きな、レモンイエローの光とともに、黒いかたまりが、トンネルから出てきました!
「あぶない!」
 ポックが突っ立っていたフローラの体を押したおします。いっしゅんの後、そこには風をまとった、巨大で、長くて、終わりの見えないヘビが通りすぎていました。
 それはやがて、長く白い息をブシュウーッとふきだして、ゆっくり止まりました。
 先頭では、黒いかたまりが、夜空にむかってモクモクとけむりを吐きつづけています。そこから後ろは、たくさんの窓がつらなっていました。
 まぎれもなくそれは、蒸気機関車と、ながいながい客車でした。
 二人はたおれたまま、あっけにとられてそのようすをながめています。
「フローラ……」
「映画……だった、はずなのに……」
「お二人さん」
 いつのまにか客車の戸口にのりこんでいた紳士が、二人をてまねきしています。
「早くこちらへ来たまえ。彼らがどうやって、星空へと駆け上がったか、知りたいだろう?」
 まだぼーっとしているフローラの手を、いち早く自分をとりもどしたポックが引っ張ります。
「フローラ、行くぞ」
「え、ちょっとまって……」
 おそるおそるのりこんだ客車は明るくて、いくつもの座席がつらなっています。紳士のほかにはだれもいません。二人は落ちつきなさそうに、紳士の向かいに腰をおろしました。
 紳士が時計を見ています。
「そろそろ発車だな」
 いいおわらないうちに、先頭の機関車が、たかだかと汽笛をならしました。
 ポォーッ!
 ドーンと音がして、列車はゆっくりと動きだし、みぎかべの上をすべっていきます。
 ですが、二人はあることに気付きました。
「おじさん! みぎかべはさいご、がけになってるわ! 落ちちゃう!」
 フローラは窓からのりだします。機関車はどんどん速度を上げています。
 さすがのポックも、怖くなったのか、窓のそとを不安げにきにしています。
 ですが、紳士はイタズラめいたほほえみのままです。
「よし、じゃ、カウントダウンしようか。3,2,1」
「もう、だめ……!」
 二人は思わず、体をまるめて抱き合ってしまいました。
 そのしゅんかん。
 ふわっと体がかるくなって、またいすの上に座り込んでいました。おそるおそる目をあけると、紳士はなんにもかわらないまま、窓のそとをさししめしています。
「ごらん。これが、空を飛ぶ方法さ」
 二人が窓のそとを見ると。
 下は、どこまでも広がる大地でした。
 上は、いろんな色の星空でした。
 二人ののった列車は、その二つの、ちょうどさかいめを、まっすぐ飛んで……いいえ、走っているのでした。
 ぽかーんと口を開けた二人に、紳士はほこらしげにいいます。
「空を飛ぼうとするから駄目だったんだよ。地球も宇宙も、地続きと考えれば問題はない。で、人間の造った一番速い乗り物、蒸気機関車を走らせてみることにしたんだ。すごいだろう?」
「すごい……」
 ポックはじーっと、外を見ています。
 フローラは客車の戸口に戻って、そこから体を乗り出しました。風を切る列車の先頭をみていると、地面の方向にむかって列車はおりていきます。
 ついてきた紳士が、あごに手を当ててわらいました。
「どうやら、君たちにサービスをしてくれるらしいぞ、運転手さんは」
「え?」
 列車はずっと高度を下げて、なんと、二人の谷に入って行くではありませんか。
「ポック! 谷だよ!」
「オレたちの家も見える!」
 興奮したポックがゆびさすその先に、谷全体が手の平におさまってしまうぐらいの大きさで見えていました。まだ灯りのついている家が、くらやみにかがやく宝石のように、何度かまたたいています。
「あんなにちいさい……」
 フローラの心に、寝息をたてているお父さんとお母さんの姿がうかびました。
(ちゃんとねてるよね……わたしのこと、気づいてないよね……)
 ちょっと不安になります。でも、それよりも不安なのは、いまのようすでは帰る方法がないということです。となりでは、ポックが無邪気に目をみはっています。
(まったく)
 これもまた、フローラを不安にさせるのでした。
 列車は谷を通りすぎてしまうと、スピードを上げ、どんどん登り始めました。くらい大地がみるまにとおくなり、カラフルな宇宙の中へと入っていきます。
「いったい、どこまで行くんだろう」
 今までは地球の地平線にむかって走っていたのですが、距離が開いてくると、地平線がいっかい円をえがき、地球は文字通り、本当の地球儀になってしまいました。学校で習ったとおり、二人がいっかいも見たことのない海が、地球の七割を占めているという話がようやくなっとくできます。
 大きな大きなボールになってしまった地球。あそこに、自分たちは住んでいて、他の知らないむすうの人が住んでいて、名前も知らないむすうの命が住んでいて。でも、その地球も、宇宙から見ていると、どんどん小さくなって、夜空に輝く星よりもずっとずっと小さくて。
 気がつくと、ポックもフローラも、まるで魂をぬかれたように黙りこんでしまい、じっとながれる大宇宙を見ていました。
 紳士は優しげにほほえみます。
「どうだい? 神様がどうして人々に星たちの世界を与えなかったのか、理由が判ったかな?」
 フローラは小さくうなずきます。確かにここは、自分たちの手に負えるような世界ではないような気がしたのです。 
「初めて宇宙に辿り着いた人間も、今の君たちと同じような気持ちになってね。畏敬の念というか、ある意味での恐怖だな。人には、どんな欲望に晒されても決して手を伸ばしてはいけない神域が、依然としてあることをようやく思い出したわけだ。神様に怒られないためには、見つからないうちに引き返した方がいいってな。で、この鉄道の終着駅も必然的に決まった」
「終着駅? ……おじさん、聞きたかったんだ。この列車はいったいどこまで行くんだろうって」
 ポックのとなりで、フロ−ラもうなずきます。
「朝になるまでに帰らないと、お父さんたちにおこられちゃう」
「こんなとこにまできておこられるもないだろ、フローラ」
「だって」
「いや、すまない。説明もなしに連れてきた私も悪かった。帰りは私が責任を持って送るよ。・・・そうだ、お詫びと、昨日の暗闇苺のお礼をしよう。それが、行き先の種明かしにもなるからね」
 主人はポケットをまさぐると、ハンカチの包みを取り出しました。ゆっくりとそれを開くと、なんとぴかぴかと輝くビスケットのかけらがいくつか入っています。少しくだけてしまっていますが、それが星形をしていることはかんたんに判りました。
「これ、ビスケット……?」
「只のビスケットじゃない。いわば天然物だな。さ、少し食べてみたまえ」
 二人は顔を見合わせながらも、おそるおそる口にほおばりました。
 瞬間、
「!」
「なんだこれ……」
 その甘さといったら! その柔らかさといったら! 一度かむごとに、指先まで甘い感覚がひろがっていくかのようです。暗闇いちごの甘さとはぜんぜんちがう、しっとりとひびく甘さ。
 紳士は二人の反応にとても満足そうな顔つきです。
「目的地が迫っているので、種明かしをさせてもらうよ。これはね、星屑のかけらなんだ」
「星のかけら?」
「ああ。窓の外を見たまえ」
 いわれたとおりにした矢先、目の前を大きな流れ星が飛んでいきました。
「うわっ!」
「フローラ、こっちにも」
 車内の灯りが自然と落ちました。するとどうでしょう、今まで気づかなかったのがふしぎなほど、たくさんの流星が列車と平行に飛んでいました。ちゃんと角が五つとんがった星形をしています。皆同じように、決まった方向に向かっているようです。
「同じ方向に飛んでるね」
「うん」
「進行方向を見てみるといい。この列車が行き着く先が判るだろう」
 ポックがまた、窓から顔を乗り出します。今度はフローラもそれにならいます。
「月だ!」
「大きなお月様……」
 そこには、黄色の絵の具を塗りたくったような、百年かかっても食べきれないチーズのような、きょだいな月の表面がそびえ立っていました。流れ星たちはその月の裏側へ向かって飛んでいきます。
 こちらからではその様子を見ることができません。
「おじさん、じゃ、この列車は月に行くんですか」
「その通り。月の駅で停車することになってる。あとは地球へ逆戻りさ」
「なんで、流れ星はみんな月に落ちていくんだろう?」
 紳士はちょっと困ったようにして、窓の外の流れ星の大群を眺めていました。
「そこなのさ。人間は、宇宙を果てなく旅することを諦め、月へのお手軽な旅行へと行き先を変更したわけだ。だがそこで、月が生まれた本当の理由を知ってしまった」
「ほんとうの、理由?」
 列車は下降を始めました。どうやら星達と同じく、月の裏側を目指しているようです。
「神様は人間が宇宙にでたいという望みには許されなかった、という話はしたよね。でも、他のささやかな望みは叶えてあげたいと思われたんだ。だから、流れ星を創った。流れ星が落ちる間に願い事をいえば、願い事が叶うというだろう?」
 二人は同時に、谷から見上げる夜空を思い出しました。
「ところが、神様はうっかり失敗をしてしまわれてね。最初の頃、流れ星の量が多すぎて、ほとんどの願い事が叶ってしまった。これでは人間は楽を覚えて駄目になってしまう。そう思われた神様は、月を創って、落ちていく流れ星の方向を変えたのさ。これで、地球に落ちる流れ星は適正な量になり、残りの流れ星は月へ向かうことになった。……月が金色に輝くのは、落ちた無数の流れ星が一斉に輝いているからなんだ。もう表側には落ちる場所が無くなってしまっているので、今は月の裏側へと向かって、星達は流れていく、というわけだ」
「そうだったんだ……」
 フローラは座席のひじあてに手をつき、ちょっと考えてみます。
「わたしね、お星様に願い事をしようとしたことがあったんだ」
「オレも。おこづかいが増えますようにって」
「つまんない願いね」
「うるさい。おまえも大したことないだろ」
 ポックの問いに、フローラは首をふりました。
「ううん。できなかったの。流れ星が流れるまで待ってようとおもってたら、いつの間にか寝ちゃってたりとか、どの願いをかなえてもらおうなんて、ほんのちょっと考えた間に、星が流れてしまっちゃったりとか」
「それは残念だったね」
 紳士の言葉に、もう一度、こんどは笑いながら、フローラは首を振りました。
「でも、それでもいいかなと思っちゃった。だって、こんなに流れ星があるのに、その中のほんの少しだけが人の願いのために流れていくのをしったら、もったいなくて私の願いなんて叶えてもらえないもの。もっと、本当に叶えなくちゃいけない願いを待ってる人の、頭の上に流れていくといいな。その分私は、自分でできることは自分でやることにするから」
 紳士はあごをなでて、それからやさしくフローラの頭をなでました。
「フローラくん、君は大人だね」
「そんなことないです。わたしはポックといっしょで、まだまだ子どもです」
「なんだよそれ。いつもオレのことを子どもだってバカにするくせにさ」
「それはほんとのこと。頭の中は、ポックのほうがぜったいに子どもだよー、っだ」
 またふざけあう二人を、紳士はうれしそうに見まもっていました。
「さてさて、そろそろ到着するよ。ごらん、空の色が青くなってきた」
 二人はまた、窓の外をのぞきこみました。月面にはなんと、地球と同じように山があり、草原があり、雲が広がり、風が吹いています。
 でも、一つだけちがうところがありました。
 広大に広がる海……その全てが、金色ぴかぴかに光っているのです。
 列車はその波打ち際にたてられた大きな時計塔の駅にむかっていきます。
 もちろん二人は、その海がなんなのか、わかっていました。
 ポォーッ!
 蒸気機関車がなんかいも汽笛を鳴らします。斜めになった列車はしずかに水平になり、まもなくレールのうえに着地しました。
 キキキーッ……。
 けたたましいブレーキ音とともに、大きな天蓋のプラットホームへとはいっていきます。
 やがて列車が完全にとまると、機関車がまるで溜め息をつくように白い息をモクモクと吐き出しました。
 ポックは戸口から飛び出し、誰もいない駅をどんどんとかけだしていきます。
「ちょっとポック、かってに行っちゃだめよ」
「なにやってんだ、おいてくぞ」
 フローラは気になっていますが、後ろの紳士を気にしています。紳士はまだ客席に座っていて、まどを開けてこちらを見、手を振ってくれました。
「私のことはいい。遊びに行ってきたまえ」
「でも……」
「フローラくん。今だけは、願い事を我慢する必要はないんだよ。行って、思う存分すばらしき未来に憧れるといい。大丈夫、君の願いは神様に届くはずだ」
 フローラは、なんだか照れくさくなって、頭をぽりぽりとかきました。その後ろから、ポックが駅の壁に大声をひびかせています。
「フローラ、すごいぞ! 早く来てみろ」
「ほら、駅の前でポック君が待っているよ」
「はい……じゃ、いってきます」
「ああ、いっておいで」
 フローラはもう一度だけ列車とふしぎなな映画技師をふりかえり……だって、そうしないといけないような気がしたから……大きく頭を下げました。
「ここまで連れてきてくれて、ありがとうございました!」
 軽いステップで駅をかけぬけました。大きなロビーを抜けて、駅前広場にでます。
「す、すごい」
「やっときたんだな。これ、みてみろよ!」
 ポックにいわれるまでもありません。駅の前から地平線に……いいえ、月ですから月平線とでもいうのでしょうか。その月平線のかなたまで、金色の海がつらなっているのです。もちろんそれは、ぜんぶがぜんぶ、あの流れ星たち。いまもまた、はるかかなたでは、いくつもの流れ星がなないろの尾を引いて、海へと落ちていきます
 ポックはよせかえす海のほとりで、輝く星をすくっては、口に放り込んでいます。
「うまい!」
 もう、フローラもがまんできません。
 もうれつなスピードで駆け寄ると、弧をえがいてビスケットの海に飛び込みました。ホントの海のようにしぶきが上がり、小さな輝きが数えられないぐらいはねあがります。
 フローラももう一度、星を食べてみました。口が溶けそうになります。
「おいしいし、あったかいし、ねむいし……」
 海といっても、体がぬれることもありません。だって、それは全部ビスケットなのですから。
「おーい、フローラ。こんだけあれば、なんどだって願い事できるぞーっ」
「そうね……じゃ、えんりょするの、やめようかな……」
 金色の海にただよいながら、重いまぶたに逆らいながら、フローラは空を見上げます。
 幾筋もの流れ星が落ちてくる青い空のむこうには、お月様の代わりに自分たちが暮らすあおい地球がうかんでいました。
「かみさま、どうか、おねがいします。ポックと、いつまでも、大人になっても、ずっと……」
 ねむたいです。やたら体がおもくて、沈んでいってしまいそうです。
 星たちにうもれて、からだが、しずむ、しずむ……。


 ドサッ!


「むぎゅ」
 ベッドから落ちたフローラは、カエルがつぶれたようなうめき声を上げました。
 したたかに打った頭をさすりながら、むくりと体を起こすと、ゆっくりと体を起こします。周囲を見回しても、いつもの自分の部屋。着ているものもパジャマ。
「……なんだ夢か。もういっかい、お星さまのビスケット食べるぅ……」
 ベッドに倒れ込み、もう一度ふとんをかぶります。
「………………」
 何秒か、して。
 ものすごい勢いで起きあがったフローラは、ふとんをはねのけ、窓を大きく開け放ってさけびました。
「ポック、ポック! おきてるの、ねてるの?」
 やがて、目をこすったポックが、眠たそうに窓をあけました。
「なんだよこんな朝から」
「なんだよじゃないわよ! ゆめよ! ……いいえ、ゆめなんじゃかじゃないかも。でも、ゆめだとしか……ううん……」
 うなって首をひねったフローラに、ポックはおどろきます。
「なんだよおまえ、変なゆめでもみたのかよ」
「え? それじゃ、ポックは……?」
 その先をいうのが、ふいにこわくなりました。あの旅は結局、フローラだけが見たまぼろしだったのでしょうか。
「……ま、いいや。早起きしたことだし。飯でも食おうっと」
「あっ、ちょっとポック」
「なんだよ」
「……いいえ、なんでもない……」
 力なく首をふって、フローラは窓を閉めようとしました。するとポックが、いたずらを思いついたいつもの顔でこういうのです。
「フローラ、オレの今日の朝飯、知りたくないか?」
「なんでもいいよ……」
「ほんとか? こうかいするぜ、なんたってこれは」
 ポックは自慢げに、手のひらをフローラに伸ばしました。
「お月さまのおみやげだからな」
 そこには金色にまたたく、星形のビスケットがのってかっていたのです。
 フローラはびっくりして、本当にびっくりして、それでもさいしょにいえた言葉は、
「ポックの、ばかぁ!」
 でした。


 さてさて、夏が過ぎかかったある日のこと。
 今年も街に、映画屋さんがやってきました。一年に一回のお楽しみ。子どもたちは当然のこと、町中のねこみみたちがこぞって、街の公会堂に集まってきます。でもこれが実は、今年二回目の映画だったのですが、それを知るのはたったの二人だったのはいうまでもありません。
 みんながおどろいたのが、あのいたずら小僧のポックが一番に席について、映画の始まりを待っていたことでした。その理由をしっているフローラでさえ、ポックになんども確認したのです。
「いいポック。あれは特別だったんだよ? こんどの映画が、あんなふうにおもしろいとは限らないんだよ?」
「そんなの、見てみなくちゃ判らないだろう」
 いたってまじめな顔で、ポックはそういうのでした。
 最近のポックはいつもそんな感じで、フローラとしては張り合いがないというか、何となくおいて行かれたような気がして、少しだけさみしくなるのでした。
 でも、そんなことを考えていられたのも映画が始まるまでのこと。
 三本立ての映画の最後の話を見て、ポックとフローラは心臓が飛び出しそうになるほどびっくりしてしまいました。
 それはなんと、幼なじみの少年と少女が、空飛ぶ列車に乗って月を目指す話だったのです。その話では結局、二人は月に行くことはできませんでしたが、列車からみた地球や月、列車にならんで飛んでいく流れ星などは、フローラたちがみたものとそっくりだったのです。
 映画がおわり、せいだいな拍手のあとに観客たちが感想をかわしながら会場をでていったというのに、並んですわったポックとフローラは、顔をみあわせたまましばらくじっとしていました。
 それに気づいたのが、若いねこみみの映画技師でした。映写機の手入れをいったんやめて、こちらに近づいてきます。
「どうしたんだい、お二人さん」
 二人はどういっていいか判りません。が、意をけっしたフローラが、おそるおそるたずねました。
「あ、あのー」
「なんだい?」
「この、三本目のお話なんですけど」
「ああ、気に入ってもらえたかい? あれはね、僕の原案を元に、仲間達と一緒に創ったんだ。結構自信作なんだけど」
「いいえ、あの……そのう」
 フローラも、ポックも、何か言いたげなのですが、なかなか口にできません。それはそうですよね。ゆめかも知れないことを人にいって、信じてもらえるはずがありません。
 青年はクスリと笑うと、しゃがんで二人の顔を見比べました。
「おもしろくなかったのかい?」
「いいえ! 全然! そんなことはなかったんです……けど……」
「……じゃ、感想の代わりに、こちらから質問させてよ。映画の中の二人は、遂に月に行くことはできなかった。これはどうしてだか判るかい?」
 二人はどう答えていいのか判らないので、首を横に振ります。
「答えられないよね……だってそこには、願い事がいくらでも叶うくらい、無数の流れ星が集う場所なんだから。それが神様の失敗の結果だなんて、他の人に教えちゃまずいよね」
「!」
 おどろく二人に、青年は小さなビンを取り出してかざして見せます。そこには自ら発光してやまない、小さな小さな星がはいっていました。
「それは」
「……金色の海の、お星様……」
「そしてそれが、信じられないくらい甘いビスケットだってことも、ここにいる僕らだけの秘密だ」
 青年はいたずらっぽく笑いました。


 青年もむかし……そう、ポックやフローラと同じ年の頃、あのふしぎな紳士に連れられて月へと旅行していたのです。それいらい、もう一度あの紳士にあって、月へ連れて行ってもらおうと心にきめていました。だから、お仕事も映画技師になったのです。まだ紳士に会えてはいませんが、あきらめていないし、あきらめるつもりもないといいました。
 話を聞いていたポックがふいに立ち上がりました。
「どうしたの、ポック」
「オレも映画技師になる」
「は?」
「映画技師になって、あのおじさんをさがしてみせる。なんたってまだ、オレはあのおじさんにお礼もいってないからな」
「そんな。いまお兄さんのはなしを聞いたでしょ? 何年かかっても、あえないかも知れないのに」
「じゃ、オレ、そのお兄さんよりも先に見つけてみせるさ」
 いつものようにほおをふくらませて言いはなつと、ポックは駆けだしていってしまいました。
 フローラはまた、大きなためいきをつきます。
「まったく……最近は少しは変わったかなと思ったのに、やっぱり全然こどもっじゃない」
「ハハハ。君たちは仲がいいね」
「そんなことないです」
 でも、内心はちょっとだけ安心していました。あの旅以来、何かにつけて大人びて見えるポックが、もしかしたら自分よりずっと大人になってしまっているのではないか。事あるごとにそんなことを考えてしまっていたりしたのですから。
「でも、ポックといい、お兄さんといい、なんか男の子って、夢みたいなことをいうのが好きですよね」
「君は、夢をみたり、追いかけたりするのは好きじゃないのかい?」
「ううん。わたしも、そういう話は好き。でも……あの列車も、映画をみせてくれたおじさんにも、何となくもう二度とあえないような気がしてるんです」
 それはきっと、自分が大人になっていっている証拠ではないかと、フローラは思うのです。
 子どもの間だからこそ、信じられるゆめもあります。
 でもそれって、ちょっとさびしくありませんか?
「そうだね。でも、僕らにはそれぞれ特別な力があるんだ」
「とくべつな、ちから?」
「そう。男の子には、自分がみた夢をずっとずっと追いかけていける力がある。だけど、女の子が持っているのは、現実を夢に近づける力だ。もし同じ夢を、ポック君と君が抱き続けていられるなら、先に辿り着くのは、いったいどっちなのかな?」
「あ」
 どうやらフローラは、大人になるということを誤解していたようです。それは古いことを捨て去るのではなく、大事な物をもってずっとずっと歩き続けること。
 もしもフローラがいつまでも、星の海のただ中でつぶやいた願い事を忘れないでいられるのなら、それはきっと現実になって、新たなゆめをつむぐことでしょう。


 さて、このふしぎな話は、ここでおしまいです。
 もしもあなたが見上げた夜空に、長い長い列車が走っているのを見かけたら、それはきっと、転職した魔法使いが、子ども達に夢のありかをかいま見せているに違いありません。
 あなたも月の秘密を自分の目でみたいと思いますか?
 だったら、ここから南西の方角に三日三晩歩いた、ねこみみたちの谷にいって、少しおしゃまな女の子にその方法をたずねてみるといいでしょう。
 きっとその子は、甘いビスケットが大好きだから、それなりのものを準備していけば、案外教えてくれるかも、しれませんよ。  


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