■ 秋 〜導入


「あれ、またここなのね」
 霊夢はやれやれといった感じで腕を組んだ。
 見上げると転がってしまいそうになるような、急な山道。樹齢千年は刻んでいるだろう杉の巨木が摩天楼のように立ち並んでいる。高い梢から洩れてくる日の光は角度を小さくしつつある。異変の目的地を探して彷徨っているうちに、博麗神社からはかなり離れてしまった。今日に限っては、いつもと同じ午後三時のお茶は望めそうもない。
 霊夢は白兎のようにひらりと飛んでは着地して、ようやく登ってきた。
 道とはいえ、獣によって刻まれたような微かな線だ。注意力散漫な者には見つけることも出来ないだろう。
 道々には一定の距離をおいて、苔むして森と同化していく道祖神が立ち並び、その周囲には仏に捧げる華、菊が大輪をいくつも咲かせている。これもまた、異変を示す一端なのだろう。
 そして……霊夢は今、若干途方に暮れかけていた。
 本来ならば人の道しるべとなるべく安置された地蔵菩薩が、菊の黄色や白とともに自分の行く手を惑わしているのではないか。
 そもそも普通に考えて、登っているのだからいつかは頂点に届くはずなのだ。だが結果は、くねくねと同じような道が延々と連なっているだけ。自分が通る前と通った後で何度も書き換えられているのではないのか。
 咲いている菊はどれもこれも、同じ形にしか見えないのだから。
「いい加減飽きてきちゃった。帰ろうかしらね」
 もし舞い上がって天蓋となった杉林の上に出たとしても、新たな兆候を見つけられないだろう。妖精たちに殺到されるのも面倒な話だった。まぁこの異常な春だって普段は見れないものだから、この際地上でじっくり見ておきたいという気持ちも幾らかはあるのだが……霊夢は基本的に、自覚している以上ののんびり屋だった。
「しかし……お地蔵さんに菊を奉るのはいいとしても、いちいち御参りしてたんじゃ春が終わってしまうわよ。闇雲に崇めればいいというものでもないと思うのよね」
 霊夢の独断的な感想はともかくとして、森の中では似つかわしくない菊の花が、霊夢の方向感覚を著しく鈍らせているのは確かだった。
 だからこうして何度も何度も、同じ道を通っている、気がするのだろう。
 巨大な迷路ならば、左手を壁に当てて進むのも一つの手段だけれど……。

 こおぅ、

 腕組みする霊夢の背後のその頭上を、一陣の風が吹き抜けた。
「――誰?」
 振り向いた時にはもぬけの殻だ。
 ただ、
 ぱしん、
 枝が鳴り、揺れ動く音が森に木霊していくだけ。
「…………………」
 霊夢は風が去った方向をじっと凝るように見つめる。
 揺れた枝は今だ地位削除下に振動を刻んでいる。
 やがて、ちいさく、
 森の奥深くから、風の返答がわずかに帰ってくる。
 それはまるで吹き鳴らされた法螺貝のように低く轟き、金管楽器に高らかに風を吹き込む如く高らかと響き、誇り高い少女の漏らした秘やかな笑い声のようでもあった。
 風が響くリズムにあわせて、瞳を閉じた霊夢がつま先でリズムを取る。
 彼女は何かを捕まえていた。
 あとは、それに乗るだけ、

 こおおおおおっ

「―――――!」
 霊夢の足元から風が、まるで昇天する龍のように吹き上がった。周囲に立ち並んだ菊が一気に風になびく。
 それに軽々と乗った霊夢は、往古の忍のように杉の幹を二、三度蹴って枝を踏み、幽かに捕まえたその音を追っていく。
 観客のいないトランポリンで跳ねる軽業師にも似て。
 枝々を潜り抜け、風の塊になって、
 春と秋の混在した森の迷宮を突破する……!


 低空から森を抜けた霊夢が辿り着いた場所は、
 木々に囲まれた、清泉湧き出ずる、あまりにも澄み切った大池だった。
 漣揺れる水面には切り抜いたケーキのような蓮の葉と、満開の蓮の花が広がっている。


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