■ 冬 〜導入


 河が続いている。
 緋色の河。
 ひとつの雄大な、真赤に燃え盛る大河。
 うねる波は葉を持たない宿業の華。
 彼岸花。
 宇宙の形を示す真紅の姿。
 まるで大蛇のうねる姿のように、あたかも荒涼とした無人の三車線道路のように連なって、ただ延々と咲き誇っていた。
 八重に咲いた幻想郷の無数の花々が撚り合わさったように、その河は東へ向かって揺れながら流れていく。
「ようやくここまで来たわ。なんだかすごく無駄に遠回りした気がするけど」
 博麗霊夢はその紅い河の畔に立って一人ごちる。
 空はそろそろ夕焼けに支配されるべき時間だったが、春の夕闇にしてはどこか心細い暗さ。妖しき闇との不健全な入り混じり方だった。たなびく雲の形といい、空に舞い上がっては落ちてくる不思議な白い光の群れといい、その奇妙な光景はどこか、初冬の日暮れにも似ていた。
 それでも風は春の暖かさを伝えている。
 これだけ不自然な光景なのにも拘わらず、春をこうまでも強調されると、人ならずとも逆に不安にすらなってくるかもしれない。
 ただ、当の霊夢はそういう感情には捕われていない。彼女にも既に、この比類なき春の原因が見えていたからだ。
 いや――多分、原因なんて最初から決まりきっていた。
 ただそれを見通すのに時間が掛かっただけのこと。
 きっと、霊夢がずっと花に見とれていたから。
 甘く美しい無数の花によって、目を閉ざしていたから。
「隠してたんじゃないわね。だって、この花達は結局全部、」
 そういいかけて、霊夢はふと小首を傾げ、考えるしぐさをした。
 自然と浮かんでくる密やかな微笑み。誰にも気づかれないよう、小さな思いつきを仕舞い込む子供のように。
「まぁ、いいわ。何となくだけれど、ここにいれば原因の一端が向こうからやってくれそうだものね。それに……こんな見事な三途の川を自分で渡るなんて、縁起が悪いにもほどがあるわ。私だって人間なんだから」
 まるで川岸で渡し舟を待つかのように遠くを見遥かし、ついで懐にしまっていた竹の水筒を取り出してみる。
 で、一瞬動きが止まった。
 水筒にはいつの間にか小さな枝が生えており、先端には竹の花が咲いていたからだ。
 今日はいろいろと呆れる出来事があって、幾度と溜息をついたかもう解らないから、霊夢はいちいち驚くことにさえ疲れていた。
 何も考えずに、水筒の口に唇を当てる。大蝦蟇の池で汲んでおいた水は冷たく喉を通り、甘い御神酒の味を連想させた。事件が解決したら神社で酒をゆっくり楽しもうと思った。
 と。
 一息ついて視線を落とした先に、霊夢はひとつの花を見つけた。
 無数に咲く曼珠沙華の間に、雪を割るように一輪咲く……福寿草。
 どこまでも続く紅い大河に流されそうになりながら、年明けに福を呼ぶその花は自己主張をやめない。控えめに、だけど負けずに咲くその黄色に霊夢は少し驚いて、それから古風な笑みを投げた。
「どこにだっているのよね、あんたみたいな場違いなのは」
 福寿草は周囲の彼岸花に臆することなく、生の喜びを全身で表現している。
 その場違いさは一概に間違いだとは言えないのではないか?
 世界の見方が固定したその場所にも、新たな光が降り注ぐこと、
 時間の流れが移ろいゆくこと。
 それを気づかせてくれる存在として、場違いな者は認められるべきなのだ。
 場違いな者が己の誤りを自力で悟るその瞬間に、罪は赦されるだろうから。
 霊夢は彼岸花を掻き分けて少し歩き、水筒から残り少なくなった水を一滴落とす。
 転がり落ちた雫は福寿草の花にあたって小さく弾けた。
「こんなところに生きた人間が何の用だ? また自殺しにでも来たのか。死に急ぐ人間に最初の警告だ。三途の川の渡し賃は法外だから、神社の賽銭ごときでは渡れないぞ」
 上空から影と、諭すような口調の声が落ちてきた。
 見上げると、雲に滲んだ西の太陽を背にして、大きな鎌を肩に担いだ少女の影が浮いていた。
「来たわね」
 霊夢はお払い棒を握りなおすと、風を呼んで音もなく、ふわりと舞い上がる。
 幾重にも舞う白い光を、無数の幽霊を追い越しながら、
 赤い髪の死神の待つ場所へ。
 ――紅い河の中で霊夢が最後に見た、あの場違いな福寿草の上には、
 宝石のように輝く雫がきらりと一粒、確かに輝いていた。


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