■幻想郷偽史序説                    【The End of Asia】


 ところで。
 魂魄妖夢は自分の本分をあくまで庭師だと思っている。
 勿論、主人の護衛も大切な勤めだが、それはまた別の話。
 楼観剣と白楼剣……未熟な身のまま師匠より受け継いだ双振りの霊剣を常に帯刀しているせいで、半人前の剣士という認識がまかり通っているのは、どうにも納得がいかない。妖夢は常々きちんと反論したいと思っているのだ。己の未熟は認めざるを得ないので言い出せないだけで。
 彼女の住まいにして仕事場は、冥界にひっそりと佇む古刹――白玉楼。寺院を模して過去に佇む屋敷である。
 冥界には、白玉楼を中心に据える、雲海もかくやという広大な庭園が広がっている。庭園の面積は不定で、顕界の生命の繁栄と対を成して膨張し、また縮小する。この点、渡る者の宿業に応じて幅が変わる三途の川に構造が良く似ている。この庭園にて、妖夢は常に己の技を磨いている。
 庭を整える技はそのまま剣技に連なる。
 霊剣でなければ、冥界の木々を整えることは出来ないからだ。
 人間は生れ落ちてから死ぬまで、様々な道理に接し、迷い、罪を重ね、確かなものを得ることなく――或いは、確かなものを得たと錯覚して死んでいく。冥界は魂の仮の宿。死して世界の構造と同化し、豁然大悟を得て輪廻転生の輪に解けこむための時間を過ごす場所である。まあ、三劫成仏なんていう言葉もあるぐらいだから、いつまでたっても冥界で過ごす呑気な霊だって沢山いるのも仕方がないだろう。
 一方、この魂魄妖夢は何の因果か、半人半霊という形で産まれ落ちた。
 半分は生来冥界の理に溶け込んでいるものの、もう半分の人間が迷い迷って混迷を極める。まだまだ年若く、経験も浅い。浅慮故に安易な答えを求めすぎてしまう。だから妖夢にとって庭に向き合うことは、己の迷いを断ち己を磨き、真理へ近づくことに他ならない。庭の広大さに泣きたくなることもしばしばだが。
 だが、目指す所へ導くはずの貴き彼女の主は行き当たりばったりの発言をして妖夢を惑わし、意味があるとは思えない申し付けで妖夢を東奔西走させる。その上、ある事件で冥界の結び目が弱くなったのをいいことに、主人は顕界に足を運んでは遊び惚けている。冥界を司る程の力を持つ者として目に余る無責任さである。
 おまけに、人間どもも調子に乗って自分をちんちくりん扱いしかしない。いっそぶった切ってやろうかと思ったことすらある。
 真面目な者が損をするのは間違っていると、妖夢は人並みに思う。
 だが、嘘をついてまで利するもまた正道ではないはずだ。半分しかない彼女の人間分は、最近は人間にもめったにいなくなった、ひどく健全な行動原理によって日々を過ごしているのだった。

「なんで私が」
 そんなことは決まっている。
 自分が魂魄妖夢だからだ。
 彼女が朧月夜の下、何を急いで虚空を舞っているのかといえば、自分が逆らえぬ唯一の主人・西行寺幽々子に頼まれごとをされたからである。
 妖夢は妙に人懐っこい主の言葉を思い出していた。
「ねぇ妖夢、今日はお鍋の気分だわ。そろそろ寒くなってきたし」
「冥界にも多少の四季はありますけど、寒さはそんなに感じませんよ? 半分人間の私が保証するのだから間違いありません」
「だったら、ちょっとだけ寒くなってきた分の熱燗にしましょう。鍋と一緒がいいわ」
「鍋にこだわりますね」
「お月様も満月だし」
「うちには例月祭なんて奇矯な風習はありません」
「鍋には茸がいいわね。豆腐と茸。そんな気配がするの」
 ああ、もうだめだ。
 こうなってしまえば誰も幽々子様を止められない。恐らくは神様ですら。
「でも今から行っても夜になりますし。里の店は閉まるし森は真っ暗で探せないし、明日にしませんか」
「里でも森でもない場所へ行くのよ、妖夢。一直線にね」
 ……天真爛漫な幽々子の声と、彼女にぽんぽんと叩かれた肩の感触を思い出して現実に引き戻された妖夢は、今日も何度目かわからない溜息をついた。
 風を切ってそれなりに急いだせいか、雲によって斑が落ちる森が盛り上がって小山を成しているのが見えてきた。その天辺には、白玉楼に比べれば猫の額のような境内と、申し訳のような社がある。
 博麗神社だ。
 文字通り、幻想郷の果てである。
 妖夢は御山を巻くようにして下降すると、社務所の裏手に音もなく着地した。無意識に抜き足気味で歩いてしまうのは、半身が足のない幽霊だからだろうか。
 もう真っ暗だが、本殿も社務所にも灯火はなく気配が感じられない。
 勝手口に回って手を掛けると、鍵が掛かっていないかった。
「留守なの? 珍しいわね。無用心にもほどがあるわ」
 とはいえ、来客の大半が妖怪妖精であるこんな不気味な神社に、夜盗を働く根性の持ち主など、並の人間にはいない気もするが――さて、どうしたものか。
 毎度、妙な方面に勘の働く主人を信じてここまで来たが、それ以上に強運を纏った博麗の巫女がいなければ、これ以上の展開は望めない気がする。諦めて帰るか。飽きっぽい幽々子様なれば、鍋を忘れて鍋焼きうどんが食べたいとか言い出すかもしれないけれど。
 と。
 境内の方で、なにやら物音がした。
「―――――!]
 妖夢は一瞬で緊張して、刀に手を掛ける。呼気を整え、足音を忍ばせて様子を窺う。
 建物の影から境内を窺う。
 月明かりに照らされて社に映った影は、
 ぴょん、ぴょん、飛び跳ねて、宙返りをして、また降りて。
 両手に握った薄の穂を左に右に振りまいて、
 大きな耳を揺らしながら、月光と縺れて陽気に踊る。
「うさぎ?」
 兎が手をつなぎ、輪になって踊る。
 子供のように無邪気に踊る。
 篭目を模して闇と戯れる。
 その中央に今立ち上がるのは、一際大きな耳と、人間様式の四肢を持つ、少女の形を模した影――
 ……博麗の巫女に義理はないが、怪しき者は糾すべきだ。
 瞬時に結論を下した妖夢は抜刀し、跳躍して境内の上に滞空した、
「そこな妖怪、神の社に何用だ!」
 兎達は大きな耳を一瞬立てたが、一目散に散り散りになって、四方の森へと姿を消した。
 そして妖夢が狙った一際大きな影は、妖夢の剣が届こうとするまさにその瞬間、驚くほど鮮やかに後方へ宙返りをし、神社の屋根にちょこんと立った。剣は地を穿ち、蒼き火花を四散させる。
「もう、辻斬りなんて危ないなあ。こんな見事な満月の夜に巫女も不在じゃ、境内を乗っ取って籠目でも囲むぐらいしか楽しくないじゃん?」
 月光に照らされた小柄な少女は、黒髪の上に白く大きな耳を備え、天の羽衣のように軽く見えるピンクのワンピースを着ていた。
 見覚えのある笑顔顔。
 迷いの竹林に住む妖怪兎、因幡てゐだ。
 妖夢は右手の剣を上方に突き付ける。
「なんだ、嘘つき兎じゃない。おおかた賽銭泥棒でも企んでたんでしょ。無駄よ! ここの賽銭箱には葉っぱしか入ってないわ!」
「そんな格好つけなくても、そんなのだれでも知ってるよ」
 とかいいつつ兎少女は、右手に握った紐をくいくいと回収し始める。と、賽銭箱から凧糸が結わえ付けられたU字磁石が現れて、使い手のポケットに仕舞われていった。
「……神も恐れぬ所業ね」
「でもそんなことはどうでもいいのよ。兎角同盟募金が警戒されすぎたのが悪い」
「よくない。現行犯は罪が重い。募金詐欺ももういいわ」
「堂々としてるんだから減刑されるのが普通よね……それよりまぁ聞いてよ。あんたも半分人間なんだからさ」
 てゐは懐から一冊の本を取り出して妖夢に示してみせた。
「なによ、その本」
「竹林で迷ってる人間をたまたま助けたらくれたんだ」
「本当にくれたのか怪しいものね」
「話は最後まで聞くものよ。……ところがさぁ、これがメチャクチャな嘘ばっかり書いてあるの。へそでお湯だって沸かせそうだし、鬼も笑っちゃうよ」
「いやそれは、鬼本人に聞いたほうがいいと思うけれど」
「いないもんねえ。巫女もいないしさ。あんまりにも酷い内容だから、師匠や姫様、それに古物商の人とかだとバカ真面目に受け取っちゃう可能性があると思ったし。ここはいつも適当に事件を解決する巫女かなーと思って足を伸ばしたんだけど。骨折り損だったなあ」
「賽銭泥棒にそんなことを言われる筋合いはないと思うけど」
「労働報酬ってことで」
「あ……そういえば今夜は満月だから、お屋敷で例月祭をやってるんじゃないの? こんなところで油売ってていいの……って、もしかしてそれが目的か!」
「鈴仙印の月見団子がいっぱい食べられて、姫様もきっと幸せだよね」
 兎のくせに猫のように目を細めたてゐは、屋根からぴょいと飛び降りると、妖夢に件の本を放り投げた。
「ちょ、なにするのよ」
「あんたにあげるよ。産まれて間もないし、人間分は半分しかないし、きっとどうにもならないからさ。あんたのこわーいご主人様がきっと素敵に解決してくれる」
「間もないとは失礼ね! 赤ちゃんじゃあるまいし」
「私らの時間にとってはだいたい一緒だよ。嘘を信じてくれない赤ん坊の方がやっかいだけどさ」
 人間に幸運をもたらすとも云われる妖怪兎は、頭の後ろに手を回して月を仰ぐ。
「嘘って誰かが気づかないとそのまま嘘じゃなくなるんだよな。赤ん坊だらけなら本当しかないつまんない世界になっちゃうよねえ」
「すっごく幸福そうね」
「わたしゃ健康を維持する気力がなくなっちゃうよ……あ、そうだ」
 てゐが森に向かってちょいちょいと手を振ると、様子を見守っていた兎たちが、大きな籠を神輿のように担いでこちらにやってきた。
「鈴仙が薬のお礼にもらった松茸と豆腐だよ。例月祭用に金属のボウルを持ってたら、なんだかしらないけど里のおばあちゃんが分けてくれたらしくてさ。わたしらは団子と人参の食べ歩きでお腹いっぱいだから、これもあげる」
「え、いいの……って、いつも一緒のあの宇宙兎は結局手ぶらで帰ったの?」
「すっごく軽くて楽ちんだったろうな。たまにはあいつもいい目みないとね」
「あんた酷すぎるよ!」
 てゐはヘラヘラ笑っているがとんでもない。てゐを始めとした脱走兎たちを捕まえられず、例月祭用の丸いものも持って帰らず、屋敷に帰ったとしたら……鈴仙は今頃、お師匠様から冷酷無比な仕置きを受けていることだろう。同じような境遇を感じ無いこともない妖夢はかなり同情した。
「ま、そういうことで。その本は霊夢に渡すなり煮るなり焼くなり好きにするといいよー。食べるなら鍋とか向いてそう」
「そうだけど! いや本は食べないけどー!」
 妖夢が呼び止める暇もなく、兎たちは駆け出した因幡てゐを先頭にして、あちこち毬のように跳ねながら神社を後にした。もうそれこそ四方八方へ。月が沈むまでは逃亡を続けるつもりだろう。実は、幻想郷一の愚連隊かもしれない。
「むぅ」
 残された妖夢はしばし立ち尽くす。
 驚愕すべきは主の勘というか、もはや超能力的予知だが。一方で因幡てゐが人間に振りまく幸運も侮れない。幻想郷の底知れぬ理を推し量るに、妖夢の未熟な経験ではまだまだ足りなさそうだった。
「……それにしても、なんだろうなこの本」
 厚手の表紙で装丁された、妙にしっかりとした薄い本。これは香霖堂で見た、外の世界の本のような気もするが、本文用紙は幻想郷で透かれた和紙にも見える。表紙に刻印もなく、背表紙に題名もない。ぺらぺら捲ると明らかに活版印刷だが、暗くて読めない。
 妖夢は少しだけ寒さを感じながら、本殿の階段に腰掛けた。同時に彼女の周囲を飛び回っていた半霊が少しだけ照度を増す。見かけは違うけれど両者とも妖夢そのものなので、望めばこういうことも出来るのだ。蛍光灯よりは暗いが雪灯りよりは明るく、彷徨する迷い霊たちよりは若干健康的な色。
 暗さに目も慣れてきたので、多少文字が追えるようになってきた。
 あまり興味もなかったが、妖夢はゆっくりと読み始めた――
 なんだか多少の肌寒さを覚えながら。

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 ――幻想郷に歴史はない。
 今もってそれは変わらない。
 それは、長命な妖怪たちが主観で見てきた時間が厳然として存在するからだ。数十年で命を全うする人間にとって、この世界は揺籃である。何の保証もない外の世界よりは幸せなのかもしれないが、此処には成長も革新も存在しない。我々はこの事実を素直に受け止める。
 だが、我々は座して末永く籠の鳥をあてがわれるつもりもない。妖怪の賢者が規定した決まり事により、幻想郷の人間における妖怪からの被害者が減っているのは事実だが、それは消費され続ける確固たる犠牲の上に成り立っている。妖怪と人間の均衡はこの世界の為に必要不可欠だが、その主導権は人間にあるべきなのだ。幻想郷の人口が増加の一途を辿る今、尚更に。
 だとすれば、歴史の忘却より我々は毅然として逃れなければならない。
 徐々に知り得た幾つかの事実により、幻想郷が決して妖怪のみの計算の産物ではないことが明らかになりつつある。そこにはきっと、人間がこれより先に幻想郷を主導する示唆となる。我々が妖怪とどう付き合い、人間同士で共通認識を持ち、歴史感覚を養っていくか。それには客観的・科学的視点も必要となるだろう。
 人間が己を人間であると再規定する事、これこそが幻想郷の平和を永久に約束する契機である。その端緒を、今、此処に記す。

 まず、現在我々に与えられている歴史について考えよう。
 大まかに言って、我々には歴史に触れる機会が二つ在る。
 言うまでもなく、稗田家に伝わる相伝の歴史と、上白沢慧音が語る主観の歴史だ。 
 かつて、活字印刷技術が存在しなかった時代の書物とは、現代で言うところの意味を大幅に超越する、それぞれが唯一無二の存在であった。執筆者が見た真実は思考となり文字によって翻訳・敷衍される。書物は金品以上に高貴で重大な宝物だったのである。
 仮により多数の人間に情報を供しようと複写するに当たっても、その筆を執る者が一字を誤れば、後代の学徒にまったく違う意味を伝えかねない。また中期仏教において写経がいかに重要な行であるかが容易に推察される。また室町後期の戦乱時代など、文才に長けるものの貧相な暮らしをしていた貴族には、長大な『源氏物語』などを写本して売却することで糊口をしのいだ者もいたという。昔は白い紙自体も奢侈たる対象であったが、本を製作するに当たって金銀等々豪華な装丁を施したのも、その貴重さを増すためだったのだろう。平安期における『日本紀講』から『旧事紀』の如き歴史の分枝が発生する経緯もまた、過去の書物に直接触れられぬ人の多さが要因の一つと言えるかもしれない。
 金品と違い、容易に失われやすい本。
 それでもなお、人は過去の知慧を求め、自らの意志を残す為に文字を記した。
 玄奘三蔵の偉業は、彼が命懸けで天竺まで経文を取りにいっただけに留まらない。彼がサンスクリットを漢字に翻訳しなければ、現在の形で日本に仏教が伝わることもなかったのだ。
 人が自らの足跡を残そうとする行為は、文字が発明されてから幾度となく繰り返される妄執ともいえるかもしれない。
 だが、それが本当に人間のみの意思によって行われてるものかどうだっかについて、我々は再考しなければならない。何故なら、我々は幻想郷に住まう者であるから。預言者モーゼに下された十戒の石版のように、人の行動を束縛する超越者の意思が介在していたと考えるのが妥当だろう。
 ――和銅四年、女帝であった元明天皇の勅命が正五位の文官であった太安万呂に下った。
 いわく、帝とわが国の歴史と伝承をつまびらかに示す歴史書を製作せよ、と。
 この頃、本朝には勅撰の歴史書は存在せず、各地の豪族貴族が政府の正当性を説明するために独自に編纂した『帝皇日継』『先代旧辞』といった少量の文書が存在するのみであった。壬申の乱を戦い勝利した先代の天武天皇は、荒れ果てた国土の復興に尽力するのと同時に、大陸の強国に比肩する歴史を再確認・再構築する意図を持って、新たな歴史書の編纂を考えていた。
 そこで登場するのが稗田阿礼だ。
 稗田は記憶力に優れ、一度見たものや聞いたものを絶対に忘れないという稀有な特技を有していた。天武天皇はさっそく稗田を登用し、件の文書を暗誦させた。稗田が一字一句間違えることはなかったという。
 時は流れ、元明天皇の時代。
 おりしも前年、唐の長安風の近代都市を真似た巨大な都……平城京への遷都が宣言されていた。大化の改新に始まった国家としての日本の成り立ちが、平安京へと結実していくまでの過渡期。勿論、歴史書の製作もまた、その一端を担っていた。
 さて太安万侶は、勅命を携えて稗田阿礼と面会し、そして絶句することになる。
 稗田阿礼とは、柳のゆれる様にも似た、儚い少女であった。
 記録には、天武天皇に暗誦を命じられた時には既に二十八歳であったといわれている。だが、安万侶の前にひれ伏す彼女は、どう見たところで十五をしたまわる少女でしかない。幾分うろたえながらも安万呂は、書記達に記録の準備させ、彼女がそらんじる高天原の伝承を語るように告げる。
 満面の笑みを浮かべつつ、稗田阿礼は軽やかに舞いながら朗々と歴史を謳い上げ始めた。
 彼女が記録するのは言葉だけではなかった。その身振り手振りが、風に揺れる着物の裾が、一挙一動足すべてが、神々の動きそのままであり、歴史の再現そのものだったのである。
 初日の仕事を終え帰途についた老文官は、残像として瞼に焼きついた稗田阿礼の綴る神話を繰り返し思い出していた。
 牛車の簾の向こうに、真新しい朱雀門がぼんやりと見えていた。
 帝のおわすこの荘厳な都市ですら、少女の舞った怒涛の歴史の前では霞んでしまう。
 果たして、あれを文字で記録するということが可能なのか? そんな大それた事を行っていいのだろうか? 帝は神に連なる御方だからいいとしても、人がそれを詳らかに聞き知って良いのだろうか……と。
 その夜。
 自分の邸宅に戻った太安万侶は、疲れからか早々と床についた。
 夜空には冴え渡る満月が浮かび、夜だというのに平城京を取り囲む大和の山々が浮かび上がるようにして見えていた。彼はなかなか寝付けないでいた。昼間のことが思い出されてならなかったからだ。
 月明りが瞼を通して感じられた――いや、これは眩しすぎはしないか?
 起きあがって庭を見た安万呂は、そこで硬直した。
 庭に、巨大な影が存在していたからだ。無骨な牛のようなシルエットだった。本体は影なのに、金環食のように蒼い光を放っていた。正面には白く輝く三つの目があり、その上方には大きな二本の角が生えていた。
 あやかしの類か――安万呂は召使を呼ぼうとしたが、声は出ない。
「案ずることなかれ。我の声は汝以外に聞こえぬ。我の姿は汝以外には見えぬ」
 影が口を利いた。いや、口を動かした様子はない。直接脳裡に語り掛けているようだった。老練の精神がそうさせるのか、安万呂は平静を取り繕ってあやかしを問いただす。
 影は答えた。
「我は白澤。人の世を見守る者なり。人の世の歴史を見据える者なり」
 白澤とは徳の高い為政者の治世に姿を現し、知恵を授ける霊獣である。ならば、帝の御世が長く安泰であるということか。なぜ帝の御前に姿を現さず、自分の前に夜討ちのように現れたのだ。
「汝が歴史に残る者だからにあり。我には見えり。汝の仕事からこの蓬莱の歴史が始まれり。汝の名は、編み上がった歴史書と共に、未来永劫人々の記憶に残ることとなれり――ならば、その最初の一幕をみとどけんと参上せり」
 なんと――霊獣に宣告されて、安万呂は両手で顔を覆う。
 目の前に映るのは、稗田阿礼が奏で体現する神々の御世。あそこから自分が取捨選択したものが、この国の子々孫々にまで伝わり、歴史の基部になろうというのか。
 そのような大事が、自分の双肩に掛かっているのか。
 白澤の三つの目がすうっと細くなる。
「忘れるべからず。我、又我の意思を継ぎし者、歴史の果てるその瞬間まで人間を見守れり。人よ、己の目指す理想を生きよ。最後に人を導くのは神ならず、人の意思こそ人の生ける道なり」
 陽炎のように揺れる闇を残して、影は何処かへ去った。額に大汗を掻き、深呼吸をする老人。底冷えするほど巨大な満月が、彼の影を大きく引き伸ばしていた。
 さてこの後。
 翌、和銅五年の正月、編み上がった歴史書が元明天皇に献上された。
 上中下の三巻より成るその史書は『古事記』と名付けられた。
 ただ、帝より苦労をねぎらう言葉をかけられた太安万侶は、どこか蒼然とした、癒せぬ疲労を浮かべていたという。彼はこの後、日本における最初の正史となる『日本書紀』の編纂にも携わることになったのだが、これは幻想郷には直接関わりがない。何故ならば、歴史書編纂の鍵とも言える稗田阿礼は、この頃を境に日本の歴史の表舞台から消えてしまうからだ。
 彼女が正史の続きとして書き留め始めたのは、周知の通り幻想郷の歴史だった。
 一説に天津神を始祖に持つ猿女君の一族といわれた稗田家が、一体どこから来て何故幻想郷の歴史を制作し始めたか……その契機は具体的には分かっていない。転生を繰り返す御阿礼の子が保持するとされる正当な歴史は、結局のところ彼女の中にしか存在せず、幻想郷風土記には常に妖怪の賢者が添削を繰り返しているからだ。我々には常に限定された情報しか与えられていない。
 一方で、上白沢慧音も連なる複数の白澤たちの意志は明確に連続しており、幻想郷のみならず日本の王朝へと繰り返し干渉を繰り返している。かの関白・藤原道長が清涼殿で白澤に出会ったららしき痕跡が『大鏡』の中にも残っている。そもそも白澤は大陸の妖獣である可能性も浮上しており、大陸の数多ある王朝で出没を繰り返し、半ば実験のように人々を導かんとしたらしい。彼らが求める正道が真に正しい道だとしても、歴史の混沌や戦乱は、その多くが失敗であったことを物語っている。上白沢慧音の歴史の授業はやはり、一方の歴史を示す指標としてのみ受け取るのが良いだろう。
 ただ、日本の正統を目指す歴史書は数多い。信頼度が高いのも偽書も含めれば無数にある。皇権によって保証された記紀への疑念は正統への関与を自ら遮断する愚かな行為だが、我々には正統に近き生の歴史が継承されている。決して充分ではないが、これはまた奇貨居くべしとも言えよう。

 では何故、稗田がこの地を選び、この地が幻想郷となったのか。
 何故現在のように『向こうの世界で失われたものが幻想郷に現出する』構造になったのか。
 結論から言えば、神々の都合に妖怪が便乗し、それを人間が追認して利用したからということになるのだが、それよりも先にまず、今の幻想郷を形作る直接の契機となった博麗大結界の成立について記そう。
 我々の平均年齢は六十年弱のためなかなか気づかれぬ事実なのだが、結界によって今のように世界が閉じられたのはたった百二十年前のことなのだ。朧気に推測していた我々が確信したのが、某年春、幻想郷中の花が一斉に咲き誇ったあの事件の際だった。
 あの事件の核心は、大量の幽霊がそれぞれの基質を示す花に宿ったことだったのだが、特に象徴的に無数に咲いた彼岸花はといえば、外の世界で理由も分からず死んだ無縁仏のものだったらしい。あの年、どうやら外界では都を滅ぼすほどの大地震が発生したと伝わっている。その六十年前に起こった同様の異変は、海を挟んで東西の国々との大戦争で、多くの人間が命を奪われたのが原因だった。ではその六十年前はと言えば、なんとこれが博麗大結界の誕生した年なのである。
 明治二十二年の年表には、内閣制度の誕生が大きな項目として挙げられている。二年後には憲法が制定され、皇御国は近代国家への変貌を遂げ始めるのだが。当時、初代内閣総理大臣に指名された伊藤博文が宮中に参内する際、すれ違うようにして皇居を出て行く博麗の巫女を目撃しているとの言伝えが存在している。この時既に神祇省・神祇官等の制度は廃止されており、他方、今や我々に近しい神々となった諏訪との表向きの接触も確認されていない。満月の晩、顔を隠した禰宜たちに奉られ、霊魂を纏って御所を後にする巫女は百鬼夜行にも喩えられたという。
 他方、断行された廃藩置県以降、名前にも乗らぬ山奥の集落がこの時期にいくつも消滅しているのが確認されている。当時の人口調査や戸籍謄本がまだまだ不完全であったことの隙をつかれ、記録に残らねば存在しなかったと言わぬばかりに、連続して複数が失われた。都会への人口流入現象ば既に始まっていたものの、一方で地主の土地支配は依然として残っており、至極不自然な現象であった。恐らくは、博麗大結界を成立させるための生贄として使われたのだと思われる。柳田国男の民俗学の確立には、官僚として台湾の帰属などに傍証を与えるための側面があったが、一方で政府の密命を受け、大結界成立の際の呪法の痕跡を歴史から抹消する役割も担っていたともされる。
 つまり、幻想郷は中から閉じられただけではなく、外からも同様の魔法ないし呪詛によって扉を閉められたのである。恐らくは一部の人間、特に高貴な血筋の者と妖怪がそれぞれの目的に手段の一致を見たために。
 妖怪による人間との協調作業、都市建設はこれが初めてではない。例えば、鄙びた場所だった江戸(穢土)に城を構えた太田道灌は平将門の怨霊を鎮護することにより当時世界最大となる都市建設への契機を開いたが、徳川家康をして霊的守護を説いた南光坊天海が実は狐火を式に使う妖怪だったという説は今でも多くの人間に支持されている。後年解ったことだが、江戸城地下には月へ攻め入るための魔法鏡が準備されていたのだ。大それたことに『天』と『海』という招龍の名を僭称したにからには、さぞ名のある大妖怪だったのだろう。今も幻想郷に深く結びついているのかもしれない。
 では何故、人妖の都合が結びついたのか。妖怪の精神は量りかねるが、人間の都合ならば推測可能だ。すなわち、幻想郷は皇御国の文化の隔離を目的としていたのだ。西欧列強に対応し文明的に増強される国家の一方で、朝廷は二千年とも数万年とも言われる豊葦原中国の精神の歴史が影響を受けないように保護する必要があると考えた。外の祭祀は親政により執り行なわれていたが、内向きには外に対応しない、変化せぬ国家の主柱が残されるべきとされたのだろう。元来ここが、現在妖怪の山と俗称される神の嶺が転移してきたなど、国家にとってはある種の保護区であったことは間違いなく、それが理由で稗田も記録を取り続けていたと考えられる。博麗神社が妖怪による実質的な式年遷宮で、天津に属さぬ神社らしき名残を留めていることも加味出来ようが。そこに、近代化によって否応なく失われる何かを残す。時代は下るが昭和八年より養生館に於いて展覧された七十八枚の国史絵画と同様の試みであった。もっとも、博麗大結界は『概念の結界』であるため、ここが皇御国の何処に実在しているのか、我々に知る術はないのだが。
 ただし、当の選別された国史絵画が技術の和洋を問わず優秀な画家に描かれたことで、純日本的な佇まいを示さなくなったのと同様、二度に渡る大戦と巨大な経済成長を遂げた外界からの情報を受け継ぐことになった幻想郷は、混沌とした文化様相を呈し始めた。また、吸血鬼や神々といった、能動的に幻想郷へ侵入する強力な存在の出現も、少なくとも人間の想定外ではあったろう。
 ただ、文化の揺り篭としての幻想郷は依然として機能しており、その結果として皮肉にも我々は、幻想郷が閉じられた時代に似通った文明・文化・精神を保っていると、外界よりの流入物と比較検討することが出来る。果たしてそれが幸福かどうかは定かではないが。

 我々を守護する立場であり、我らを幼児期のままに留めている主犯である可能性も指摘出来るところの、博麗の巫女にも言及せねばなるまい。
 そもそも博麗の巫女が本当に人間を守っているかについて、幾分かの猜疑がある。幻想郷を陥れる、所謂『異変』と呼ばれる災厄を解決するのは基本的に巫女なのだが、その一方で活躍するたびに新しい世界から新たな妖怪が現れているのは事実だ。その新たな世界には常人である我々が手を伸ばすことが出来ないし、別概念で存在しているそれらが幻想郷の範疇に含まれているとは言い難い。
 解決した、もとい事件が一段落した結果、人間の暮らしに不利益を与えることも少なくはない。一例を挙げれば、長らく春が来なかった事件の後で、幻想郷の幽霊が常態的に増加し、それは今も解消されていない。巫女はもはや問題視はしていないようだが。
 その他にも疑問は多々存在する。博麗神社は人里を遠く離れた離れた場所に存在し、普段はほぼ無人であること。里の多人数の記憶を総合しても、博麗の巫女がいつも同じ姿をしていること。御阿礼の子も同様の存在らしいが、転生時期がまちまちであるのでその絡繰を正確に把握することは難しい。
 もっとも危惧すべきは、巫女それ自体が人妖である可能性、または妖怪によって一定期間ごとに首を挿げ替えられている、文字通り妖怪の駒だった場合だ。設計段階では人妖の天秤は釣り合っていたはずだが、妖怪によって博麗大結界の機能全体が修正されているとしたら、我々は真剣に対抗措置を考案しなければならない。
 人間と妖怪のあいだの争いによる犠牲者を限りなく減少させた画期的な約束、『スペルカードルール』も、考案者は妖怪の賢者である。妖怪が人を襲わなくなっているという報告も、実は外界からの神かくしの被害者が食料として大量に消費されているからだという話である。
 彼女を敵視するべきということではない。
 博麗の巫女は今のところ強大無比な我々の味方だが、一方で妖怪とも対等に接する調停者である。我々が共有すべき歴史認識や思想に共鳴させることは相当難しい。ならば踏み込まず、一要素としてのみ考慮し接することが大事であろう。また、将来的には博麗の秘術に相当する力を習得し広める必要がある。我々の中の多くは、『スペルカードルール』に参加することも出来ないのだから。

 今はまだ妖怪の山に座していらっしゃるとはいえ、幻想郷には新たな神々が降り、里近くには妖怪を使役する寺院も出現した。ある程度の雑多な思想は人間の多様性に貢献する。妖怪との力関係が崩れる今は人間にとって好機である。
 その上、我々にはさらなる切り札というべき存在が現れた。
 竹林に住む藤原妹紅という少女である。彼女は自らのことを秘して語らぬが、不死の蓬莱人であることが既に解っている。にもかかわらず、彼女は厳然たる人間であり、千年以上も生きてきたとは思えぬ精神構造を有する。しかも、未確認とはいえ代々帝を支えた摂関家の祖たる血を引いているという情報もある。
 これまで妖怪しか持ち得なかった『主観的な歴史』を持つ人間の登場は、有無を言わさず我々を縛ってきた歴史の非存在へと対抗し得る大きな鍵といえるだろう。その証左に、最近まで竹林の中に独居し存在が知られていなかったにも関わらず、藤原妹紅と上白沢慧音は旧知の仲であったらしい。白澤が、蓬莱人の保証する人間独自の歴史から我々を遠ざけるために囲っていたというのもあながち間違いではない。
 ただし、彼女が我々にとって仇なす存在になる可能性もある。初めて皇御国の正確な地図を制作した伊能忠敬の、享和二年の第三回測量旅行の際、彼女らしき存在と邂逅したとする不思議な記述が残っている。彼女は街道を多少外れて測量を続けようとする一行を押しとどめ、幻想郷周辺の記録をさせなかったとある。ただし、記述にはぶれがあるため、これが幻想郷の正確な位置を示している保証もない。
 ともあれ、超常の力を秘める彼女が、我々が臨む科学的・客観的な思考に諸手を挙げて賛同するとは決していえない。だが、彼女の理解を得、我々の歴史に主観的な光を与えることが、我々の未来に対して大きな力になることもまた間違いないのだ。

 幻想郷に海はなく、山と湖、すなわち神に接する場所は妖怪に封鎖されて我々は自由に扱えない。なれば今は、我々が持ち得る歴史認識を共有し、未来絵図を描くことこそ重要である。この本はその最初の一歩である。同時にまた、妖怪の増殖や跳梁を抑えるためにも、人口増加による版図拡大、また外来人の保護や受け入れが必要になるだろう。
 幻想郷に立ち昇る幻想は単なる架空ではなく、幻想の形をとった真実である。
 我々の目的の先にあるのは、皇御国の中心に幻想郷が永久にあるという理想の姿である。最終的には人間の意志を糾合する柱、人のための人の神が必要だ。妖怪なしでも博麗大結界を機能させうる強大な力。その結論がたとえ、君子による善政を目指す上白沢慧音と似通ったであったとしても、それは確乎たる意思を持つ、我々の手こそでなされなければならないのだ。
 未来、妖怪との力関係を逆転させ、高天原をこの地に。
 それは次代の天孫降臨でもある。
 いつか結界内に立て奉るためにも、我々は意志を疎通し、統一し、妖怪に自ら対抗し得る力を持たなければならない……

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「幽々子様、この本は一体なんなんでしょう。歴史に詳しくない私が見ても、すごく適当でいい加減な気がしますけれど。なんだか不穏なことが書いてありますし」
 あらゆる意味で西の果て、冥界。
 生気の乏しい空気が季節の縛りを緩める場所。
 白玉楼に住まう華燭の亡霊・西行寺幽々子は、魂魄妖夢から受け取った本をパラパラとめくり、しばし瞑黙した。
「――この本はその、竹林の兎から受け取ったのですね」
「ええ。ご存知とは思いますが酷い嘘つきですから、事件を企む誰かの策謀かもしれませんが。盗品みたいですし」
「……相も変わらず簡単に結果を求めようとするのね、妖夢。もとより明らかでない場合の浅慮はいいことなどないわよ?」
「まあ、そうですけど」
 我慢をするかのような表情の妖夢の代わりに、彼女の半身である霊魂が不満げに、周囲を揺らめいている。例によっていつものように、己の主人から簡単に回答を得られるとは彼女も思っていないのだろうが、感情を表に現しすぎてしまうのは彼女の未熟さだ。もっとも、生まれながらにして半分が幽霊である妖夢だけに、人生そのものが最初から混迷を宿命付けされているというならば、不憫であるとも思うけれど。
「あー。ところで妖夢。鍋の準備はいいかしら?」
「ああ、ええそれはもう。なにもかも、驚くぐらい幽々子様の仰る通りになりました。もういちいち驚きませんけど。準備ならすぐに出来ます」
「薪も準備してる?」
「ちゃんと燃えるように顕界のを背負って帰りましたよ。冥界の樹は火が付きませんからね」
 冥界の植物は転生を待つ幽霊たち同様、生命の記憶が巡って形をとったものだ。炎はあらゆる命の流転そのものだから、冥界由来の物には火がつかない。妖夢が毎度食事の準備に苦労するのはこういう理由もある。食欲旺盛な亡霊など奇っ怪この上ないのだけれど。
 その禍々しき大食漢はにっこり笑って、先程の本を妖夢に手渡した。
「じゃ、これを種火に使いなさいな。天狗の新聞なんかよりは、きっとよっぽどよく燃えるでしょう……ああ、鍋の具にはしなくていいわよ」

 食事の準備が出来るまで、幽々子は枯山水の庭に立って夜空を見上げていた。
 今夜は満月だ。月の表情は様々だが、今宵は何故だか少し安っぽく映ってしまう。過去幾度となく繰り返してきた人間の醜悪な策謀と希求に、久方ぶりに当てられてしまったのかもしれない。
 ――少し、生々しいかしらね。
 幽々子は考える。
 偽書の類の大半は悪戯心で書かれるという。国粋主義者がそれを援用して歴史修正や政治に用いる時もあるが、本になるほど熱心に執筆するのは基本的に変わり者ばかりだ。だが、妖夢が持ってきたものからはそういう意図を感じられなかった。書いた者が信じきっている観すらある。また、情報が欠落し過ぎている割に、幻想郷では手に入りにくいものも混じっていてオーパーツ的に謎めく。
 執筆者は間違いなく幻想郷内部の者であろう。文章書きの好きな妖怪か、外来人経由か、或いは当の上白沢慧音自身が情報のコントロールを目的に罠を仕掛けたのか。前に新聞で話題になっていた秘密結社とは関連しているのか。性質的に里の人間でも一定の知識人だけが触れる秘密だったろうから拡散レベルは狭いにも関わらず、その中の愚者が焦って竹林の蓬莱人に直接届けようとでもしたのだろう。首謀者が今回のことで妖怪に渡ったと悟れば、失敗は当然隠蔽され今後も表面上は目立つ動きなどあるまい。人間に幸運をもたらすと評判の、旧き兎が持っていたという件は若干気にならなくもないが。
 ただ、幻想郷に舞い込む紙が多量になり、一部で日記ブームが起ころうとしているさなか、このような現代的な製本技術……恐らくは河童などから流出したのだろう……で大量印刷を目論んでいたとしたら。この事件は案外、後を引くのかもしれない。
「人間だから信頼する、か。至って人間らしい浅慮に安心させられるわね」 
 炊事場の方から白い煙が立ち上っている。
 鍋の準備は順調のようだ。
 腹が減った、気がする。あくまでも幻想だが。亡霊だし。
 さてさて。
 ――歴史に関わるとは、それが真実であろうと常に過去を書き換えているという罪の共犯に等しい。幻想郷の人々にその覚悟があれば、それもまた興の乗ったことだと思う。だが、仮にこの国や幻想郷を真に永遠のものにしようと企む人間が先走って書いた本だとすれば、これはすなわち新たな蓬莱の薬と同義である。
 ならばかつて帝が命じたように、焼いて祭礼に付すというのが正しい処置だろう。本格的に出回り、それが幻想郷に実害を成すとなれば、八雲紫が黙ってはいないだろうし。
 幽々子の言いつけに妖夢は驚き呆れ、遂に反論することもなく従ったが、幽々子自身は内面で珍しく安堵していたのだ。妖夢が半分幽霊でよかったと。仮に一人まるごと人間で、あの本の毒に当てられてしまっていたのかもしれない。信じ込み易い性質だし。なにしろ、真実の月を見過ぎて瞳が真っ赤になる程度では済まない危険性をも秘めているのだから。
「『なにごとも変わりのみゆく世の中に おなじかげにてすめる月かな』……か」
 懐かしき句を、独りごちる。
 西行寺幽々子は危険な亡霊として幻想郷で広く知られるようになっていたが、酷く気まぐれで不可解な行動原理こそか、彼女を人外として深く認識させる要因になっていた。
 それはまるで未来永劫決して尽きぬまま倒れ行く、不揃いのドミノのような。
 外からは連続して見えるそれはつまり、粒の集合体としての側面も持っていて、保存される力そのままに波を形成する。常人には到底理解できない思考の飛躍もまた、彼女にとっては至極必然であった。生前の卓越した人格や類稀なる異能の力が、見かけ上の彼女をひとつの人格として普通に存在させているようだが、実際の彼女はといえば、決して成就しない未練が一瞬ごとに置換する、衝動と欲望の連続そのものであった。
 ここ最近はおおよそ平衡を保つ双方のバランスが崩れれば、己の存在自身か、彼女を取り巻く世界、とりわけ人間たちにのどちらかとってのカタストロフをもたらすだろう。
 そして今、その彼女を構成する一ピースはといえば。
 先程まで幻想郷の人間たちに感じていた若干の不快感をさっぱり忘れ、まるで、京の都の典雅な殿上人のように、古めかしくも高貴な姿。その涼やかな瞳にはやや非難めいた色を浮かべて、揺らめきつつ伸びる白い煙を見上げている。艶っぽい口元に浮かぶ言葉を扇子の奥に隠して。
 ――嗚呼。
 遥かな高御座におわす幻想の帝よ。
 悠き昔、この世の最も高き場所から月へ去った姫を弔わんと武者たちを召してより早千三百年。その祭祀が執り行なわれなかったのみならず、もはや呪詛となって今もこの国に在ることをご存知か。ご照覧しておいでか。
 それでも、
 それでもなお。
 御身は剣を失い、天津の御稜威を失い、地上の権勢すらも遠くなったというのに。
 なおももまだそこに有り、国を導き、人を惑わすおつもりか。我ら穢れし地上から離れること能わぬなれど、いずれの未来に細き蜘蛛の糸を手繰って、高天原に至ることありや――なしや。

 不死の山より遂に立ち昇ることのなかった、白き月への鎮魂の煙。
 冥界より富士見の娘に見送られて、静か静かに登ってゆく。