■ 夏 〜導入


 海。
 視界を覆うのは一面の海。
 どこまでも黄色な向日葵の大洋が遥か地平線まで広がっている。
 紅白の衣に身を包んだ博麗の巫女は、春風に寄せては返す波のようにそよぐ、その太陽の畑を飛び越えていく。
「なんていうか、偏執狂な画家が泣いて喜びそうな風景よね。または花を偏愛する妖怪とか? どっちにしてもわたしの趣味じゃないけれどね」

 こおおおおおぅぅ……

 肩を竦めずにはいられない霊夢が、一陣吹いた強い風を避けるように低空を飛ぶ。
 その瞬間、
 風にあおられた向日葵の間から、まるで首根っこをつかまれたかのようにして、無数の妖精たちが空に吹き飛ばされてきた。
「もう、またなのね! 鬱陶しいったらないわ」
 博麗の巫女は心底うんざりといった表情を浮かべて、幣帛を結わえた榊の枝を構えなおす。何処へ行っても妖精だらけなのだ。
 妖精たちは皆同じように笑いながらも、手に手に緋衣草ひごろもそうを、金魚草を、クロッカスを、クレマチスを、雛罌粟ひなげしを、ありとあらゆる様々な花を携えて。
 心底楽しそうな表情を浮かべて、霊夢を取り囲んでくる。
「こっちはちっとも嬉しくないわよ、なんでこんなに妖精ばっかり……きりがないじゃない!」
 普段は人間にちょっかいを出すにしても、影からこそこそと悪戯を企む程度の妖精達だが、この幻想郷の盛大な開花に当てられてしまったのか、芸もなくまっすぐに巫女に向かってくるばかり。
 迎撃するのは難しくもないが、なんたって量が尋常ではない。
 大気が妖精と彼女達が放つ悪ふざけ……カラフルな弾幕とですべて覆われてしまいそうだ。
「もう、いい加減にしなさいっ」
 背後から、吐息が掛かるぐらいにまで接近していた妖精を、振り向きざまにお払い棒でぺしりと叩くと、妖精は舌を出してくるくるくると墜落し、その途中でぱちんと弾けて花弁を撒き散らす。
 まるで花火だ。
 夏の夜空を彩るべき無数の花火が、春の大気を染め上げていく。
 霊夢が妖精たちを払えば払うほど、大気には花の香りが充溢し、眼下の黄色い海はますます元気にうねっている。
 殺到する妖精たちをひきつけるだけひきつけて、
 霊夢は両手を懐に差し入れ、
 握れるだけの御札を差し出してばら撒いた。
 紅白に染められた紙は一瞬だけ神になって、周囲の妖精を連鎖的に爆破していく。
 冬の寒気から開放された喜びを炸裂させるかのように、無尽蔵の花畑を咲き誇らせて。
 その混乱を突っ切って、霊夢は一気に向日葵畑を抜けようとする、
 しかし――
 それでも妖精たちは壁のように連なって霊夢に立ちふさがる。
 そしてその奥には、一際大きい純白の妖精が、大きな翼と両手を広げて、霊夢の前に立ちふさがろうとしていた。
 見覚えがある。
 あれは高らかに春を告げる妖精、リリーホワイト。
 もうしばらくは、彼女たちの相手をしなくてはならないらしい。
「夏なら夏らしい格好で出て来るべきだと思うのよね」
 だが、自分を取り巻く風はいつもどおりの優しい春風なのだ。
 行く手に立ちふさがる妖精と、下界の太陽の子供達とを見比べて、霊夢は今日何度目かの嘆息とともに天を仰いだ。


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